第06章 結 末(後編)

 ゼダンの門壊滅以後、サイド7の宙域はまるで嵐が過ぎ去った後のように、静かであった。今のサイド7周辺にはティターンズのまとまった戦力が残っておらず、エウーゴもアクシズもこの宙域に関心を示さなかったからである。その静寂を利用して、サイド7へ侵入している艦があった。サラミス級巡洋艦ニューデリーがその名前である。

 宇宙世紀0088年2月15日20時40分・・・グリプス1の要塞にモートン少佐が幽閉されているという情報を入手したクリック・クラックが提案した救出作戦が、実行された。ニューデリーからはフェリスのバーザムとラファエルのマラサイが出撃していた。作戦の提案者であったクラック本人は、ラファエルのマラサイに同乗してグリプスまで送り届けられる手筈である。2機のMSがグリプスのを目前に捉えたところで、グリプスから防衛部隊のMSが6機も出撃してきたのは、クラックの計算外であった。ニューデリーもグリプス1も、ティターンズの管轄下にある。だがグリプスの防衛隊指揮官は躊躇せずにMSを発進させていた。
 グリプスの防衛部隊がニューデリーの意思を察してのことではなく、ニューデリーが通常通りの管制に従った入港手続きもとらずにMSを発進させた事で、ニューデリーを敵とみなしたのである。クラックは、初めから正式な入港手続きをとれば無用な嫌疑を掛けられずにグリプスに入れたであろう事など、承知の上だった。その上でこういう方法を採ったのは、気まぐれではない。
 クラックはティターンズの部隊から反逆者として扱われる事をこそ、狙っていた。その事実がモートンの救出や今後の連邦正規軍としての立場を確立することを、正当化すると睨んでいたのだ。だからこそ、わざわざこんな好戦的な手段を執ったのである。
 ティターンズは各地に配備されていた戦力を糾合して、サイド2に移動していたグリプス2コロニーレーザー付近の宙域に集結しつつあった。エウーゴ、そしてアクシズとの最終決戦に臨むためである。その糾合された戦力の中にグリプス1に配備されている機動戦力も含まれていることは、誰でも予想できた。どの勢力もグリプス1に手を出さなかったのは、グリプス1を今更制圧したところで、メリットが何もないからである。
 クラックはグリプスに最低限残されるであろう戦力の”最低限”を、見誤っていた。フェリスはティターンズでもかなり優秀な部類に入るであろうパイロットだから、そうそう簡単には遅れをとらないと思っている。だが、潜入したからには還らなくてはならない。決して片道切符であってはならないのだ。それを考慮すると、クラック達の帰りの安全は確保されるべきであった。引き返すことは最早許されない。だからクラックは、せめてラファエルが合流するまでフェリスが持ちこたえてくれる事に賭けた。
「ラファエル、フェリスを助けたい。だからこそ、オレを早くグリプスへ!」
「判ってる!お前を降ろしたらすぐに援護に向かう。」
 ラファエルのマラサイは出撃してきたハイザックとジムIIの部隊の脇をすり抜けていった。妨害を受けなかったのは、フェリスの的確な射撃による援護があったからこそである。
「いけそうだな、急げ!」
 フェリスは叫んで、反撃に備えて再び回避運動に移った。勿論、敵部隊とマラサイの間に割り込むことも忘れていない。
(お前の闘いの行方を見届けさせてもらうぞ、クラック・・・)
 マラサイが全速力でこの場を離脱していくのを横目で一瞥して、フェリスはクラック達の無事を祈った。

 ラファエルのマラサイがグリプスのエアロックのひとつに取り付いたのは、1分後だった。コックピットが開くと同時に、クラックがエアロック内に侵入していく。それを見届けた後、マラサイはすぐにその場を離れてフェリス機の援護に向かっていた。モートン救出を終えて戻るときは、信号弾を打ち上げればいい。正直、クラックはひとりで不安だった。エネスが隣りにいさえすれば、どれほど心強かっただろうか・・・クラックは無意識にそんな考えが浮かんでいたが、それに気付いて頭を振り、それをうち払った。
 モートンが幽閉されている施設の場所は判らない。事前に入手した情報には、グリプス内部に関しての情報は一切含まれていなかったのである。しかし、クラックはグリプス1内部に全く精通していないわけではない。モートン拘禁劇、エネスの離脱の後も、ニューデリーはグリプスを中心に哨戒任務を行っていた。任務のない時にはグリプス1での待機を命令されていたので、港湾部周辺の地理には詳しかった。港湾部を抜けていく途中に、MSの格納部らしき場所が廊下のガラスから、見て取れた。中には10機のMSがデッキにあり、クラックはまだ防衛戦力が存在した事に驚いたのと同時に、脱出時に利用できると記憶にとどめておくことにした。その後はMSの機種の判別にまでは気を回さず、中心部へと進んでいった。
 クラックはとりあえず、誰でも良いので人を捜した。グリプス1に捕虜収容施設などがあるという話を聞いたこともなく、モートンが幽閉されてそうな場所に見当をつけて探索するか、兵士に尋ねるかしかない。グリプスのような大規模な基地内なのだから、歩哨や他の兵士に出くわさない方がおかしい。そのクラックの考えは、すぐに現実のモノとなった。
 クラックは警戒しながら進んでいた。一応所属はティターンズでティターンズのパイロットスーツを着用しているのであるが、敵襲の報は基地内に知れ渡っており、不審に思われてもおかしくない状況だった。そもそも敵襲の警報が鳴っているというのに、パイロットスーツを着た兵士がMS格納ブロックの反対側へ向かっていること自体、不信極まりないのである。すぐに歩哨のひとりを見つけた。
 クラックがモートンのいる個室の官舎まですぐに行けたのは、まさに幸運であったと言える。クラックが銃を突きつけて脅した兵士が、モートンの幽閉されている部屋の見張りをしたことがあるらしく、その部屋までの近道を知っていたのである。ドアの前には見張りがひとりいたが、連れてきた兵士を殴って昏倒させ、その見張りもすんなり片付けてドアを開けた。中にはひとりの男がベッドに寝転がっていた。
「少佐、モートン少佐・・・」
「ん・・・差し入れなんて初めてじゃないかと思ったら、クラックじゃないか・・・」
「もうここにいる必要はありません。ニューデリーに戻りましょう。」
「そうか・・・まぁ色々あったそうだな。話はニューデリーに帰ってからゆっくり聞こう。」
「オレ達の情報が入ってたんですか?」
(妙だな・・・幽閉と言うからには情報が入っていないはずだと思ったんだが・・・)
 モートンは全体の戦局どころか、ニューデリーの動きの詳細を聞き知っていた。これはバスクが意図的に情報封鎖を行わず、モートンを精神的に追いつめようとした嫌がらせの一環であった事は、モートンも既に気付いていたのである。それを聞いて、クラックは納得した。


 2人はクラックが来た道を戻る道順を進んでいた。途中でクラックが時計をみると、グリプス潜入からおよそ10分が経過していることが判った。戦闘というのは規模にもよるが、10分もあれば大概は片が付いている。だが・・・クラックは来る途中でみた第二、第三の機動戦力を思い出して、気をはやらせた。港湾ブロックが間近に迫ってきた頃になって、窓から戦闘の光らしき閃光を目にした。まだ戦闘が続いていたのである。
「少佐、MSを奪取して、ニューデリー隊と共に引き上げます。」
「それなら、丁度良い機体がある。格納庫へ急ぐぞ。」
 モートンはすぐさま、クラックを格納庫へと先導した。ふと周りを見回してみると、まだ1小隊分の戦力が格納庫に残っていた。戦力をチマチマと逐次投入して敵襲に対処するのは、素人のやり方だ・・・かつてエネスに教わった事を思い出して、フェリス達が持ちこたえてくれたのだと直感した。
「この機体だ。」
「この機体ナンバーは!」
 クラックは驚くしかなかった。

「チマチマチマチマと、鬱陶しいったらありゃしない!」
 フェリスはぼやくような叫びと共に、ジムIIの攻撃をかわした。すぐ横にいるラファエル機をチラリと覗いてみたが、自分のバーザムと同じく損傷らしい損傷はなかった。敵の無能さに感謝した。隠し持っている防衛戦力を一挙に投入されていたら、一時後退を余儀なくされたかも知れない。しかし指揮官は2機というこちらの数に油断したのか、最初の6機が苦戦しているとみた途端に差し向けた増援は、3機だった。実力差や性能差があるとは言え、この数ではちょっと手を焼く。フェリス達が撃墜したのは3機だけで、まだ敵戦力は充分に残っている。
「これならクラックが戻って来る頃には・・・」
「油断するな、敵の指揮官はもうじき第三陣もすぐに投入してくる・・・クラック、まだか!」
 ラファエルとフェリス機は密集して、やや防御に重点を置いた戦闘を仕掛けた。その時である。
「・・・?」
「新手かッ!?」
 しかしグリプスからでてきた新手の1機は、フェリス達を包囲しようとしたハイザックとジムIIのちょうど中間で、フォーメーションを維持するべきポイントへと射撃していた。
(どうみても敵の行動とは思えない。とすれば味方・・・クラックがMSででてきた?)
 フェリスの勘は、当たっていた。でてきたMSはティターンズカラーとは微妙に違う濃紺で、ジムIIに攻撃を仕掛けながらも自分の方へと向かってきていた。MSの機種をコンピュータで識別してみる。
「ジムクゥエル・・・クラック、あんな旧式を!」
「良い加速だな・・・マラサイ以上の扱い易さだ!」
 クラックは明らかに、興奮していた。エネスがかつて使っていたこのジムクゥエルカスタムを、いまは自分が使っている・・・これを使いこなせば、自分はエネスに近づける、その想いが、クラックを鋭敏にしていた。ビームライフルは的確に、ハイザック1機を瞬時に捉えていた。
「フェリス、作戦は成功、撤退する!」
 エネスカスタムのジムクゥエルからワイヤーが伸びて、バーザムとの接触回線を開く。
「了解だ。」
 ラファエル機に向けて、バーザムは撤退信号を出した。

 アイリッシュ級宇宙巡洋艦準2番艦ティルヴィングは、そこから地球を挟んで遙か彼方にあるサイド3と月を結ぶ航路上の宙域を航行していた。エストック隊、フランベルジュ隊が出撃して数分が経った今となっては、ティルヴィングのすべきことは戦闘終了後の兵員の回収のみである。だが・・・
「今、前で何か光ったよな?」
 エネスが打ち上げた緊急の信号弾を最初に見つけたのは、操艦を担当しているサミエル・ハンガー伍長であった。それを見つけた後、右手に座っているミカに小さく声をかけた。
「戦闘の光じゃないの?」
「いや・・・」
 ティルヴィング自体が戦闘を行っているわけではないが、命令外とは言え作戦行動中である。自分の目の前でボソボソと私語をされては困る・・・ログナーは顔をしかめた。
「なんだ?」
 明らかな不快感、今のログナーの心境を一言で表現するとしたら、その言葉が適当であっただろう。ミノフスキー粒子の影響で遙か前方での戦況が判らないことが、それに拍車をかけていた。
「いえ、前方に戦闘の光とは違う光が一瞬上がったのですが、距離が遠すぎて判別がつきません。」
「作戦終了の信号弾が上がるには、まだ早すぎるな・・・緊急の信号かも知れん。第一船速で直進だ。MS隊を追いかけるぞ。」
 ログナーにも正直言って、緊急であるという確信はなかったが、物事は用心するに越したことはない。慎重な側面を持つログナーらしい判断であったので、クルー達はその指示に即応した。
「艦長、ファクター大尉との通信を確保できました。」

「おい、なにか緊急らしいぜ?」
 MSデッキで、メカマン達が何かソワソワして動き回っていた。これからすぐにMSが帰艦してくるという艦長から通達を受けての事である。チーフメカニックであるエリナも当然、その通達を知っていた。メカマン達にも作戦の内情がある程度知れ渡っていたので、そのあまりに早すぎる帰艦を不審がる人間がでたとしても、不思議ではなかった。それにしても、エリナはそこはかとない不安を覚えているのを自覚していた。
 5分ほどが経って、ティルヴィングに所属する全てのMSが帰艦していた。帰艦してきたMSは7機・・・本来、それは全機生存を意味するはずであったが、エリナの漠然とした不安が現実のものとなるのは、直後の瞬間だった。エリナはいつも、真っ先に白いリックディアスを出迎えていた。自分の夫の帰りを誰よりも先に迎え、誰よりも最後に見送るのがエリナ・ヴェラエフという女性だった。そして、夫の機体を1から10まで全て知り尽くしているのが、エリナである。
 そのエリナが、すぐにショールの『死装束』の頭部だけが綺麗になくなっていることに気が付いたのは、ごく当然であった。エリナは、何も言えなかった。無言で走り出して、ショール機のコックピットがあるべき場所を、より近くで凝視した。
「・・・・ウソよ」
 エリナ他のMSの方向を、あちこちと見回した。
「エリナ・・・」
 エネスのネモは半壊しており、右足と右腕がなくなっていた。エリナが最初にみたのは、そのエネス機の残った左腕である。
「エリナ、脱出ポッドは・・・」
 エネスはこれ以上は怖くて、言えなかった。言ってしまえば、自分とエリナの共通するある意識を、自分で否定してしまうことになるからだ。エリナはネモの左手に何も握られていないのを知ると、レイのリックディアスの方向へと走り出そうとした。
「あの人が死ぬわけない!私の胸の中で死ぬ、こんなくだらない戦争で死んでたまるか、あの人はそう言ったのよ。あの人は私にウソを言ったことがなかったわ!今までも、これからも・・・」
 立ち止まったエリナの声は、確かに震えていた。涙声であった。しかしエリナは半分怒っているのだと、エネスは理解していた。
「もうよせ!よす・・・んだ・・・」
 エネスには、エリナを背後から抱きしめる事しかできなかった。両腕をエリナの肩から回して、首の前で腕が交差する。その腕に滴り落ちる涙は、これまでなんとか平衡を保ってきたエネスの心にも響いた。エネスが人のために涙を流すのは、かつて自分の失敗で親友であるショールを生死の間に追い込んでしまった時以来であった。エネスは心の中で叫んだ。これが貴様の戦う先にある結末なのか・・・と。

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