第11章 グリプス 

 UC.0087年5月13日にグラナダに帰還したクレイモア隊は、完全な補給・補修を行う為に5日間の休暇を与えられた。参謀本部から正式に5日もの休暇が与えられることはまずない。これまでの強行軍同然のティルヴィングのクルーの疲れを、責任者であるロレンス大佐が汲んでくれたのである。それでも、全員が5日の休暇を過ごせたわけではなかった。自発的にティルヴィングに赴いて自分の仕事をした人間もわずかながらいた。ショール・ハーバインやエリナ達MSに関する部署のクルーの一部が、機体の調整のために出てきていたのである。

 そんなショール達でも16日から18日までの3日間は、ゆっくりと休養をとることが出来た。休暇が明けた19日の08時30分になって、全てのクルーがティルヴィングに集まった。ログナーは今頃は参謀本部から新たな命令を受けているはずであり、ブリーフィングはログナーがティルヴィングに帰って来次第行われる予定であった。MSデッキ近くの待機室でレイとコーヒーを飲みながらショールは考えた。
「なぁレイ、ジャブローのこと、聞いたか?」
 ジャブローとは他でもない、11日に敢行した降下作戦の目的地である。地球連邦軍はエウーゴの襲撃に対し、地下に隠してあった2基の時限式の核爆弾を爆発させ、基地をエウーゴのMS隊ごと爆破しようとした。連邦軍の本拠地は元々引っ越し中で、核爆弾はいわばその置き土産のようなモノであった。結果として多くのMSはジャブローにあったガルダ級2隻で脱出できたのは良かったが、アマゾンの中心部で核爆弾を使った影響は確実に地球の生態系に及んだだろう。
「あぁ、核爆弾でドカンって奴だろ?森林地帯でよくやるぜ!」
 レイはあからさまに不快の表情を向けて言った。ジャブロー爆破のことはそれほど不愉快だったのである。それはエウーゴの全兵士にとっても同感であった。その不快感は、何も作戦が空振りだったから来るのではない。スペースノイドのためなら地球を破壊しても良いというジオン公国のようなやり方をしないのが、エウーゴという組織であるはずだ、ショールやレイはそのことから自分がエウーゴにいることを誇りに思っているのだ。自分の拠点に核爆弾を仕掛けて地球の環境を著しく汚染するなど、ナンセンス極まりない・・・知らせを聞いたショールは思わず唾を吐いたほどである。
「地球がどんどん人が・・・いや、生物が住めない惑星になってしまうな・・・連邦は腐ってやがる!」
 ショールは吐き捨てるように言った。
「まぁ言いたいのは分かるが、今ここで怒ってもしょうがないだろう。ティターンズと連邦のお偉いさんの前で怒るんだな?」
 レイはなだめるというより受け流す形でショールを抑えた。そこへ艦内放送が流れる。艦長のブリーフィングの時間が来た事を知らせる放送であった。その内容はいつもの通りパイロット達の召集の号令であった。

「よし、ブリーフィングを始める。」
 ブリーフィングルーム正面に立っているログナーが、部屋の中に全パイロットが集まっているのを確認すると、ブリーフィング開始を宣言する。
「当艦は20日にグラナダからグリプス方面に出発する。」
 指揮棒を、航路図が表示されている液晶スクリーンに当てながら、ログナーは言った。
「この方面に出向くのは3度目だが、油断はするな。グリプスの基地化がかなりのペースで進んでいるらしい。」
 そこへショールが挙手をしてログナーに発言を求めた。
「その基地を叩くんですか?」
「いや、単艦ではコロニー規模の基地は叩けんな。この前とは訳が違うぞ?あくまで偵察と言ったところだ。あの方面には今ティターンズの戦力が集まりつつある。その空域への偵察だ。それだけでも結構な仕事になるはずだ。並の偵察部隊では捕捉撃滅される可能性が高い。そこへ我らの出番というわけだ。」
 (強襲、追撃、今度は偵察か・・・ホントに何でも屋の様相を呈してきたな・・・)レイは今更うんざりはしなかったが、様々な色を持つ任務を一つの部隊でしなければならないエウーゴの戦力の小ささを今になって痛感していた。ここ数日の間で連邦軍の内部からエウーゴに多数参加者があったようだが、その編成などに必要な時間を考えれば、今すぐに戦えるような状態だと楽観視はできない。レイは今のエウーゴの戦力的不利を痛感せずにはいられなかった。
 しかも主力であるアーガマのMS隊は今、地球にいるのである。宇宙での戦力差は広がったと言ってもいいかも知れない。クレイモアはそのために宇宙に残留したわけだから、驚きはしない。ただ、便利屋的にこき使われるのが気に入らなかったのが、レイの本音である。ログナーは更に続ける。
「サイド7宙域に入った時点で第一種戦闘配備、グリプスの全容の確認を最優先して敵のMS隊の一角に奇襲を行う。ある程度グリプスの様子を見ることが出来たら速やかに後退、その後ティルヴィングはMSを収容後に即回頭、全速で離脱する。戦術などは直前のミーティングで検討しろ、以上だ。」
 ブリーフィングの終了が宣言されると、全員が敬礼して、解散していった。
「あ、ショール付き合えよ?」
 退室しようとするショールを、レイが呼び止めた。(昨日まで喧嘩していたのに、もうアレかい?)ナリアはそれを見て、心の中で笑った。そういう単純さが、ナリアには好ましく見えたのだ。レイが思ったよりすぐに折れたので、心配は杞憂に終わった・・・少し前のレイならそんなことは考えにくい事であったのだが、パイロットとしての何かを悟ったんだろうな・・・ナリアはそう思って安堵した。

 ティルヴィングは衛星軌道からサイド1を経由し、約5日でサイド7手前250kmの宙域に到達していた。ここでティルヴィングは速度を少し緩め、第二種戦闘配備に入った。
「ローレンス軍曹、艦内放送の用意を。」
 ログナーは連邦軍の軍帽を被りなおして、ミカに命令した。
「了解、艦内の回線につなぎました」
 ログナーはマイクをとり、声を上げ始めた。
「これより1時間後、ティルヴィングはグリプス宙域に突入する。突入と同時に第一種戦闘配備、当艦はグリプス手前2kmまで前進する。今回の作戦はあくまで偵察が目的だ。まず生きて帰ることこそ任務だと思え、以上だ。」
 放送を聞いた途端、全クルーの動きが変わった。メカニック達も、機体の最終調整などで慌ただしくデッキ内を右往左往する。デッキ横に設置されている控え室ではパイロット達がミーティングを行っていた。
「ティルヴィングはグリプス2km手前で位置を固定する。エストック隊はグリプスの宙域に突入、フランベルジュはティルヴィングの前方、エストックの後方、つまり中間位置にてそれぞれを援護。各隊の撤退はエストックからの信号弾で指示する。」
 ファクターがそれぞれのパイロットに聞こえるように大きな声で、すぐに始まるであろう作戦行動について説明した。
「恐らく敵戦力は不明だが、かなりモノのになるだろう。この前の追撃戦の比じゃねぇと思え!撤退信号が出たら速やかに後退するんだ。いいな、交戦は出来るだけ避けろよ?」
「了解」
 エストック、フランベルジュ両隊のパイロット全員がそれぞれに復唱する。それを満足そうに見ると、ファクターは号令を出した。
「よし、各員デッキで待機だ!いつ発進かわからねぇんだからな!」

 第一種戦闘配備に移行した後、ティルヴィングは最大船速でサイド7の宙域に突入した。そのティルヴィングの動きは当然ながら、ティターンズの各部隊に察知されていた。グリプス周辺に配備されていたサラミス級5隻が、既にティルヴィングの方向に向かって針路を取っていた。
「観測班より連絡、右舷より敵艦艇接近中!」
 肉眼による周囲の監視を行っていた観測班からの連絡を受けて、メガネのズレを直しながらミカがブリッジに報告する。
「数は!」
「・・・・3隻です!」
「よし、MS隊発進、当初の予定通り作戦を遂行しろ!対艦戦準備、主砲、メガ粒子砲開け!MSが出てもあくまで艦艇をねらえ!サミエル、この宙域を全速で突っ切るぞ!」
「了解!!」
 操舵手であるサミエルが、元気よく復唱する。と同時に艦首部分にある主砲、メガ粒子砲の砲門が右に回頭する。ブリッジにファクターの声が響き渡る。
「エストック隊準備完了、発進します!」
「撤退の時期を見誤るなよ!」
 ログナーがマイクを通してファクターに檄を入れる。それに対して誓う強く敬礼して応える。
「了解しております!ファクター機、出るぞ!」
 同時に軽い振動がブリッジに伝わると同時にリックディアスが射出される。
「ショール・ハーバイン、エストック二番機出るぞ!」
「レイ・ニッタ、エストック三番機、ディアス出ます!」
 続いて2人のリックディアスが出て、ミカは間髪入れずに続ける。
「・・・・・エストック隊射出完了、フランベルジュ隊、カタパルト接続」



 ティルヴィングから射出されたエストック隊は、すぐに密集して隊列を組み、全速でグリプス方面に前進していく。右方向から接近してくる艦艇から幾つかの光が放たれて、こちらに向かってくるのが3人に確認できた。
「大尉、敵艦から5〜6機来ます!こっちはオレが!!」
 エストック隊の右翼に位置するショール機が1隻のサラミスがこちらを向いているのを確認する。ビームピストルを構えて、右に旋回する。
「だめだ、3機で速やかに排除する!」
 ファクター機がクレイバズーカを背部バインダーにマウントすると、ビームピストルに持ち替える。グリプスはエストック隊から見て真正面に位置していた。だからファクター達にはグリプスの外観は変わっていないように見えた。エストック隊の3機が一斉に4発、5発とビームピストルを発射する。6機のジムIIのうち、2機が回避しきれずに撃破された。ビームライフルによる反撃がジム隊から発射されるが、素早く回避運動をとるエストック隊のMSには当たらなかった。
 3機のリックディアスは全速で突進しながら、尚もビームピストルを連射する。ジム隊はそれに対して散開して回避した。そしてファクター機が散開したジムの内でグリプス方面に移動した機体を追撃する形で追いかける姿勢をとった。ショールとレイもそれに続いた。敵を攻撃したがらグリプスに近づけるのなら、それに越したことはないからである。2人ともファクターのそんな思惑をちゃんと理解していた。
 グリプスの方向に移動したジムは2機だけであった。後の4機はそれぞれ違う方向に散開している。密集しているエストック隊の付け入る隙が見つかった。これを見逃す手はない。全速で移動をすると慣性の法則が働いて射撃武器がほとんど当たらないのは、いわばMS戦の常識である。自機が撃った攻撃が敵をわざわざよけるような感じになってしまうのだ。だから、3機のリックディアスはそれぞれジムを真正面に据えて、ビームサーベルを抜いて突撃するのである。
 ジムに搭載されている旧式のコンピュータと、それを扱う練度の低いパイロットでは全速移動をしているリックディアスを捕捉することは、至難の業であった。すれ違いざまにレイ機とショール機のビームサーベルがジムを両断する。ファクターは背部モニターで突撃が成功したことを確認すると、再び前にあるグリプスを見据えた。コロニーを真正面から見ていた先程とは違い、今はコロニーを斜め前から目視できる位置にあったおかげで、エストック隊の各MSはグリプスの異様な光景を見ることが出来た。
「グリプスが・・・・割れている!?」
 ショールは、死に装束を停止させて、呻くだけであった。

 その頃、グリプス手前約2kmの宙域で静止していたティルヴィングは、敵艦艇の接近を確認していた。
「艦長、2隻の艦艇がこちらに向かっています。」
 再び観測班からの報告を受けたミカは、少し動揺の色を見せながらも、ログナーに報告した。(どうしてこの部隊はこんなギリギリな状態ばっかりなのかしら?)ミカはこの部隊に配属になったことが幸であるか不幸であるかは分からなかった。生きる為に軍に入ったが、これでは死ぬために戦場にいるようなものである。こういうときはいつも生きている心地がしなかった、後にミカはそう回顧する。
「来たか!フランベルジュを呼び戻す、信号弾を打ち上げろ!整備班は所定の位置にて待機、破損箇所の補修に備えろ!メガ粒子砲の照準を敵艦隊最前列に固定!急げ!」
 ログナーは早口で各ブリッジクルーに命令を伝える。それを実行するブリッジクル−の能力は実際凄いものであった。
「照準、固定!!信号弾あげます!」
 コ・パイロットのアルドラから報告がまず入り、艦橋の側部から青い信号弾が上がる。これはフランベルジュ隊を呼び戻す所定の信号弾であった。
「敵艦隊最前列のサラミス、射程距離内に侵入!」
「一斉射、撃て!!」
 ログナーの号令と共に側部にある2門のメガ粒子砲が光の帯を放出した。一直線にサラミスに突き刺さる。胴体部への直撃だ。今まさに艦載MSを射出しようとしていたそのサラミスは、胴体に2本のメガ粒子砲の直撃を受けて両断され、MSもその運命を共にした。爆発が広がる中で、他の艦艇からビーム砲による反撃が始まる。それぞれ2本ずつ、4本のビームはティルヴィングをかすめる。
「被弾状況は!?」
 船体の揺れを感じていたが、この揺れ方はそう大きな損害は出ていないことがログナーには分かっていた。
「右舷推進部にかすっただけです!」
 ミカがメガネをずらしながら半分悲鳴のような声を上げる。
「かすっただけだ!反撃しろ!!サミエル、後退だ!」
「了解!!」
 ティルヴィングが少しずつ後退を始めたとき、サラミスの後方で小さな爆発の光が上がった。フランベルジュ隊がティルヴィングに戻る途中での寄り道に、サラミスへの後方からの奇襲を敢行したからである。
「フランベルジュ隊が戻ってきました!」
 先程の振動でまたずれてしまったメガネを戻しながら、ミカが少し上気した声で報告する。
「よし、味方に当てるなよ!・・・・撃て!!!!」
 ティルヴィングのメガ粒子砲が1隻のサラミスに伸びる。
「艦砲射撃が来る、艦隊を迂回するよ!」
 ナリアが叫ぶと同時に、フランベルジュ隊の2機のネモは散開した。アルツールとマチスの機体からでも、ティルヴィングの砲撃開始の光を確認することが出来た。今度のティルヴィングの射撃は直撃こそしなかったものの、船体側面に当てることは出来ていた。サラミスのバランスが崩れ、船体が傾いだ隙にフランベルジュ隊が艦隊を迂回しながらティルヴィングの方向に進路を取る。
「艦長!敵後方より新たな光を確認、増援部隊です!」
 ミカは既に平静を取り戻していたらしく、いつもの口調で観測班からの連絡を伝える。
「エストックからの信号はまだか!?」
 そろそろ限界だな・・・ログナーは引き際が近いことを直感していた。
「まだです!」
 アルドラが即答する。と、その時・・・ティルヴィングの遙か前方で黄色い照明弾が上がった。

「グリプスが・・・割れている!?」
 ショールはかつて見たグリプスとはまるで違う、異様なコロニーの形を見て驚愕した。それはファクターやレイも同じである。驚くのも無理はなかった。1ヶ月前に見たグリプスとはまるで違う外観を持っていたからであった。グリプスは真ん中を区切りに真っ二つに別れており、その内のコロニー宇宙港のある方は、少しずつ推力を働かせて向きを変えつつあった。
「分けた片方を移動させようっていうのか!?」
 ショールは死に装束を移動させて、全体を見渡した。外壁や内部にもまだ作業中であろうブロックがあり、まだグリプスという要塞が完成していないことが分かる。死に装束の後ろで何かが強烈な光を放った。それはファクター機から発せられた信号弾である。すかさずファクター機に接触して、回線を開く。
「まだ全容が分かっていません!」
「いや、そろそろティルヴィングが限界だろう。時間も予定時間を過ぎている。戻ることが最優先だ!」
 ファクターはそう言うと、ショールの返事も聞かずに移動を開始した。レイ機も既に移動を始めていた。
「何があるんだ、グリプスには・・・」
 ここで遅れるわけにも行かず、ショールはそれに従うしかなかった。

 敵増援とエストック隊からの信号弾をを確認してからは、ティルヴィングの後退のスピードは速くなった。今のところ敵増援部隊の射程距離からはかなり距離があったし、敵サラミスも増援との合流を優先しようとしているらしく、ティルヴィングを執拗に追撃しては来なかった。しかし、今のままでは増援と合流した敵艦がティルヴィングに追撃をかけてくるのは時間の問題であった。
「アルドラ、エストック隊は確認できるか?」
 ログナーは少し焦っていた。このままでは敵艦隊の餌食になるのを待つだけだ。幸いだったのは、グリプス周辺に配備された敵戦力の規模が、今のところログナーの予測範囲内であった事と、敵艦の指揮官がMSを発進させるタイミングを誤ったことであった。もし、もっと配備が進んでいたら・・・ニューデリーがグリプスに配備されていたら・・・そう思うと自分たちが幸運であったことをログナーは痛感する。
「観測班から連絡、エストック隊がこちらに向かっているらしいとのことです」
 ミカからの報告を聞いて、ログナーは少し安堵した。味方を見捨てて撤退するのは御免だった。そうしなくて済み、しかも全員がこの危険な任務から生還できた事は、指揮官としては喜ぶべきであった。
「後退速度は現状を維持、フランベルジュ隊をまず収容しろ。」
「了解、フランベルジュ隊、コーネリア中尉!速やかに帰投して下さい!」
 ミカがナリア機に通信を送る。フランベルジュ隊のMSはティルヴィングのすぐ側を警戒しながら滞空していたため、ミノフスキー粒子の影響を受けずに連絡を取ることが出来た。
「了解、帰投するよ、アルツール、マチス!」
「了解!」
「了解」

 その10分後、エストック隊はティルヴィングに帰投することが出来た。全MSを収容した後、ティルヴィングは180度回頭し、最大船速でサイド7宙域を離脱することに成功した。ティルヴィングの速度がサラミスより速いことも撤退が成功した原因の一つであったが、敵部隊の迅速ならざる対応に救われた勘がある事が否定できなかったのは、クルーの誰もが認識する事実である。
 結果としてショール・ハーバイン達は、自分達が見たグリプスについてを明瞭に報告できなかった。この不明瞭な報告はログナーによってエウーゴ参謀本部にそのまま提出されたが、それほど重要視されなかったことが後に悲劇を生む母胎となったのは、歴史が知るとおりである。


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