第41章 ショール・ハーバイン
宇宙空間を疾駆することによって得られる浮揚感と愛機との一体感は、ショール・ハーバインにとってはエリナと時間を共有できたときと同じくらいの至福であった。今更になってそれを意識していたのは、恐らくはこれが最後になるであろうという予感があったからである。
自分の生命が尽きかけているのを悟ったのは、ショールとしての記憶を内包したヴェキという自分の正体を知ったそのときだった。それと同時に、自分がショールからどの様にしてヴェキになったのかということも、無意識ながらに察していた。
(この機雷を爆発させて、敵を撹乱するのが作戦か・・・)
ティルヴィングから出撃した”もうひとつの『死装束』”は、前方のダミーと機雷群の存在を確認するとそれを迂回し、さらにその前方の戦闘によって生じるいくつもの光を目印に突進していった。
(これ以上膠着が続くと、機雷を使うタイミングを逸する・・・急がないと・・・)
敵艦隊から後続として3機のモビルスーツが出撃しており、それ自体はティルヴィングからでも確認することができていたが、ショールは事前にそれを漠然と感じていた。この増援の存在こそが、ショールの”嫌な予感”の正体だったのである。
その頃、エネス達は未だ苦戦の中にあった。コード・フリッカーの当初の予定では、散開して外側から敵部隊を機雷群に誘い込み、それらを爆破させることでモビルスーツ隊を殲滅するはずだった。これによって機動戦力を失った艦隊だけが残り、麾下のモビルスーツ隊もろとも母艦のティルヴィングが自爆したと錯覚させることができる。その結果、敵艦隊には苦戦の末になんとかクレイモア隊殲滅と誤認して意気揚々と帰還してもらうのである。ここで敵艦隊を全滅させてはならない。もし全滅させてしまっては、艦隊が帰還しなかったことで連邦軍上層部がクレイモア隊の健在を察知して、余計な詮索を生みかねないからだ。
しかし散開しようにも、12機のジムIIIという大部隊に先に包囲体勢に入られては、それが容易ではない。現状では後退しつつ相手の先頭集団の突出を招き、左右に空いたスペースを利用して散開するように動いているが、散開するタイミングが悪ければ全てを失ってしまう可能性があった。遅すぎれば機雷群を発見されてしまう上にダミーを使えなくなるし、早すぎれば敵部隊を機雷群のただ中に誘い込めなくなってしまう。よって、事は慎重に運ばねばならないのだ。
「・・・・・・」
エネスは緊張のあまりに背中を伝う汗の存在を自覚しながらも、持ち前の集中力でそれに惑わされず、ひたすらそのときを待っていた。敵の攻撃に対する反撃もそこそこに、クレイモア・モビルスーツ隊は密集しながら後退をしていた。
「レイ、数を減らしておけ!」
エネスは敵のビーム攻撃を回避しながらも、すぐ横にいたレイのマイン・ゴーシュに接触し、回線を開いた。
「オレひとりで?」
「貴様のマイン・ゴーシュなら、一旦敵部隊に向かって進んでもすぐに戻れる!」
「・・・迷ってる時間はなさそうだな、了解だ!」
レイはそれ以上の説明を受ける時間を与えられていなかった。それを承知していたので、すぐさま単機で突撃を始めた。もちろん、これまで温存しておいたIフィールドバリアの起動を忘れてはいない。
ジムIIIの部隊は、3機ずつ4小隊に分かれており、トランプのダイヤ型から少しずつ横幅を広げながら接近していた。敵編隊の真ん中を突っ込んできたレイ機に向かって、ビームの雨が降り注ぐ。
レイ機の位置は、いわゆる敵部隊の十字砲火の合わさる場所だったので、その数は半端ではない。回避行動をとるだけ無駄だと判断していたレイは、防御を全てIフィールドバリアに任せ、その隙にエネス達からみて左側のジム隊に照準を合わせた。左側を選んだのは、そちらの方が散開する速度がやや速かったからである。
「うっしゃァッ!」
誰に向けたわけでもない気勢と共に、主砲であるビームスマートガンをできる限りの短い間隔で乱射し、2機のジムを撃破して敵の編隊に楔を打ち込んだ。その影響で、敵部隊の散開速度は弱まっていた。
「よし!」
ファクター機から絶妙のタイミングで、二度目の白い信号弾が打ち上げられた。それを合図に各機が左右に散開し、敵部隊に向かって逆進していく。そして、左右から挟み込むようにクレイモア隊が外側からそれぞれの距離を縮めていった。その間にそれぞれビームサーベルを抜きはなっている。
エネス達の強烈なまでの突進に、ジム隊は犬に追い立てられる羊の群れのように機雷群の方へと押されるような格好になり、1機を除いて全てのジムが機雷群の中に押し込まれた。
「もう一押しいくぜ!」
ファクターが目の前のジムに体当たりをすると、そのままキックを繰り出してその期待を追いやった。
「・・・・・・!」
味方機の全てが距離をとったのを確認して、エネスが機雷群に向かって射撃をした。直後、目の前の光景は、爆発で全てが赤白色に変色していた。宇宙空間では音が伝わらないため、閃光と振動で爆発を確認できた。
「全機撤退、ダミーと入れ替わるぞ、急げ!」
ファクターはかなり焦っていた。敵の増援はすぐそこにまで接近してきており、すぐに後続のモビルスーツのダミーと入れ替わらないとフリッカーの正体が発覚してしまうのだ。
その指示通りに全機が全速力で後退を始め、入れ替わりにリックディアスのダミー達が前進していった。しかし、そのダミーの中にあるひとつの違いを、エネスは見逃したりはしなかった。
(ん・・・?)
それもそのはずで、今回に用いられたコード・フリッカー用のモビルスーツ・ダミーは、全てが標準色のリックディアスを模した、ハヤサカ特製のダミーが4つあるはずだった。だが、エネスの目には5つの影が映っていたのである。次第に距離が縮まってくると、その違和感の正体が判明した。
(オレの機体のダミーは存在しないはず、ということは・・・)
その機体はリックディアスとは微妙にシルエットが違っていて、しかも見覚えがあった。
「何をする、ショールッ!?」
「エネス、艦隊を叩け!」
「・・・・・・!」
(記憶が戻っていたのか・・・)
「・・・どういう意味だ?」
「モビルスーツだけを叩いて撤退しても、今の艦隊との距離ではティルヴィングのダミーを誤認しない!」
作戦の展開が遅すぎたのか、それとも敵艦隊の接近が早かったのか・・・原因はいずれもエネスの確証するだけの説得力があった。12機のジム隊の処理に手間取ったのは事実であったが、それでも作戦計画の許容範囲内の誤差であるとも思えたのだ。あるいは両方が重なった偶然の産物、ユリアーノに言わせれば”運命の悪戯”なのか・・・しかし、エネスには迷っている暇はなかった。
「とにかく、敵艦隊からモビルスーツの増援が迫っている。それはオレとレイでやるから、お前は迂回して艦隊を叩いて、一隻だけ残して敵に距離をとらせるんだ!」
「ファクター達は作戦通りに、すぐ帰還させなければならないんだぞ。」
「だろうな。」
「貴様・・・死ぬ気か・・・」
腹部の出血や雰囲気でモニタ越しでもショールが負傷していることが分かったが、それよりも、ショールがいつも以上に吹っ切れた言い方をしたのが気になった。
「さぁな・・・」
その表情は、エネスの知っているいつもの不敵な微笑みだったので、それを不気味に思った。しかし一方では、ショールの提案を的確だとも思えた。自分とショール機が入れ替わっても白いディアス同士だから相手は気付かないだろうし、ここでレイに艦隊殲滅を任せても、特徴だらけのマイン・ゴーシュでは生存者を意図的に残す意味がなくなってしまう。レイ機はモビルスーツ隊撃滅に回すのが得策だった。
「エネス、後を頼む・・・」
そのショールの発言の意味を、エネスは瞬時には理解できなかった。
クレイモア討伐艦隊に唯一残された機動戦力となったニューデリーのモビルスーツ隊の指揮官であるクラック少尉は、すぐ先に大きな爆発をモニタの中に確認していた。その爆発の大きさから察するに、モビルスーツ個体の爆発の規模よりもかなり大きなモノだが、まさか機雷群の爆発とは思っていなかった。
「まとめてモビルスーツ隊を殺った・・・さすがとしか言いようがないな。どうする、フェリス?」
クラックの乗るジムクゥエルの右を併走していたバーザムに接触し、自信なさげに囁いた。
「機動戦力を殲滅したあとに取る行動は、ふたつしかない。」
「丸腰の艦隊を殲滅しにかかるというのが常識だろ?」
「それは、正面からぶつかり合ったときの一般論だろう。連中がそんな無駄なことをするか?即座に撤退する・・・というのに一票だ。」
「撤退するにしても、自分達の逃亡先の方向を知られたくはないはず・・・何か裏があるはずだ、何か・・・。」
戦術論に関しては士官学校時代から今日までフェリスの方が優秀であったが、なにより、クラックはエネスという人物をよく知っていた。彼の行動には必ず意味がある、と思い込みすぎている節すらあった。
「それは私にもわからないな。ん・・・来たか!」
結果はフェリスが自らの目で確認したとおりで、予想に反してエネス達が討伐艦隊の方向へと向かってきていた。
「数は2機・・・数ではこっちが多いけど、数はあてにならない。フェリス、ラファエル、中央を突破して分断する!」
セオリー通りに散開、包囲してもダメだ、というクラックの思惑に、フェリスとラファエルに異存はなかった。とにかく足を止めて、接近に気付いた艦隊が後退するための時間を稼がねばならないのだ。
ファクター、マチス、アルツールの3人はダミーと入れ替わるために後退を続け、エネスはレイを残して迂回ルートをとって敵艦隊へと向かい、最後に残ったレイは、後方から接近する機体の存在を確認していた。
「『死装束』・・・いや、ショール!」
「レイ、オレ達でモビルスーツを叩く。」
「怪我人だってのに元気だねぇ、お前。オレのマイン・ゴーシュなら艦隊に一撃して離脱してこれるのに・・・・」
「艦隊の一番後方にいるサラミスだけ目撃者として生存させる・・・そんな器用な芸当はお前にはできんさ。」
「チッ・・・ハッキリ言ってくれるじゃないの。やりゃ良いんだろ。」
レイ機のIフィールドバリアは既に使用可能時間を使い切っており、あとは機動性を駆使したドッグファイトをするしかない。それを承知でショールの提案に賛成したのは、レイがもとより負傷中のショールに全てを押しつける気はなかったし、後方から少しずつ迫るティルヴィングのダミーを爆破する人間も必要である以上、どのみち2機以上は必要だったからである。
2機が併走しながら少しずつ前進をしていると、レイ達に向かってビームが数本、向かってくるのが分かった。照準もロクにつけずに撃ってきたのだろう。それらを最低限の機動で回避すると、レイは自機のセンサーを駆使して正面を策敵した。
「敵は3機だ。」
「そ・・・それぞれで対処するしかないな。」
ショールは自分の中で何かが変わっていくような妙な感覚を自覚していたが、それを振り払うように敵左翼に向かって突進を始めていた。
(随分とせっかちになったな・・・ティルヴィングで何かあったのか?)
言葉には出さず、レイも右から続いた。やがて敵を肉眼で捉えたレイは、先頭をいく機体を見て驚愕した。
「キツネのマークがなんでここにいるんだっての!」
フェリスのバーザムは、即座に射撃をしてきた。今度は照準を絞った、正確な射撃だった。レイはこれをなんとか回避し、すぐさまビームスマートガンで反撃するが、当たらなかった。
「大型火器はこれだから、やんなっちまうぜ!」
右手の固定装備を不要と判断してその辺に投棄すると、マイン・ゴーシュの右手にはビームサーベルを代わりに持たせて突進し、フェリス機もそれに応えた。レイとフェリス、3度目の対決である。
ショールの『死装束』の目の前には、見覚えのあるジムクゥエルが立ちはだかっていた。
「エネス大尉!」
射撃もなく、一心にビームサーベルによる格闘戦を挑んだクラックは、口調とは裏腹に冷静であった。尊敬している人物だからこそ越えてみせる、そんな意気込みがあった。
「・・・・・・!」
ショールは無言だった。ここでエネス不在を悟られるわけにはいかない。返答の代わりに、ビームサーベルの一撃を見舞うが、これは威嚇であった。サーベルをわざと外して、その勢いで左回りに機体を回転させて、遠心力を十分に乗せた蹴りをクラック機の胸部に見舞う。
「・・・ぐぅっ」
かなりの距離を飛ばされたが、クラックはなんとか機体を維持させたが、それがショールの狙いであった。その隙に一挙に距離を詰めて、ビームサーベルによる突きを繰り返したのだ。5回、6回と繰り返される突きをかわしきれず、クラック機のシールドが吹き飛ばされた。
(やはり強い・・・!)
ショールは一旦距離をとって、ビームピストルによる射撃に切り替えてきた。クラック機はそれを、右に左にと機体を回転させながら回避する。
「・・・・・・!」
ショールにとって、それは鏡を見ているかのような感覚だった。
(オレだけが特別ではないと言うことか・・・)
再び、ショールが射撃した。今度は乱射だ。ショール”シュラウド”ハーバインの名が連邦の中で知れ渡るようになったのは、宇宙空間で極めて映える機体の色ゆえではない。それはショールの戦果に付属してきただけの飾りだ。射撃を行いながら距離を詰めて格闘戦に持ち込むまでの一連の運動が流麗で、独特な回避運動を行う・・・その操縦センスこそが、彼を有名にしていた。
白いシュツルムディアスがそのように仕掛けてくるのをクラックは分かっていたが、ショールのその動作があまりに速すぎて、操縦レバーを動かす手がついてきていなかった。ショールにとって射撃はあくまで威嚇で、本命は接近しての一撃にあった。
クラックがなんとか機体をわずかに右に動かすことで胴体部への直撃は免れたが、ジムクゥエルの左腕はなくなっていた。相手が損傷したのを機会と見て、ショールの『死装束』は再び、ビームサーベルを構えた。とどめを刺しに来るつもりだというのを、クラックも察していた。
しかし、相手の白いシュツルムディアスはビームサーベルを構えたまま、動かなかった。いや、動けなかった。ショールはこのとき、自らの身体に異変を強く感じていたのだ。
内部から身体全体にじわじわと浸透していくような苦痛、何かを我慢できなくなったような衝動、止まらぬ嘔吐感・・・それと闘うので精一杯だったショールには、身体を蝕んでいた薬物の禁断症状だと悟るだけの余裕はなかった。
「・・・か・・・ハッ!」
声を出すことすら苦痛に感じて無意識に胸を掻きむしるが、それから一向に開放される気配はない。今のショールにできるのは、自らの死期が近付いていることを感じるくらいであっただろう。
(このままだと、死ぬか・・・)
それを知らないクラックは、これをチャンスだと思った。
「大尉ッ!」
『死装束』のコックピットの中で何があったのか・・・それに対する興味や心配は確かにあったが、ここで攻撃をやめてしまうくらいなら、自分はとうにパイロットをやめていただろう。戦場で迷うな、というのは、エネスが彼自身に教えたことだ。
「これで終わりにッ!」
すかさずビームサーベルを振るって、『死装束』を真上から両断する太刀筋をなぞった。ショールはそれを悟って、苦しみながらも咄嗟に機体をわずかに左に動かしながらも、ビームサーベルを突きだした。その結果相打ちになった。ジムクゥエルは残った右腕を切断され、そのビームサーベルは頭部にあるコックピット部をわずかに削り取っていた。
「ウグッ・・・!」
ショールは、右半身全体が焼け付くような痛みを一瞬だけ感じたが、それはすぐさま治まり、感覚が麻痺してきた。それをきっかけに禁断症状による苦痛も和らいでゆく。それほどまでに右半身の損傷によるショックが大きかったのであるが、今の場合、損傷と言うよりも喪失といって良いほどのモノであった。
(ティルヴィングは・・・)
ふと気になって、ショールは後ろを見た。自分よりも後ろが気になるというのは妙なことだとは思ったが、自らの死期を既に悟っている以上、自分でも分からないほどに冷静だった。
気になっていたティルヴィングのダミーは、既にショール機の後方約1kmの位置を、こちらに向かってゆっくりと移動していた。
前方が何か光ったような感覚を覚えたのでその方向を見ると、確かに遙か前方で何か大きなモノが爆発したような光が確認できた。エネスが先行しているサラミスを2隻とも、破壊した証拠だ。
(なら、オレが仕上げを・・・)
あとはレイが後始末をやってくれる、という想いを抱きながら、ショールは自機を後方のダミーへと向かわせてゆく。
「くそ、動け!」
クラックはあちこちとレバーを動かしながら呻いたが、大きく損傷したモビルスーツが根性で動くわけもなく、次第に気持ちが萎えてくるのが自覚できた。
数分ほどして、『死装束』はティルヴィングのダミーに静かにぶつかった。そうなるまで気付かなかったのだ。遠ざかる意識をなんとかつなぎ止めながらも、ショールは目の前にあるティルヴィングのダミーを見据えて、ビームピストルを構えた。サラミスを一隻だけ生存させるという困難な任務を、エネスはちゃんとやってくれているに違いない・・・そう思いながら、ショールは躊躇いなくトリガーを引いた。
第41章 完 TOP