第5話 心の傷
「どういうことか、説明をしてもらえるんだろうな?」
クローネに向かってあからさまに不機嫌な物言いをしたのは、ユリアーノではなくエネスであった。ここはクローネの主な仕事の場である、ヘスティアの中央管制室。他のクルーがいる中でも、エネスはそれを気にとめる様子もなく、ただそう言っていた。
だが、彼の口調は反論を許さぬモノではなかったが、事情を聞かずに引き下がるつもりもなさそうだった。エネスは、人にはそれぞれ事情があると言うことを分かっていたので、それを頭ごなしに怒るような人物ではない。そもそも彼自身、かつてネオジオンのコロニー落としの実行を助けた裏切り者の烙印を押された−−−無論、事実無根ではあるが−−−ことで潜伏を余儀なくされた身であったから、それで事情も聞かずに怒りだしては棚上げもいいところである。
「事情?」
「とぼけるな。ユリアーノから聞いている。」
どうやら、ユリアーノはエネスに最低限の事しか伝えていないようだった。事情があるなら自分で説明しろという意地の悪い判断だと思い、クローネは一度だけ歯ぎしりした。
「互いの活動には干渉しない・・・それが私達の取り決めだったはずだが?」
「それはそうだ。しかし、それは互いを必要以上に危険にさらさないという条件あってのことだと忘れたのか?」
「もちろん憶えている。それを提示したのは私だからな。」
「ならば、なぜ・・・」
「シャアの刺客を助けたのか・・・か?」
その質問はユリアーノからされたことであったので、クローネはエネスも同じ疑問を持ったに違いないと思っていた。が、それは思い違いであった。
「そうではない。なぜ貴様はヘスティアに戻ってきたのか・・・それを聞きたいだけだ。」
この仏頂面の男は、クローネがイーシャを助けたことについては言及しないと言っているのである。
「彼女はシャアによって作られた強化人間だ。彼女の強化人間としての記憶自体が、シャアの真意を知る手がかりになる。しかし、調べるには艦内の設備だけでは充分ではない。」
「いつか、ショールの記憶からオレ達のことを調べたようにか?」
クローネの調査には拷問などは伴わず、催眠療法による記憶の抽出によるものであったので、エネスは本気でクローネを責めているわけではない。しかし、クローネはそれを本気で気にしていたようで、眉をひそませていた。エネスとの唯一の接点であるショール・ハーバインという存在は、彼にとって忘れられないトラウマなのだ。
クローネがショールを強化人間にしなければならなかったのは、瀕死の重傷を負っていたショールを救うためには肉体を薬物によって強化するしか手段がなかったからであり、過去の記憶を封印して新たな仮初めの記憶を刷り込んだのは、ショールを捕虜にしたくなかったからであった。死にかけている捕虜を必死になって治療する不自然な行動から、ハマーンの疑惑を買うわけにはいかなかった・・・そういう利己的な側面もあったので、クローネは4年経った今でも気に病んでいたのである。
「そうだ、事実だからな・・・」
そう言われては、エネスとしても返す言葉がなかった。確かにショールを利用したのかも知れないが、それを初めてエネスに告白したとき、ひょっとしたら子供のように鋭敏な感受性を持っているこのニュータイプは自分以上に苦しんでいるのかも知れないと思ったこともあって、エネスは後悔の念を覚えずにいられなかったのだ。
「すまない、言い過ぎた。」
「・・・・・・」
「とにかく、ケジメだけはつけてくれ。」
「君に真っ先に報告すべきだったと、後悔はしているさ。」
クローネが素直に頭を下げたので、エネスはもう何も言うつもりはなかった。だが、気になることは他にもあった。
「その、イーシャと言ったか。彼女を生かしておいたのは情報を得るためだというのはわかった。だが、わざわざ刺客をヘスティアに連れてくるのはどういうことか、というユリアーノの言い分もあながち間違いではないぞ。破壊工作員である可能性は否定できない。」
だからこそエネスは、敵の強化人間の生命を救ったこと自体については追求しなかったのである。ヘスティアにさえ連れてこなければ、全てクローネの独断と責任の範疇で済んだことだった。クローネが正式にシャアと対峙するとき、もしイーシャがヘスティアにいれば、エネス達の身も危うくなる可能性は確かにあったのだ。もちろん、自分はひとりの少女にどうこうされるようなことはないと思ってはいるが、危険の要因はできるだけ無いに越したことはない。
「分かっている。シャアは私の性格を見越して、彼女をヘスティアに私自身の手で連れ入れられるケースも考慮しているのかもしれない。」
「それが分かっていてやるのか?」
「いや、彼女はこちらで調査が終わり次第シンドラに・・・」
部屋の端末のコール音に遮られたが、表情を変えずにそれに応対した。それをみても、エネスが部屋から立ち去ろうとしなかったのは、今のシンドラの行動が自分達とは無関係ではいられなくなっているという認識があってのことである。
「クローネ様、準備が整いました。」
「分かった、すぐに行く。」
クローネは一言だけ返事をして通信を切ると、席から立ち上がった。準備とは、言うまでもなく捕虜である少女の記憶を調べるための準備である。
「君も立ち会うか?」
「いいのか?」
「君が自分の部隊の出撃準備をさせているのは、私を助けてくれるためだろう?」
エネスが万が一に備えてクレイモア隊に出撃準備をさせていたことは、ユリアーノから密かに教えられていた。
「知っていたか。」
「知らない振りをしていた。シャアの手前、君は条件付きでの不干渉を宣言したが、ヤツがコロニーのひとつやふたつを落とすくらいは充分に考えられる話だからな。事実上はヤツと敵対していると見ていた。」
一年戦争より後に起こった地球圏の争乱のほとんどで、それぞれコロニーが落下して地球と人々の心に大きな傷を残している。今度のシャアの挙兵が例外であると考える方が、むしろ不自然であると言えた。もっとも、それだけやっても勝算は実に怪しいものであるとエネス達は踏んでいたが、勝敗は別にしても、コロニー落としによっての被害を許容できるはずがない。だからこそ、彼らはシャアと敵対したのである。
「しかし、別に君らをアテにしていたわけではない。」
「それは初耳だな。そのためにオレ達をヘスティアに匿ったのだと思っていた。」
珍しくもささやかに笑顔を見せながら言ったので、本気ではないのだろうとクローネには思えた。それでも表情を変えず、尋ねてみた。
「それで、私を助けてくれる気になったのか?」
「さあな・・・だが、これだけは言える。貴様はショールの友人であり、オレの友人でもある。」
その時のエネスの表情は、死角になって見えなかった。
クローネがエネスとともに訪れたのは、メディカルルームの最奥の個室に専門の機器を設置した急作りの催眠療法室であった。この機材を使用するのは、ショール・ハーバインに対しての調査以来である。その装置の横にいるのは、その時の当事者であったドクターと同一人物だ。
「ドクター、イーシャの様子はどうだ?」
「今は薬で眠っております。精神分析だとしか言っておりませんから、抵抗する様子もあまりありませんでしたが、少しでも精神的な平静をと思いまして。」
恐らく、彼女は尋問くらいは覚悟していただろうが、まさか催眠療法で本人の自覚の有無とは無関係に頭の中を調べることができるとは知らないに違いない。この検査のことを正直に告知して彼女の承諾を問うだけ問えと指示したのは他ならぬクローネであったが、その時にドクターは反対している。よってドクターは、少しでも効率よく作業を行うため、検査としかイーシャに言わなかったのである。
「鎮静剤はいつごろに効果がなくなる?」
「もうそろそろ、といったところです。あ、これが身体検査、血液検査、MRIの検査結果と、先ほどこちらに届いた機体の調査結果です。いまのうちにご覧下さい。」
ドクターが手渡した書類は、医者本人以外には理解不能のカルテではなく、専門知識のないクローネでも理解できるように要約した報告書であった。事前に自分に渡さなかったのは、このレジュメが先ほどになって完成したモノだからだろう、とクローネなりに解釈した。
(私もいよいよ、あくどい男になったな・・・死後はヴェキのところではなく、ハマーンと同じところに行くのか・・・)
密かに苦笑しつつも、報告書に目を通していく。後ろから覗き見をしていたエネスには専門知識がないために中身を把握できていなかったので、先にイーシャ機の調査報告書を手渡した。その一方で、イーシャの身体調査の結果に目を通していたクローネは、読み続けていくうちに顔色をどんどんと変えていった。
「これは・・・どういうことだ。」
「ご覧の通りです。」
その呟きにはドクターが応えたが、クローネはただ絶句するだけだった。
「これでは、イーシャが受けた強化処置らしい処置といえば、薬物による肉体の強化と訓練によって得られる類のモノだけということになるぞ。」
「そうです。少なくとも、精神面から戦闘を強制するような暗示などは受けた形跡がありません。記憶を操作された可能性はありますが。」
「つまり、この少女の持っていた明確な殺意は、自分自身の意思だというのか?」
それはにわかに信じがたいことであった。年端も行かないこの少女がなぜ自分にここまで憎悪を向けてくるのかなど、クローネの認識を越えている。
そのやり取りを聞いていたエネスが、横から口を挟んだ。
「機体のコックピットからも、サイコミュらしい装置は発見されなかったそうだ。あったといえばデータ採取用の計器類だけ・・・その報告を裏付けられるな。」
「ということは、記憶を操作されたか、マインドコントロールを受けたか、そのどちらかということになる。」
クローネの出した結論に、その場にいた他の2人も異論はなさそうだった。しかし、極限状態である戦場の中で完全に機能するマインドコントロールなど、そうそう簡単にできるものではない。ましてや、人工的にニュータイプ能力を植え付ける作業との併用など、当然のことながら前例がない。
過去に存在したいずれの強化人間も、暗示や薬物、もしくは乗機から機械的な手段で戦闘を強制されていた。しかし、それらは情緒不安定などの致命的なデメリットがあり、それをクリアする方法は未だ確立されていなかった。
その会話の音量のせいだろうか、イーシャの目が少しずつ開いていくのが、3人の男にも確認できていた。
「目が覚めたようだな、イシリス・シャハナ・マクドガル。」
クローネの呼びかけに、イーシャはただ無言を貫いていた。薬による眠りから覚めた直後で気分が悪いらしく、黙って頷いていた。しかし、彼女の表情は未だ、きつい印象を拭い去れなかった。不機嫌と言うよりも、クローネの存在が近くにあることを眠っている間に無意識に察知していたのだ。
「心配はいらない。君に危害を加えるつもりはまったくないからな。拘束も解いてあるから、少しだけリラックスしていると良い。」
これはイーシャに対する気遣いと言うよりも、催眠療法を施すには精神がある程度のリラックス状態を保っていないと行えないがゆえの言葉だった。
少女は既に抵抗は無駄と悟っていたが、まだクローネに対する警戒を解いたわけではなかった。なぜなら、彼女にはクローネを憎むだけの理由があったからだが、今の段階でそれを知る人間は本人以外をおいてシンドラにはいない。
イーシャの意識に混濁が残っている間に作業に入りたかったドクターは、すぐに検査の実行をクローネに提案し、それを認めた。少女の身体のあちこちが機材と接続されていくのは、端から見て痛々しいと思えたが、クローネは黙ってそれを見守っていた。
検査と称する調査が開始されて、5分ほどが経過していた。ドクターの無機的だが静かな声が次第にイーシャを再び眠りへと導き、やがて少女は目を閉じていく。
「君が見ているのは、テレビだ。何が映っている?」
「・・・・・・」
イーシャは何も答えない。どうやら夢の中で、イーシャはテレビを見ているらしかった。催眠療法で本人に昔のことを聞く場合、記憶を遡らせてダイレクトに聞こうとはしないことがある。映画やテレビ、本という形で間接的に本人の無意識の部分から引き出されたモノを自分自身に”他人のように見せる”形を取ることで、記憶をほじくり返される事による精神的な反動を少しでも抑えようという手法である。
「アニメーションかな、それともドラマかな?」
「・・・お母さん。」
「他には?」
「・・・女の子。」
「その子は誰?」
「・・・私。8歳の頃の、私。」
「8歳の君はどこにいるの?」
「家・・・家の庭で、お母さんと遊んでるの。」
「楽しそうに見える?」
「うん、とても、楽しそう。」
「それはよかった。」
ドクターは身長に言葉を選びながら、少女の記憶を自分自身の意識の中に投影していき、それを聞き出す。少女の言葉は明瞭だが、これで既に催眠状態になっている。どうやら最初の段階は成功したようだ。
今の会話で、イーシャが8歳の頃は母親とどこかで一緒だったことだけは分かったが、このやりとりはそれほど重要なモノではない。こういう何気ないやり取りをまず最初にすることで、作業がうまく行くかどうかを判断するのである。そして、ドクターはクローネ達に目配せをして作業を続行した。
「・・・・・・?」
「どうしたのかな?」
「お母さんがね、何か外を向いてじっとしているの。」
「どっちの方向?」
「お昼頃で太陽があっちに映ってたから、たぶん西の方・・・。」
「女の子はどうしてるの?」
「お母さんと一緒の方向を向いて、じっとしてる。」
「テレビには、そっちの方向は映ってないの?」
「今、画面が切り替わった・・・これは・・・何か、大きいモノ・・・」
その次の瞬間、イーシャ本人の表情が安らかなそれから恐怖へと一変する。
「どれくらい大きいの?」
これまでは明瞭だった少女の口調は、途端に荒々しい呼吸とともに弱くなっていくが、消えるまではいかなかった。何かの核心が近いことを直感して、ドクターは続けた。
「とても大きいモノ・・・落ちてきてる、ずっと西の向こうに・・・あれは、何、何なの?」
そして、次の瞬間・・・。
「いやァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
長い絶叫がメディカルルームを支配する。何かとんでもなく怖いものを見たであろうことは想像に難くはないが、クローネはその理由よりもショックで目が覚めないかという心配があった。しかし、振り返ったドクターは、静かに首を縦に振ってそれを否定した。
「大丈夫、大丈夫だ。テレビの中のことだろう。君はなんともないはずだよ。」
その言葉で多少は落ち着きはしたが、それでも表情を恐怖にゆがめていた。しばらくして、ドクターは厳しい表情をしながらも、再びクローネの方へと向き直った。
「・・・一度、中断した方が良さそうです。被験者が危険です。」
専門知識のないクローネやエネスにも、これ以上の作業は不可能だということは分かったので、黙って頷いた。それを受けて、彼女の腕に鎮静剤が投与される。
休憩に入ろうと提案して、エネスとともにメディカルルームを辞したクローネは、目を閉じて瞑想でもしているかのように黙り込んだ。
(この少女はいったい、どんな体験をしたんだ・・・)
彼女が夢の中で追体験しているのは、あくまでテレビに映っている人間のはずだったのに、それをみて自分の過去が無意識のうちに起こされてしまった・・・それほどまでに、彼女の体験は鮮烈だったのだろうか。
(空から落ちる大きなモノ・・・まさか・・・)
考えてみれば、イーシャの年齢は12、3歳、8歳の頃といえばおよそ4年前。そして、その年にあった出来事といえば・・・。
(コロニー・・・彼女はダブリンのコロニー落とし被災地の近くにいた・・・そして戦災孤児となり、それから今までの間のいつ頃かにシャアに拾われた・・・)
もしもその推測が正しければ、その先の彼女の人生がどのようであったのかを想像するのは、それほど難しくはない。しかし、それとクローネを憎悪することとは明らかに矛盾しており、その詳細についてはさらなる調査を必要とするようだった。
第5話 完 TOP