第31章 礎の地
宇宙世紀0088年5月から7月に入るまで、少なくとも表面的には、ネオジオンが大きな動きを見せることはなかった。グリプス戦役の時のティターンズがそうであったように、戦略的状況に劇的な変化が訪れる前は静かになるというジンクスがあるのか、とエネスは思っていた。
そのエネス達とて、いつまでもエリナの精神状態だけに意識を向けることは許されなかった。ネオジオンが秘密裏に色々と動き回っているという情報を得たロレンスが、その真偽を確かめたがったのである。ネオジオンとエウーゴの間では宇宙での小競り合いが幾つかあっただけで、表面的には膠着したように見えていた。
しかし、それでロレンスが得た情報の信憑性がなくなったわけではなかった。幾度かに及ぶネオジオンの部隊との遭遇の結果、少しずつではあるが、各コロニーサイドに散った部隊のいくつかがアクシズへ帰還するコースをとっているのではないかという推測が生まれたのである。
それはクレイモア隊のみならず、エウーゴ全体としても看過できないことだった。3月に地球に降りたシンドラの行動と今回のネオジオンの動きというジグソーパズルが、ここで綺麗に組み合わさる。つまり、ネオジオンが本格的に地球降下を敢行する日が近付いているのではないか、ということである。
実際、その推測は正しかった。クローネらネオジオン軍の主要幹部には、5月の時点でハマーンから地球降下作戦の通達があった。7月中頃を過ぎて本格的に各地の戦力がアクシズに結集し始めると、ハマーンを最高位に戴く司令部は旗艦サダラーンを中心とした艦隊への編成を開始、長い準備期間を経て、1ヶ月後には地球降下作戦を実行する手筈になっていた。したがって、ネオジオン軍の中枢のあるアクシズ周辺は、多忙と混乱を極めていた。
サイド2への残留を決定したクローネのシンドラ隊は、そんな混乱とは無縁でいられた。しかし、クローネとてハマーンが不在の間に何もしないのかといえば、決してそうではなかった。アクシズ周辺が騒がしくなり始めた頃、クローネは思いも寄らぬ客の訪問を受けたのである。それをクローネに告げたのは、先のグレミーの訪問を受けたときと同じくグァラニだった。
「またオレにご指名のお客さんか・・・世の中には物好きが多いんだな。」
「世の中を動かすのは英雄ではなく、物好きなんでしょうな。」
グァラニには、苦笑しながら肩をすくめることしかできなかった。ネオジオンそのものではなくクローネに忠誠を誓ったグァラニ自身も、物好きの極致と認めざるを得ないからだ。
「・・・で、今度は誰なんだ?」
「はぁ・・それが、”会えば判る”としか仰られなかったモノですから・・・」
「チッ・・・最近は、どうも曰くありげな訪問が多いな。まぁいい、通してくれ。」
「了解です。護衛はどうしましょうか?」
回答は恐らく否であろうことは容易に想像できたが、一応聞いてみることにした。
「いや、オレに引っ付いている必要はない。人がいては話しにくいこともあるだろうからな。」
「解りました。とりあえず部屋の入口に見張りを立たせておきましょう。」
この辺の段取りの良さはさすがだと、クローネは感嘆していた。自分が何も付帯条件を出さなくとも、この男は文字通りの右腕として動いてくれるのだ。クローネは、この男を得ることができたと言うだけでサイド2に来た価値があった、とすら最近は思えるようになっていた。その後すぐ、グァラニと入れ替わりに男がひとりで入室して、敬礼した。
「久しぶり、クローネ大尉。私を憶えているか?」
男はやや鷹揚な口調で、クローネの記憶力を値踏みした。
「当然だろう、ユリアーノ。君はオレの数少ない友人のひとりだったじゃないか。」
入室してきた男の名は、ユリアーノ・マルゼティーニといった。かつて、クレイモア隊に独自に接触をしてきた反連邦組織”ピクシー・レイヤー”の首領だ。
「終戦間近に姿を消したと聞いていたが、生きていたのだな。」
ユリアーノはジオン公国軍の軍人だったが、その履歴書には軍への在籍の前にもうひとつ、地球連邦軍少尉という項目があった。つまり、彼は連邦から転向したのだ。一年戦争がジオンの敗北で終結を向かえようとしていたそのとき、ユリアーノは忽然と身を隠した。その理由は、連邦とジオン、双方からの報復の対象としての亡命者という宿命が降りかかりつつあったことを察知したからであった。ジオンから見ればもともとの敵、連邦から見れば裏切り者、どちらにしてもユリアーノは危険な立場に置かれることになる。それではということで、連邦の役人である旧友を頼り、自らの戸籍を捏造してコロニー各地を放浪することにした。その中での活動の成果が、”ピクシー・レイヤー”であった。
「ま、色々あってな。」
「・・・まさか、思い出を語り合うためだけに来たのではないんだろ?」
クローネは、遠回しに話の本題に入るように急かした。
「もちろんだ。相変わらずハマーンとは犬猿の仲のようで、ほっとしたよ。きょうは友人ユリアーノとしてではなく、反連邦組織のリーダーとして話をしに来た。」
ユリアーノが何を提案しに来たのか、クローネは察した。ネオジオンの中でももっともハマーンから遠い存在として自分が目を付けられるのは、グレミーとの会見でもハッキリしたとおり、当然のことだった。
「それで、お前はオレに何を期待しているんだ。グレミーも同じ様なことを言ってきたが、断ったぞ。」
「当然だな、お前はサビ家というのを心底嫌っていた。だが、私の提案はお前にとっても悪い話ではないと思う。」
「是非、聞かせて欲しいものだな。」
「お前は、エウーゴの中にクレイモア隊という不正規の部隊があるのを知っているか?」
思わぬ所から思わぬ名前が出た・・・クローネは無関心を装うわけにはいかなかった。
グラナダ基地で待命中だったログナーがロレンスからの呼び出しを受けたのは、7月20日の昼過ぎであった。最初は何事かと思ったが、とりあえず事務仕事を中断して、すぐにグラナダ基地の地下にあるロレンスの執務室を訪れた。
「ログナー中佐、入ります。」
「ご苦労。まず、これを読め。」
ロレンスは、デスクの引き出しから取りだした封筒をそのまま手渡した。ログナーにしてみれば中身の予想はついたが、聞いてみることにした。
「これは・・・?」
「先日のネオジオンの動向調査と、例の地球での調査に対する、参謀本部の見解を示したモノだ。この書類は機密事項だから、他言無用だぞ。」
それこそ、ログナーが予想していたモノであった。ついでにいえば、その先に新たな任務の香りを感じてもいた。
「では、失礼します。」
中には数枚の書類が入っており、おおかたの中身はログナーの予想通りだったが、しばらく読んでいるうちに、驚くべき内容が記されているのを見つけていた。
「ハマーンから正式に地球での講和会見の申し入れがあった・・・」
「ダカールに降下してのち、ハマーンは連邦政府の閣僚達と何らかの交渉を行うつもりのようだ。」
「交渉?まさか、ジオンと取引など・・・」
「気持ちは解るが、現時点での本格的な開戦は得策ではない、というのが連邦政府の見解だからな。」
ログナーは言葉を失っていた。グリプス戦役のおり、エウーゴは一度だけネオジオンと取引をしたことがあった。ザビ家再興を認める代わりに、同戦役における共同歩調を持ちかけたのである。結果としてそれは失敗に終わり、エウーゴはティターンズとネオジオンというふたつの敵と戦わねばならなくなったのだ。つまりハマーンは最初から、ネオジオンによる地球圏統一を志向していたのである。
「連邦政府は、何も解っていない・・・」
「政府の連中は、エウーゴがネオジオンと交戦をしているのを、良く思ってはいない。」
「なぜです?」
「交渉に不利な状況を、できるだけ作りたくはないのだろう。政府はハマーンとの講和を望んでいる。」
ログナーは、背中が汗によって冷やされていくのを自覚した。建前はともかく、連邦政府がネオジオンに降伏するという隠された意味があるのではないか・・・と思えたからだ。
「それで参謀本部、いや、大佐は我々にどうしろと仰るのです?」
「8月1日付で、クレイモア隊はエウーゴの正式な機動部隊として正規の命令で動いてもらう。」
「それは・・・即答いたしかねます。」
「答える必要はない、これは命令なのだからな。」
(つまり、クレイモア隊が自由にしていると、何かと都合が悪いということか・・・)
ここにきてログナーは、自分達がエウーゴの隠された何かに巻き込まれてしまっているのだと気付いていた。エウーゴもまた、地球連邦軍なのである。
クレイモア隊の存在に変化が生じていたその頃、エネスはティルヴィングの中をせわしなく歩き回っていた。自分達を取り巻く戦略的環境に変化が訪れつつあって、エリナだけを気遣っている余裕がなかったのだが、エリナのことを忘れて他のことに意識を向けることはできなかった。
エネスは士官学校時代、親友であったショール・ハーバインとは愛する女性を同じくしていた。エリナの一途さを自分に向けて欲しいという願望は、確かにあった。しかしエネスは、ショール・ハーバインさえいなければ・・・などと、理想を同じくしている親友の存在を否定するようなことは一度もしなかった。ショールがいなかったら、エリナとの出会いはなかったからである。
ショールがエリナの側にいない今というときでは、むしろショールがいないからこそ自分がエリナを守らなければならない、という想いすら自覚していたほどだった。自分がショールにはなれないことを知った上で、である。そんなエネスが、平静を保つことは不可能だった。
(エリナは、シンドラで何をされたのだろうか?)
それは、エリナを回収してからずっと抱いてきた疑問である。エリナが昏迷状態に陥ってしまっている現状では、真実を知りようもない。想像は想像でしかないことは解っていた。しかし、少しでも仕事が途切れると、どうしてもその疑問が無意識に浮かんできたのであった。
軍医であるカンダの話では、昏迷状態の原因として考えられるのは”最愛の人物を失ったとき、もしくは信頼していた人物に裏切られたとき”なのだという。それを聞いたあとで、エネスは心当たりが思い浮かんでいた。エネスの想像が正しければ、その両方が同時にエリナを襲ったということになる。
そこから、エリナを精神的に追い込んだのはショールだという結論が連想されたが、エネスはそれを否定したかった。心情的な面だけではなく、否定するだけの根拠も決してなくはなかった。
シンドラのモビルスーツ隊と対峙したとき、エネスは一度だけそれらしいのとやりあったことがあった。そのパイロットの声とモビルスーツの機動はエネスの目にはショールにしか思えなかったが、それが本当にショールだったとしたら、ネオジオンに手を貸すことなど有り得なかったし、ショールがエリナを裏切ることも絶対に有り得ないと断言できた。
しかし、そんなエネスの疑惑に、新たなる問題が訪れようとしていた。考え事をしながら歩いているうちに、自然とエリナのいるメディカルルームへと足が向いてしまっていた。そのとき、カンダから呼び止められたのである。
「エネス大尉・・・ちょうどよかった。あなたに話がある。」
カンダの表情は、かなり切迫している様子だった。そこから、エネスはただならぬ雰囲気を感じ取っていたので、意識を現実に引き戻していた。
「何かあったのか?」
「エリナの身体について、言っておかなければならないことがある。」
それが良いことではないと言うことは、カンダの雰囲気から見れば一目瞭然だった。廊下で話をするわけにもいかなさそうだったので、カンダに促されるままにメディカルルームの入口をくぐった。
「実は、エリナの体調がここ1ヶ月の間、おかしいんだ。」
「どうおかしい?」
カンダは順を追って説明し始めた。エリナがティルヴィングに帰ってきてから2週間後、変調が始まった。看護していたイーリスがエリナに食事を採らせた数時間後、食べたモノを全て吐き戻した。それを報されたカンダは最初、それを心因性の胃痙攣かなにかと思ったらしかった。そのときはとりあえずの投薬で症状は収まったが、それは一時的なモノでしかなかった。更に2週間後、エリナの変調は思いも寄らぬ形で目に見えるモノとなった。
「つまり、その・・・」
「・・・良いから言ってくれ。」
エネスはこの時点で、首筋にナイフを突きつけられているような錯覚を覚えていた。だが、その正体が何なのかは、エネスにも掴みきれていなかった。
「つまり、エリナは妊娠している。」
「な・・・・・・!」
エネスがずっと抱き続けていた疑問の回答が、最悪のケースでないことを祈るしかなかった。ネオジオンで捕虜として拷問もしくは暴行を受けていたとしたら、そう思うとエネスの方は微妙に震えを帯びてくるのだった。
「何ヶ月になる?」
「まだ詳しくは判らないが、4ヶ月から5ヶ月になる。血液型はO型だ。」
それを聞いて、エネスは安堵していた。
「父親はショール・ハーバインに間違いない。時期的にも、受胎したのはショールがいた頃に合致する。恐らくはそうだろう。」
「・・・・・・」
カンダはひとつ、エネスに隠し事をしていた。最初の精密検査で、エリナの身体に暴行を受けた形跡が確認されたのだ。つまり、捕虜としての期間に暴行を受けていた場合でも、受胎した時期的に合致する可能性があるのだ。カンダから見れば、エリナの胎内に根付いた生命の父親を完全には特定できずにいるのであったが、それをエネスに言うべきか否か、判断しかねていた。
第31章 完 TOP