第五話 うるさい男
『マコト・ハヤサカという男は、いつも不機嫌な顔をしている。例外なのは仕事が面白いときか、食事をしているときだけだ。』
セルニア・デニーニがハヤサカをよく知る社内の人物の幾人かに彼のことを尋ねると、ほぼ全員が口を揃えて、このようなフレーズを付け加えていた。彼がいつも食堂でチャイニーズセットを注文しているのは既に有名な話だったので、例外の後者については何の疑問もない。
(それでは、彼が仕事を面白いと思ってやっているときは、どんな顔をしているのかしら?)
設計4課の若手のホープという表の顔を持つ女性技術者は、ふとそんな興味にかられるのを自身で不思議に思った。この感情は決して恋愛などというものではない。そういう確信だけはあったのだが、正体はつかみかねていた。
そんなデニーニが昼になってからシステム開発3課のオフィスを覗きに来たのも、そういう好奇心からである。
(いないのかしら?)
室内をキョロキョロと見回しても姿が見えないので、食堂かどこかで休憩でもしているのだろうかと思った。
「3課に何かご用でも・・・セルニア・デニーニさん?」
声をかけたのは色黒な大男、ジョン・マツダだった。そんな体格に似つかわしくない柔和な表情は、初対面の人間に何かしらの違和感を感じさせるモノである。デニーニもその例に漏れず、微細ながらの動揺を見せた。
「あ、あら、私をご存じ?」
黒髪のよく似合う顔立ちと青い瞳というやや独特なデニーニの外見は、それなりに有名らしい。
「それはそうです。モビルスーツ開発部でもわりと有名ですからね。」
「光栄ね・・・ところで、ハヤサカさんは?」
「ハヤサカさんですか?そういえばランチに出掛けてから戻ってないですねぇ。昼休みはもうじき終わるのに。食堂には行かれましたか?」
なぜ食堂と場所を特定できたのかは、今更言うまでもない。
「ええ、もちろん。」
「おかしいなあ、どこに行ったんでしょう。お待ちになりますか?」
「いえ、結構よ。来たことも伝えなくても良いから。」
そっけない言い方に、今度はマツダの方が複雑な表情をした。デニーニはそれを見てクスリと笑ってから、オフィスを出ようとした。
「どうしたのかね、マツダ君。生ぬるい風が顔に当たったみたいな顔をしているが。」
よく部下を即興で何かにたとえる癖のあるロットにそういう表現をされたマツダは、自分は一体どういう顔をしているのかと思った。
その当のハヤサカは、行きつけのチャイニーズレストラン”陽郭楼”から、上機嫌の表情の名残を残しつつ、右手の小指の爪で歯に挟まった酢豚の破片を除去しながら、ちょうどデニーニとすれ違いにオフィスに戻ってきた。
「おや、デニーニ女史。こんな所へどうしたんですか?」
この言葉遣いはあくまで表向きのものである。噂が立ってしまった以上、ちょっとした知り合いであることはもはや否定できないが、互いの裏の顔を知り合っているほどの仲だと周りに−もちろんロットにも−悟られないようにするためだ。
「なんですか、その”女史”って・・・日本語って難しいわ。」
彼女がこう言ったのは、ハヤサカのいう”女史”の部分だけが日本語だったからだ。
「女性に対して敬意を込めた呼び方をするのに使うんですよ。中国語読みの”ニュイシー”の方がわかりましたか?」
「・・・お任せするわ。」
半ば呆れ気味に言ったデニーニを無視して、表情をいつもの不機嫌なものに戻したハヤサカはオフィスの自分のデスクに戻った。
「ところで、聞きましたか、ハヤサカさん?」
切り出したのは訪問者であるデニーニの方だ。
「なにを?」
相変わらず呑気な男だと周りは思うことだろう。デニーニの緊張した表情とのギャップは、あまりにも滑稽だった。
「サイド2、30バンチで起こった事件のことです。」
それは、8月31日、連邦の施政に対する抗議デモを連邦軍の中でティターンズといわれるエリート集団が武力制圧したという、のちに”30バンチ事件”と呼ばれる事件のことである。
「あぁ、それは1週間以上も前にニュースでやってたな。確かにいきなり武力制圧はちょっとやりすぎだと思うが・・・。」
「実は、それが違うらしいんです。」
「・・・・・・?」
「あまり大きな声じゃ言えないんだけど・・・」
声を急に潜めだしたので、おのずとハヤサカとデニーニの顔は近付いていく。それに興味を持った物好きといえば、このオフィスにはロットとマツダくらいしかいない・・・ふたりはその期待を裏切らなかった。
「武力制圧は・・・されなかった。」
「じゃあどうやってデモに対処したんだ?」
「毒ガス、G3・・・」
デニーニの表情にちょっとした恐怖が込められているのが、ハヤサカにも分かった。
「まさか・・・NBC(核・生物・科学)兵器は南極条約で禁止されていた。戦時条約とは言え、あれは正当なものだ。」
「だから、武力制圧と曖昧に発表されたのよ。そう聞けば誰もそんなことを想像しない。」
「しかし、それをなんで君が?」
「エゥーゴ経由の情報なの。あなたにだけは伝えておこうと思って・・・」
その言葉は、ハヤサカにとって意外だった。実のところ、30バンチ事件は大事件には変わりないが、直接的には自分にとって重要な問題ではないと思ったからだ。
「オレに?」
ふたりの話し声は最初は小さかったのだが、次第にはロットとマツダ以外の人物にもなんとか聞き取れるくらいのボリュームになっていた。しかし、ハヤサカ達はそれに気付いていない。
「わからない? エゥーゴがこの情報を握っていると言うことは、彼らがティターンズに対して行動を開始するために戦力を糾合するカードにするということよ。それだけ、ガンマの開発が急務になるわ。それに、ガンマの開発を快く思っていない人もいるかも知れないし・・・。」
言葉を濁しこそしたが、ハヤサカにはその続きが容易に連想できた。ガンマガンダム開発への妨害行為は、先日からふたりが懸念していたことである。
「・・・それをわざわざ伝えに来てくれたのか。すると、君はエゥーゴなのか?」
「誘いは来てるわ。でも、私はアナハイムの人間だから・・・」
「なるほどね、わかった。自分の仕事はきちんとするつもりさ。」
「用件はこれだけ。ランチタイムももう終わるから、戻るわね。」
「あぁ、気をつけてな、”デニーニ女史”。」
最後のハヤサカの”気をつけて”という言葉に何かしらのひっかかりを感じつつ、デニーニはシステム開発3課のオフィスを辞した。
先ほどのデニーニの話はシステム開発3課のオフィス中に聞こえていたようで、空気に動揺という成分がおり混ざっているようにも見えたが、それは敢えて気にしないようにした。
「ロット先生、さっきの話、ホントなんですかね?」
もし本当なら、ティターンズとそれを産み出した連邦軍、政府はこの先どういう道を進むのだろうか。それを思うと、頭の中に暗雲が立ちこめるような錯覚に陥ってくる。
「人の気持ちを動かすのに、言葉が事実であるかどうかなどというのはすべからず関係ないものだよ。」
「なるほどね。」
そんなやり取りをしている間に、オフィスにまたひとり、訪問者があった。
「あなたがそれでは困るな、ロット博士。ガンマの具合はどうかね?」
年の頃は40歳代といったところだろうか。白髪混じりの男性で、スーツ姿の堅苦しそうな人物だ。ハヤサカはもともと人の顔を憶えるのは得意ではないが、見た事のない人物であることだけは確かだった。
(スーツ姿が似合うというより、スーツ姿しか似合いそうもないな)
などと、自分のファッションセンスのなさを棚上げして、極めて失礼な感想を持ったりもしている。
「これはこれは、珍しいですね。」
ロットがそう答えたので、ハヤサカも何か興味を持ったらしく、彼に尋ねた。
「先生は知ってるんですか、このおじさん。」
「おじ・・・!」
男が一瞬だけ顔を強ばらせた。相手が自分の若い部下だったら一発殴っているところだ、という感じの表情だ。
「この人はウォン・リーさん、アナハイムの有力な株主のひとりだよ。」
そして、小声で付け加える。
「同時に、エゥーゴの出資者でもある。」
「なんだ、部外者じゃないですか。」
ハヤサカの歯に着せる布はなかった。
「君がハヤサカ君か。噂通り、初対面の人間に対する物の言い方を知らないようだな。」
「はあ、なんせ、初対面の人物と話す機会もなくなりましたので。」
周囲の間で”プッ”と吹き出す声がちらほらと聞こえたので、ウォンは最初は冗談かと思ったが、どうやら違うらしい。
「フン、色々と聞いているがね、君のことは・・・まあいい、それで、ガンマガンダムはどうなんだ?」
「試験は順調です。もうじきプロトタイプの開発にも取り組めるでしょう。」
答えたのはシステム開発の責任者であるロットだ。
「急いでくれよ。30バンチのあと、コロニーだけじゃなく月でも反連邦の気運が出始めている。行動の時期を誤ると、すべてが空振りになるんだ。」
それはよく分かる理屈だ。気分の乗っているときに行動しないと、あとになってやる気も萎えてくるものだ。
「しかし、まあ作るのはオレ達ですからね。ノープロブレムです。」
ハヤサカにしてみれば、ウォンがいかなる人物であっても部外者は部外者である。外から口を挟まれるのは彼の最も嫌うことのひとつでもあった。
さすがに怒らせるのは良くないと思い、すぐにロットがフォローに入る。
「君だって、陽郭楼で酢豚を注文して、それが美味しいかどうかは気になるだろう? それと同じ事だよ。」
「なるほど、そりゃ分かりやすいたとえですな・・・ウォンさん、でしたっけ? 腕によりをかけて作りますから、ご安心を。」
ハヤサカを最も理解しているロットのこと、この辺はさすがである。
「調子のいい男だな。」
「それがオレの良いところでしてね。」
「君は欠点という言葉を知らないんだろう?」
それはロットなりの冗談であった。
「君はここでコントをするのが仕事なのか?」
すかさずウォンが横槍を入れるが、それほど不機嫌でもないらしい。ロットが認めている男だと聞いているから実力は確かなのだろう、という期待含みの感情がある。
「とんでもない、ガンマ開発はオレの楽しみでもありますからね・・・単調なデータ打ち込み以外は。」
最後にぼそっと漏らした言葉を、ウォンは敢えて忘れるように努めた。
「なら、さっさと仕事にかかってくれ。まだアナハイムにはやって貰わなければならないことがあるんだ。」
「お任せを。」
一言だけ言って、ハヤサカは自分のデスクにおかれているコンピュータとにらめっこを始めていた。その後ウォンはロットとしばらく話し込んでからすぐに帰ったようだったが、それがいつだったかまでは記憶していなかった。
その日の夕方、ハヤサカはまた会社に泊まり込むつもりで、夕食を社内の食堂で採ることにした。
「なに、チャイニーズセットは売り切れ?」
食堂で最初に発した言葉は、まずそれであった。見知っている従業員の申し訳なさそうな表情を見ると、文句を言うわけにはいかない。だが、いつものチャイニーズセットがなかったらハヤサカは何を食べるのだろうか、という好奇の目が従業員のみならず周囲にも少なからずあったことを知らないのは、本人だけである。
「あ〜そうか、そうだな、そうしたら・・・もう少しだけ待ってくれ。」
返答に窮したらしく、コーヒーだけ注文して夕食のメニューに思案することになってしまった。周囲にちょっとした笑いの空気が漂い始めるが、それをいちいち気にするハヤサカではない。むしろ馬鹿馬鹿しくて自分自身で笑えるほどだ。
「で、何を食べるつもりなんですか?」
そんなハヤサカに声を掛けたのは、レイ・ニッタだ。だが、いつもならこういうときは意地悪く笑いをこらえている彼なのに、そういう気配はない。何かを決めかねている、そんな表情のかけらがあった。
「さぁな。適当にハンバーガーでも食べるさ。」
「極端ですねえ、チャイニーズ以外は完全に手抜きで選んでるじゃないですか。」
「ほっとけ。」
これは食事中でも不機嫌だろうな、とレイはこの話題を切ることにした。そして、ハヤサカに話しかけた目的である本題を話すことにした。
「それで、他に話せる人がいなくて、ちょっとハヤサカさんにだけ聞いて欲しいことが・・・。」
「なんだ、お前らしくないな。いつもなら何事も自分でサササッと決めているじゃないか。」
「実はですね、オレ、エゥーゴに入ることにしたんですよ。」
「なに?」
一瞬の間を置いて、デニーニの言葉を思い出していた。きっとこの男は、エゥーゴの誰かから30バンチ事件の事実を聞かされているに違いない。
「ハヤサカさん、30バンチで起こった事件を知ってます?」
そら来た・・・ハヤサカは思った。
「その事実を聞いて、エゥーゴに入る気になったわけか。」
「まあ、それだけじゃないんですがね。」
どうやら、思っている以上に、レイには事情があるらしい。それこそ是非聞かせてもらいたいほどだ。
「実は・・・」
レイの話を要約すると、30バンチ事件の起こった8月30日のさらに前に、フォン・ブラウン市内で行き倒れていたある男を助けたのだが、その男が旧ジオン軍の兵士だった人物で、しかも一年戦争時に毒ガスをコロニーに流し込むボタンを押した張本人なのだという。
その男と話しているうちに、自分の手を汚さない人間だからあんなことができるのだ、という組織の上に立つ人間への嫌悪を抱いたらしい。
その男はすぐに連邦軍に捕まったのだが、罪状は知らない。その後は一度だけ面会をしたが、どうやらジオン残党狩りの頭数合わせではないか、という気がしたのだと話した。もちろん、監視つきの面会であったから、男がそういったのではない。あくまでレイの持った印象だ。
「そんなことがあったのか・・・だがな、あんまり思い詰めるなよ。真剣に革命を論じるヤツには、ロクなのがいないからな。気軽にやれよ。」
「そりゃもう。」
レイの顔は確かに笑っていたが、彼自身の中でやはり何かが変わりつつあるのだという実感だけは、ハヤサカの脳裏に残った。
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