第26章 忘れられた男

 グリプス戦役が終了した今もなお、グラナダにひとりのティターンズの兵士が潜伏していた。男はティターンズのバスク大佐から命令が下されてから新しい命令が来ることもなく、ただ月に滞在していた。連邦軍内からティターンズが消滅しても男は原隊に復帰せず、反連邦活動をしているわけでもなく、ただ滞在しているだけだ。連邦軍のとある経理担当者は、男が滞在していたホテル”スヴァースズ”からの請求書を、内示を調べるまでもなくただ支払っていた。
 一時的にとは言え、ティターンズは連邦正規軍にまで成り上がったことがある。その時に下された月への潜入という命令はそのまま正規軍の正式命令として扱われていた。その命令が極秘扱いであったがために、経理担当者は何ら不審に思うことなく、その男の滞在費用を支払わされていたのである。請求が回ってきたと言うことが、その命令が今もなお実行されていることの唯一の証明であったがゆえに、その担当者からしてみれば支払わないわけにはいかなかったのだ。
 男はこの半年間を、かつて自分が個人的に興味を持っていた女性の探索と月面の情勢の情報収集に明け暮れていた。ティターンズが消滅したことで、バスクからは新しい命令が届くわけでもない。かといって最初の命令が極秘扱いだったためにその内情が正規軍にも知れず、連邦軍からは新たな命令を下せない状態にあったのが実際の話であった。それゆえ、ティターンズがなくなったと同時に、男は自分がすることもなくしてしまっていた。
「ナタリー・ニールセンか・・・彼女がグラナダ基地にいることまでは突き止めたが・・・」
 男、アルベルト・リンドバーグは呟いて見せたが、ホテル”スヴァースズ”に長期滞在している部屋には彼以外に、それを聞く人間はいない。ナタリー・ニールセンとは、イーリス・リィプスが月に移送されるに従って発行された偽の身分証の名前であり、彼はイーリスをナタリーと呼んでいた。
 ここまではナタリーを探すのに躍起になっていたが、ここまで物事に固執するような人間ではなかった彼をそうさせるほどの魅力が、あのひとりの少女のどこにあったのだろうか?・・・それは、初めて会ったときに感じた確固たる意思と優しさであると、リンドバーグは確信している。
 では、仮にナタリーを見つけることができた場合、彼は自分がどうしたいのか・・・それも自分の中では、形になっていた。そしてリンドバーグは、ホテルを出てリニア・トレインでグラナダ市へと向かった。

 宇宙世紀0088年3月26日12時24分、ナリア・コーネリア中尉が戦死   この報告は、日付が27日に変わってから10時間が経っても、静止衛星軌道で待機しているティルヴィングには届いていなかった。本来なら、このような重大な報告はすぐに届けられて然るべきものであったが、エネス達はこの報告をすることが出来なかった。なぜなら、今この時間にカラバのノルウェー基地付近で繰り広げられている戦闘にエネスとファクターが参加していたからであった。
 クレイモア隊のメンバーで唯一、月に残っていたのは、レイだけであった。レイは2週間前の戦闘で重傷を負って、グラナダ市内の軍病院に入院していたのである。ティルヴィング艦内の病室と違って、グラナダ軍病院の病室には見舞いの花がベッドの側にいけてあった。その花をいけたのは、付き添いに同行したイーリス・リィプスである。
(レイさんの退院が1週間も早まってしまった・・・無茶をしなければいいけど・・・)
 病室の主は、今この場にいない。レイの骨折した箇所が腕と肋骨だったので、肋骨の方がある程度繋がってしまうと、歩くことにそれほど苦を感じなくなってくるものだ。レイは今、病院の食堂までコーヒーを飲みに行っており、イーリスはベッドのシーツ交換や花瓶にいけてある花を取り替えたりといった作業をしながら考え事をしていた。その直前に主治医が来て、退院のことを聞かされていたのである。
 レイに下された診断は全治2ヶ月というモノであったが、それは入院している期間が2ヶ月であるというわけではない。入院の期間というのは、自立した日常生活が行えるレベルになるまでのつなぎに過ぎない。
 イーリスがレイの退院に不安を覚えていたのは、歩けると言ってもまだ腕の方が完治していないので、また無茶をしてしまうのではないか・・・と思ったからである。退院が早まるのは、当然ながら良いことなのだ。
 出掛けてから30分ほどが過ぎた頃になって、レイが病室に戻ってきた。
「レイさん、退院が早まったんですって。」
 レイがどうするかはともかく、このことはやはりすぐに報告しないわけにはいかなかった。
「へぇ・・・オレが大人しくしていたおかげかな?・・・」
 イーリスは、それが冗談であることを祈った。この2週間というモノ、看護婦にちょっかいは出すわ病室で酒を呑むわで、模範的とは言わないまでも患者としての私生活は酷いモノだった。あちこち動き回らなかったのは、治りが遅くなるような行動だけは絶対に避けなければならないという義務感を抱いていた医学生、イーリスの努力によるモノである。イーリスの視線は、無意識に疑惑のそれに変わっていた。
「いや、その・・・冗談、冗談だって。ははははは・・・」
 それから数分、2人に言葉はなかった。イーリスがレイに対して怒ったわけでもなく、ただ切り出す言葉が互いに見出せなかっただけだ。
「外を歩くか・・・ここは空気がこもっててダメだな。」
「ええ・・・」

 都市といってもコロニー内とは比較にならないほどに狭いグラナダ市の規模から察することができるように、病院の庭もコロニーや地球のそれよりはやや狭かった。しかし、患者や訪れる人々の憩いの場としての機能は微塵も損なわれておらず、昼下がりのひとときを穏やかに過ごしたいという欲望を満たすには、それで十分だった。
 レイとイーリスは、そんな中を静かに、そしてゆっくりと歩いていた。レイは未だ、吊してある右腕にはギプスが巻かれており、脇腹にも薄いプラスチック製のコルセットを念のためつけさせられている。その姿は痛々しいとすら思えるのだが、レイの表情だけは、そういった外見の印象を払拭させていた。
 そのレイが、痛む右腕のことを無理やり忘れてまでイーリスを散歩に誘ったのは、イーリスが先程から自分に何かを言いたげな表情をしていたからであった。そして、今のイーリスの表情もその時と同じだった。
「・・・レイさん?」
 ここからは冗談を言うときではなさそうだ・・・イーリスのかげりを帯びた表情から、レイは察していた。いつもは飄々とした態度をとっているレイは、決してそういう分別のない人間ではない。
「・・・ん?」
「あなたは、兄さんとは全然違う・・・あなたなら他の道もあったはずなのに、なんで軍隊になんかにいるの?」
「そりゃまた、唐突だねぇ・・・ま、戦争が嫌だから、かな、巧く言えないけど。」
 イーリスには、このレイの言葉が理解できなかった。戦争が嫌なら尚更、軍人になった理由の説明にならないはずだ。少し飛躍しすぎたか反省して、レイは補足した。
「モビルスーツがあったらさ、核とか使わないで戦争ができるだろ?オレは、何も壊さずに戦争を止められるモビルスーツを作りたくて、パイロットになったんだよ。なにも知らない技術屋では、死地に赴く軍人のことを考えずに機械を作ることしかできないからねぇ・・・」
「何も壊さずに戦争を?」
「そんなの無理だ、な〜んて思ってるだろ。そりゃ無理かも知れないけど、だからって所かまわず破壊しているのを、黙ってみていることができる?」
「・・・・・・」
「だろ?そりゃモビルスーツを使う以上は、敵の軍施設なんかは壊さなくちゃならないときもある。でも、その時は軍施設だけだ。お偉いさんは人を数字上のことでしか判断できないけど、ひとりひとり、みんな生きている。みんなそれぞれの人生があって、それぞれの表情がある。それだけは絶対に壊したくないんだ・・・だから戦争が終わったら軍なんてさっさと辞めて、呑気に暮らしたいんだ。」
「兄さんも、同じ様なことを言ってた・・・死ぬのは兵士だけでいいって・・・」
 そのエネスの考えは、以前にショール・ハーバインから聞いていた言葉ともまた、よく似ていた。確かにみんな似たような考えこそあるが、その根底にあるものはそれぞれが違うものだ。レイはかつて出会ったジオンの兵士とのことがきっかけだった。ショール・ハーバインなどは、一年戦争での戦闘に巻き込まれて両親を亡くしていると聞いていた。
「ま、そういう思想じみたことを言うつもりはないけど、オレが今目指しているのは、もっと違うことなんだ。」
「どう違うの?」
「オレは人殺しの道具でしかないモビルスーツを、破壊じゃなくて、もっと人のためになる使い方を示したいんだ。オレがアナハイム時代に世話になっていた、ハヤサカ主任の影響なんだけどね。”破壊のために作られたものなら、それを創造のためにも使えるはずだ”・・・あの人はああ言ってた。」
「破壊と創造は表裏一体ってこと?」
「ま、そんなところかねぇ・・・薬だってもとは毒ってのが多いんだ、それと同じだよ。」
「そう・・・でも、よかった・・・」
 イーリスの表情に次第に安堵の色が浮かび上がっているのが、レイにもなんとなく理解できた。
「なにが?」
「レイさんが、優しい人で・・・」
 そう言われてしまっては、レイは何も返せなかった。


 レイとイーリスは夕方頃になって病院の中庭での散歩を終えて病室に戻ったが、レイにとってはまだ動き足りなかった。元々アクティヴなレイが2週間もロクに歩いていなかったのだから、それはやむを得ないのかも知れないとイーリスは思っていた。だからイーリスは主治医に外出許可を求め、許可を取ることに成功した。さしものレイも、イーリスのいざというときの強さの片鱗を見た気がした。
「なんっていうか、認めさせたって感じだねぇ。」
 初めて病院の外に出られたことで機嫌良く笑いながら、レイは心からの賞賛の言葉を17歳の少女に贈った。普段から大人しい人物ほどムキになったときは怖い、という実感があった。イーリスはというと、少し照れながらもそれに微笑みで応えていた。色白なので、少しでも顔が紅潮するとすぐに顔に出てしまうのを、イーリス本人も結構気にしていることではあった。
(結構可愛い笑顔するじゃないの・・・勿体ない)
 ”勿体ない”というのは、今この時点でイーリスを自分の食指の範疇に入れられないことを言っている。もしたった今イーリスに手を出せば、レイはナリアとエネスという2人の優秀な戦士から殺意を向けられかねない状態にある。イーリスの恥ずかしげな笑顔は、一瞬でもそれを忘れさせるほどに魅力的だった。
「ま、まぁ歩くだけってのもアレだし、時間も時間だから・・・メシでも喰いに行こうか。」
「そうね・・・病院食にもそろそろ飽きてきたでしょうし。」
「店はもう決めてあるんだ、イタリア料理なんてどう?」
 言われてイーリスは、ふとレイの右腕に視線を投げかけていた。イーリスの目が”その右手でどうやって食べるのか”と聞いていたのを、レイは察した。
「あ・・・美味いハンバーガーショップ、この辺にあったっけか?」
 そんな会話をしている2人の道路向かいに連邦軍の制服を着たアルベルト・リンドバーグがいたことは、後々に2人が偶然ではないと思わせるほどに、運命的だった。

「ナタリー?」
 車が途切れた瞬間、リンドバーグの頭は真っ白になる寸前にまでなっていた。我ながら素っ頓狂な声だと思えるほどに大きな声で、イーリスの仮初めの名前を呼んだ。
「あなたはッ!?」
「お前はッ!?」
 呼び方こそ違えど、レイとイーリスの驚愕の声はシンクロした。すかさずリンドバーグが走り寄ってきた。
「ナタリー、探しましたよ。」
「お前、まだ月にいたの?」
 無言でいるイーリスに代わって、レイが尋ねた。レイもまた、フォン・ブラウン市でイーリスを保護したときにショール達と同行していたので、リンドバーグの顔は知っていた。
「うるさい、お前など知らん!ナタリー、私と”スヴァースズ”に帰りましょう。」
 今度はイーリスの頭の中が、真っ白になる番だった。この男の時間の感覚は、一体どのような構造をしているのだろうか?
「ティターンズはもうないのに、あなたは・・・!」
 言いかけたイーリスの右手を取ろうとしたリンドバーグに、レイがいきなり右腕のギプスを顔面にぶつけ、鈍い音と共に前歯を宙に飛ばしていた。
「怪我人だからって、ナメてんじゃねぇよッ!」
 後ろ向きに倒れたリンドバーグを数度に渡って蹴りつけたレイは、馬乗りになってギプスで殴り続けた。最早、腕の痛みなどは二の次だ。
「この・・・邪魔しやがってっ!!」
 レイは明らかに激昂していたが、それを見ていたイーリスは、レイを必死に止めにかかっていた。
「もう良いでしょ、やめて!」
「こいつは、お前を・・・!」
「あなたの腕を心配しているの。せっかく骨が繋がり始めてきたのに、ここで再骨折させるわけにはいかないわ!」
 それは、医学生としての発言であった。その客観的な言い方がかえって、レイの興奮を覚ますことになった。
「でも、このままこいつを生かしておいたら、またお前が危険な目に遭うぜ?オレがエネスなら、とっくにこいつを殺してる所だ。」
 リンドバーグにもしっかり聞こえるように、レイは大きく言った。それが聞こえたのかどうかは、2人には判らなかった。コンクリート並に固くなったギプスで何度も顎を殴られては、意識を失ってもおかしくない状況だったからだ。
「いいの、もういいのよ。さぁ行きましょ。」
 レイの左腕を強引に引っ張っていくイーリスは、何かしら焦っているように見えた。一刻も早く、こんな変な状況から逃れたいのだ。
「オレの女に手ェ出すんじゃねぇ!」
 と言い残して、レイはイーリスの誘導に従ってこの場を去った。

 結局2人は、近くのハンバーガーショップでテイクアウトのパックを注文すると、そのまま病室へと持ち帰ることにした。道中、レイはチラチラと後ろを振り返る素振りを見せたが、どうやらリンドバーグは尾行してきていないようだった。実際には、リンドバーグは未だ顔面血まみれで倒れており、既に意識を失っていた。
 病室に帰った2人は、病院の食事よりやや遅れた時刻になって、ようやく食事を採る踏ん切りがついた。
「でも、あの人・・・なんで私にこだわったんだろう?」
 自分などにかまわずに自分のすべき事を考えれば、こんな無意味なことをしなくて済んだはずだと付け加えた。
「あれ、わかんなかった?」
「判るんですか?」
「そりゃぁね。」
 含み笑いを見せながら、レイは言った。
「イーリスは、そこいらの女とは違うからさ。」
「・・・?」
 いぶかしんだので、レイは続けた。
「惚れられた方にしたら迷惑も良いところだけど・・・ま、一度惚れたら突っ走るんだろうさ。しかしアイツも、羨ましいくらいに暇だねぇ・・・」
「・・・・・・」
 レイの言いたいことが判って、イーリスはただうつむくしかなかった。レイの言うとおり、迷惑な話だと思ったからだろうか。一瞬レイは思ったが、すぐにそれが違う理由からだというのが判った。
「あ、最後の”オレの女”ってんは、気にしなくて良いから・・・そうでも言わないと、つきまとうだろ?」
「・・・そうね。」
 一瞬だけ気まずい雰囲気が漂ったが、それを突き破ったのはベッド横の通信端末の受話器が鳴らしたコール音だった。イーリスがそれに応答した。
「はい・・・イーリスです・・・えッ!?」
 イーリスが受話器を急に取り落としたので、それを拾ったあとに何事かとレイは思って、イーリスの表情を鑑みた。どうみても尋常な雰囲気ではない。外線からの連絡らしかったが、既に切れていた。
「どうしたの?」
「・・・・・・」
「黙ってちゃ、わかんないでしょうが。」
「ナリアさんが、戦死・・・」
「・・・なッ!?」
 レイは、自分の耳を疑うしかなかった。

第26章 完     TOP