第06章 インター・ミッション

 宇宙世紀0087年4月18日、アイリッシュ級宇宙巡洋艦ティルヴィングは、サイド7グリプスへの強襲の任務を終え、エウーゴの月の拠点であるグラナダに帰還した。クレイモア隊はこの後、エウーゴ主力艦隊が実施するジャブロー降下作戦の支援任務が通達されるはずである。

「・・・以上が今作戦の結果の概要であります。」
 ログナーはやや沈痛な面持ちで、クレイモア隊の責任者であるニルソン・ロレンス大佐に大まかな成り行きを口頭で伝え、報告書を提出した。
「ご苦労だった。バスクはどこかにトンズラしたか・・・見つけられなかったのだろう?」
「はい、グリプス内は調査したのですが、発見できませんでした。こちらの襲撃までそれほど時間があったようには思えません。グリプス内に設置されていた基地はいずれ放棄される予定のモノであったことが考えられます。」
 ログナーは、上司がそれほど動揺を見せなかったので、少し安心した。ロレンスの顔が、ログナーに落ち度がなかったことを教えてくれていたのだ。
「いずれ奴はグリプスに戻ってくる、そんな気がするのです。」
 ログナーはそう、手短に言葉を続けた。
「グリプスにはバスクがこだわる何かがあると?」
「ええ、それに、ウワサにあった建造中の戦艦、アレは確認できませんでした。」
「サイド7にはティターンズの隠しドックや試験場もあるに違いない。ジャブロー降下作戦後にまた行ってもらう必要がありそうだな?」
 ロレンスは、それだけ言うと、ログナーの返事を待たずに退出を命じた。
「バスク・オム、か・・・・」

 ログナーはエウーゴ参謀本部に今回の作戦における報告を行ってから、官舎に引き取った。彼が官舎に帰ったのはクレイモア隊発足以来、初めてであった。それほど、ここ一ヶ月と少しの間は多忙を極めたのである。ログナーは36歳、一年戦争時代から4年前までジョン・コーウェン少将の麾下にいた軍人である。4年前にコーウェンが失脚して以来、連邦軍の内部での厄介払いばかりを押しつけられてきた。それに耐えてきたログナーは、精神的にタフであった。そのログナーでも、ここ一ヶ月の多忙さには、疲れ果てるほどであった。
 ジャブロー降下作戦が実施予定日は5月11日、クレイモア隊は地球に降下しないので、その支援が任務となる。それに対するティターンズの行動を阻止することが目的である。ティルヴィングは単独で敵の補給路を断ち、主力に向ける追撃の手を少しでも緩めさせなければならなかった。そのために5月1日には月を進発し、追撃隊が補給を行うであろうと思われるルナIIへ向かわなければならない。もっと早く進発しても良いのだが、ジャブロー降下作戦との時間差を開けると、せっかく断った補給路が復旧してしまう可能性がある。だから、作戦実施直前に補給基地を叩いておいた方が得策である・・・参謀本部の見解はそうであった。ログナーもまた、同じ見解を持っていた。
 半分ゲリラのような存在であるエウーゴと違い、ティターンズは地球連邦軍の正規の部隊なのだ。補給の能力に関してはエウーゴとは比べモノにならないほど強大なのである。逆に言えば、ティターンズはエウ−ゴの補給路を断つことで楽に勝てるのであるから、それに気付き、行う暇を与えてはならない。
 しかし、そういった作戦ばかりで戦っていると、スペースノイドはおろか地球連邦全体や世論の支持を得る事が難しくなってしまう。テロリズムに手を貸すジャーナリズムは無いであろう事は、誰にでも予想できる。だからこそ、エウーゴは一定の軍事的勝利を得る必要があったし、裏の任務をクレイモアのような特殊部隊に行わせなければならない事情もあった。理想だけで勝てるなら、ジオン軍はとうの昔に独立自治権を地球連邦に認めさせていたはずである。幸い、それまでの10日あまりは特に大きな任務はない。せいぜい周辺宙域の哨戒とか、そういった類のモノであろう。就寝した次の日は完全な休暇であったので、その日は寝て過ごした。家族のいないログナーは、そういった意味では休暇を有意義に過ごすことが出来たのであった。

 月面都市グラナダは、一年戦争時代にジオン軍の軍事拠点が設けられて以来、裏側にあるフォン・ブラウン市ほどではないにしろ、ささやかながら開発が進んだ都市である。宇宙要塞ア・バオア・クーが陥落した直後にジオン軍が無条件降伏をしたため、グラナダには戦火は及ばなかった。戦後になって、グラナダは地球連邦の占領下に置かれたものの、その繁栄は衰えたわけではなかった。市民生活は戦争を乗り越えて、活気を取り戻しているのである。今のグラナダは夜の時間を迎えていた。街は眠ることを知らない。昼には昼の、夜には夜の表情を持っているのだ。繁華街の中を幾組もの親子、カップル、友人同士が不規則に行き来している。その中に、ショール・ハーバインと、エリナ・ヴェラエフの姿はあった。
「どこにあるんだ?レイが言っていた日本食の店は!」
 ショールは雑踏の中でもよく聞こえるように大きな声で、隣にいるエリナに尋ねた。
「たしかここに東洋系のレストランが密集しているらしいのよ、すぐ近くだわ」
 エリナは右手にレイが書いた地図を持っていた。エリナがレイにお薦めの日本料理屋の場所を教えて貰ったのである。そのレイは気を利かせて、ショール達に同行はしなかった。2人で地図を見ながら歩くのも一興じゃないか、レイはエリナ達にそう言って、ナリア・コーネリアと酒を呑みに行ったのだ。
「しかしレイの奴、よくあのナリア・コーネリアともう一回呑む気になったモンだな。」
 ショールは大笑いしてから、そう言った。
「そう?お似合いだと思うけど・・・レイは女の扱いが巧そうだし」
 右手の地図と、左右の店の看板を交互に見ながら、エリナは答えた。
「あぁ、アイツは何をやらせてもそつなくこなすタイプだからな。器用なんだよ」
「そうね、本人は器用貧乏になるのが嫌だって言っていたけど・・・あ、ここよ、ショール!」
 エリナがようやく、目的の店を見つけたようで、小走りで店の前に立つと、ショールに向かって手招きをした。
「あせんなよ!店は逃げないんだからな!」
 そう言いながらも、ショールは少し歩みを早めた。看板には「松田」と漢字で書かれていたが、レイからは「マツダと読むんだ」と教えられていた。


 店内の雰囲気は、2人にとっては馴染みの薄いものであった。この時間でも客は極端に少なく、ショールは本当にこの店がレイのお薦めなのかと疑ったほどであった。店内は小綺麗に整理されており、木で出来た古めかしいテーブル、靴を脱いでタタミと呼ばれた床に上がるオザシキ等は、ショール達が初めて見る光景であった。
「いらっしゃい!」
 店に入って、ショールはレイに自分の名前を出すよう言われていたので、それを実行した。入ってすぐのカウンターにいた店員に、声を掛けたのだ。
「レイ・ニッタからの紹介で来たんだが?」
 店員の服装は白い日本のイタマエがつけるような服だった。その白さは、ショールには好感が持てた。
「レイから?あなたの名は?」
 ショールは狼狽した。まさかこんな返答を貰うとは、予想もしていなかったからだ。それでも、ショールは自分の名前を告げた。
「奥に入って下さい」
 店員はそれだけ言ってひとつのオザシキを指さすと、店の奥にある厨房に潜ってしまった。
「なんなんだ?まぁいいか、行こう」
 ショールはエリナを促し、一番奥にあるオザシキに向かって歩き出した。

「日本ってのは不思議な雰囲気なんだな?靴を脱ぐのもアレだけど、地べたに座って食べるっていうのも気に入ったよ」
 ショールは正直な感想を述べた。決してお世辞ではない。ここにいると気持ちが妙に落ち着くのである。
「ワビサビってのはこういう雰囲気を言うのかな?」
 エリナも同感だった。とその時、エリナはテーブル右に「オシナガキ」と書いてある薄い見開きのメニューを見つけた。それを開いてみる。日本語と英語の両方で書かれていた。そこへ、先ほどの店員ともう一人同じいでたちをした男がやってきた。
「ご注文はおきまりでしょうか?」
 その男が優しい口調で語りかけた。
「私はテンプラソバ、ショールは?」
「オレもだな。」
 2人はどれがどんな料理なのかは知らなかった。レイから聞いたことのあるメニューを口走っていたのだ。
「分かりました、テンプラソバ二つ!!!」
 その男は大声で厨房に怒鳴った。その声の大きさに2人は思わず耳を塞いだ。2人の店員はそのまま厨房に戻っていった。

 ショール・ハーバインは疑問に思った。日本料理についての知識が皆無であったから確証はないのだが、ソバ一杯程度でオザシキに案内するモノなのか?カウンタでソバをすすっている客も、わずかながらいたのだ。名前を聞いてきたのは、単にレイがお得意だからなのだろうか?5分ほどして、店員が丼を二つもって、ショール達のいるオザシキまでやってきた。
「テンプラソバ、おまちどおさま」
 店員はショール達を一瞥した後、その場を立ち去った。ショール達はソバを受け取った後、周囲を見回した。
「これはフォークで食べるんだろう?」
 ショールはフォークを探していたのだ。エリナはそれを見て、大笑いをした。
「これを使うのよ、チョップスティック、ハシって言う東洋の道具らしいわ。」
 エリナはテーブル左端にあった円い筒のような容器から、プラスチックで出来た2本の棒をショールに差し出した。
「これでつまんで食べるのか、難しそうだな・・・」
 この後、2人の悪戦苦闘が始まるのである。

「結構美味かったな、エリナ?」
 容器に入った麺を全て食べ、汁を飲んだ後にショールは満足そうに言った。
「ええ、とってもおいしかったわね。値段もそれほど高くないし、また食べたいわねぇ」
 エリナも非常に満足そうだ。ハシを何とか使えるようになる頃には既に麺は伸びてしまっていたが、そのダシを存分に堪能することが出来た。そろそろ帰ろうか、ショールがそう言い始めたときだった。オザシキの入口にさっき見た2人の男が立っているのを見つけた。
「ショール・ハーバインさんですね?」
 片方の男が口を開いた。表情へ怪訝そうなモノではなく、友好的といったところだろうか?年の頃はショール達と同じくらいで、飲食店には似つかわしくない長髪で、だらしない印象だ。丸いメガネが印象的だ。体格は割とごつく、エンジニアという言葉とは一見無縁に見える。相手の表情に関わらず、エウーゴという立場上、それでもショールは油断できなかった。
「そうだが、ならばなんだ?」
 すぐにでも飛び出せるよう、エリナの手を取る。エリナもそれを握り返し、座る体勢を整えた。「レイ・ニッタはアナハイム時代からの友人でね」その言葉を聞いて、ショールは座り方を食べていたときと同じに戻した。
「私はジョン・マツダ、レイとはフォン・ブラウンで一緒でした。今はグラナダに転勤していますが。今日はアナハイムでの仕事が休みなので、家の仕事を手伝っているんですよ。レイからは色々聞いてます。優秀なパイロットだそうですね?」
 ショールはレイにはめられた事に気付いた。このマツダという男に引き合わせるのが目的だったのだ。(勿体ぶりやがって・・・)ショールは苦笑した。エリナも似たような表情だ。
「デートのお邪魔をして申し訳ありません。一度話をしてみたかったんですよ。」
 マツダはそう言うと、靴を脱いでテーブルを挟んでショール達の向かいに座った。
「おい、ここを閉めておいてくれ」
 もう一人の男にそう言うと、入口にあるスライド式のドアを閉めた。
「レイは元気でやってますか?」
 部屋が密室になったのを確認すると、マツダはそう切り出した。
「しばらく会ってないのか?」
「ええ、彼があなたと模擬戦闘をやった後以来ですね。その時にあなたの話を聞きました。」
 エリナはまだ口を挟まない方がいいかな、そう思っていたので無言であった。
「で、オレに何の用だ?」
「実はレイがアナハイムに出向していた時に協同でMS用のオリジナルプログラムを開発していたんですよ。ところが、レイが転属になってしまって、それが途中で頓挫してしまったんです。」
「何が不足しているんだ?」
「回避プログラム用のデータです。今回の新システムでは自動回避に重点を置くことにしています。そこで、あなたの独特な回避運動のデータを極秘に取らせていただきたいのです。」
 ジョンはそこで話に区切りをつけて、コップに注がれている水を飲んだ。
「極秘?」
「極秘です。今回のシステム・・・といっても別にそれを今の量産機に反映させるわけではありません。あくまで試験用にですが、レイと密かに連絡を取り合って、少しずつ開発しています。」
「フン、まぁいいさ。そのプログラムをオレのMSに組み込めばいいんだな?」
 ショールもそれにつられて、コップの水を飲んだ。
「そうか、だからエリナとオレが一緒の時にあんたと引き合わせたんだな・・・」
 水を飲み干した後、ショールはそう口にした。
「どういうこと?」
 エリナはようやく口を開いた。
「オレのMSのシステムの面倒を見ているのは誰だ?」
「私・・・あ、極秘にっていうのなら、私にも話を通しておかなければならないわね。」
「そう言うこと・・・だろ?」
 ショールはジョンに話をふり、ジョンは無言で頷いた。
「フン、レイの奴!」
 そう言いながらも、ショールは口調ほど不機嫌ではなかった。むしろ面白そうだといった表情をしていた。
「エリナはどう思う?システムをいじるのはお前だ。オレに決定権はない。」
「いいわよ。で、そのシステム自体に不具合はないのでしょうね?」
 エリナは優れた技術者である。プログラムや機械を見る目はあったが、実物を目の前にしていない以上、
作った本人に聞くしかなかったのがエリナには悔しくもあった。
「ええ、それに関しては大丈夫です。自動回避プログラム以外の部分は従来のシステムを少しいじっただけです。反応の早さは従来のモノより上ですよ。私とレイで保証します。」
「いいわ、それを出来るのは私だけだし・・・ふふ・・・技術者には殺し文句ね」
 エリナはそう言って、ジョンに向かって微笑んだ。
「では、やっていただけますか?」
「ええ、やってみましょう。ショールもいいわね?」
「ああ、今までのモノより反応がいいのなら、文句はないな。」
「それでは、宜しくお願いします。ディスクはレイから受け取って下さい。分からないこともレイから聞いていただければ結構です。」
 ジョンは立ち上がって、帰る準備をしていた。
「完成したら、どうなるんだ?」
 ショールはそのジョンに向かって尋ねた。
「次の試作MSに反映させますよ。データを楽しみにしています。あ、ここの支払いは結構ですよ、今日は奢らせて下さい。では、この辺で失礼します。」
 そう言ってスライド式のドアを開けて、ジョンは退出した。
「じゃ、オレ達も帰ろうか」
「ええ、そうね」

 1時間後、ショール達はティルヴィングに帰ってきていた。2人は新システム受け取りのため、レイの姿を探したが、見つからなかった。
「まだ呑みに行っているのかなぁ・・・もうじき門限だぞ・・・」
「明日でいいんじゃない?さ、私たちも呑みましょうよ、ショール?」
 エリナはショールの腕を取って、そう言った。
「どこで?」
「女性士官の部屋は男子禁制なのよ」
 エリナはそう言うと、ショールの腕を引っ張った。休暇の夜はまだ続きそうだった。


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