第15章 ロンゲスト・デイ 

 ニューデリー指揮官レナード・モートン少佐は、バスク・オムの命令によってその指揮権を剥奪され、拘禁された。罪状は調査報告書の偽造と反逆未遂であった。バスクが自ら、しかもクルー達の目の前で拘禁劇を演じて見せたのは、裏切りに対する見せしめと劇的効果を狙ったモノであるとエネスは感じていた。

 UC.0087年6月から7月にかけては、相変わらず地球と宇宙の両方で小規模な戦闘が繰り返されているだけであった。エネスはバスクからニューデリーの指揮権を与えられ、エネスはMS隊だけでなくニューデリー全体の事を考えなければならなくなってしまった。(それが狙いか?)指揮官となって1週間ほどが経過してから、エネスはそう思うようになった。
 初めての経験であった艦の指揮もようやく慣れてきたが、エネスにはもどかしさがあった。MSに乗っているだけの身分の方が気楽なのである。なにより、今まではモートンがいたので、彼の意思決定に対するリアクションを示せば良かった。しかし、モートンがいない今となっては、考え、そして行動することはエネスが一人で決めなければならなくなった。
 モートンの拘禁事件があって以来、エネスの心の中には少しずつ挫折感が沸き上がっていた。戦術などの知識や戦況の洞察などに優れたエネスではあったが、ことに政治的な部分が絡んでくるとなると話は変わってくる。エネスは正直に言ってこれ以後の行動方針を見出せなくなっていたのである。ニューデリーは7月中ずっとゼダンの門周辺の哨戒任務に就かされていた。
「指揮官が不慣れな部隊をわざわざ最前線に送るほどティターンズはマヌケではない。」
 バスクはそう言ってエネスに当面の間のゼダンの門への駐留を命令した。エネスの昇進に平行して少尉に昇進したたクリック・クラックは、何かとエネスについて回るようになった。直属の部下なのだから別におかしいことはないし、仕事も手伝ってくれるのでエネスは何も言わなかった。しかし、エネスはクラックのこの副官気取りの行動は自分の監視の為ではないか、いや、そうに違いないと思っていた。モートンの件を密告したのがクラックなのではないかとも疑っていたからだ。

 エネスがルナIIにある作戦指令室に呼び出しを受けたのは、7月30日のことであった。ルナIIはゼダンの門の宙域ではグリプス2と旧ア・バオア・クー要塞との中間地点に位置しており、どちらからでもランチを使えば2時間もかからずに移動できた。クラックの随伴の申し出を許可したのは、自分の知らないところでクラックが行動しているのを享受できなかったからであった。自分を監視しているかも知れない人物を監視するという、エネスの大胆な考えである。ルナIIの宇宙港にランチが入港すると、エネスはクラックを伴って案内役の兵士の薦めに従ってルナIIの中心部に向かっていく。
「しかし大尉、わざわざここまで呼び出しとは・・・どういうんでしょう?」
 エネスの隣りにいたクラックが、これまでの沈黙に耐えきれずに切り出した。
「オレにも解らない。ルナIIの司令室はいわばティターンズの中枢だ。それなりに重要な話でもあるんだろう。」
「作戦行動がありますかね?」
「今の小競り合いが頻発しているだけの状態から埒を開けたいんだろう。」
 クラックの何気ない質問に無難な応答をしていたエネスは、密かに違うことを考えていた。今後の方策を数日間考えたが、結論は出なかった。ただ言えることはモートンの二の舞を演じることは許されないと言うことであったので、今はティターンズの兵士であろうとすることが先決だと、とりあえずの結論を出していた。司令室に通じる廊下の手前で停まると、2人は司令室に向かってハンドグリップを掴んで移動をはじめた。

 司令室に入室したエネスとクラックを待っていたのは、バスク・オム大佐であった。
「ご苦労、リィプス大尉。貴官をここまで呼んだのは他でもない。出航準備を整え次第、月に向かって貰う。」
 バスクの表情を伺いにくいゴーグルはこう言うとき、何を考えているのか解らないので不気味である。クラックもそれには同感であった。
「月、ですか?」
「そうだ。詳しい話はアレキサンドリアと合流してからジャマイカン少佐に聞くと良い。」
「で、ジャマイカン少佐はどちらにいらっしゃるのです?」
「現在はシロッコ大尉のドゴス・ギアとの合流を果たしている。じきに他の艦艇との合流も行う予定だ。ニューデリーは私直属の部隊としてその作戦に参加して貰う。ティターンズ内部での扱いは貴官はシロッコと同等になる。」
「ドゴス・ギア?」
 パプティマス・シロッコの名は無論エネスは知っていたが、その艦の名前らしき名称は思い当たらなかった。
「グリプスで建造していた最新鋭の大型戦艦だ。まぁ見れば解る。ニューデリーは準備が済み次第すぐに出航せよ。あとはジャマイカン少佐の指示に従え。それと、新しいMSも4機、そちらに回す。マラサイだ。」
「は、解りました。ではMS搬入後すぐにでも出発します・・・」
 エネスは敬礼した後一度口を開きかけたが、すぐに踵を返した。
「何か言いたいことでもあるのなら言って見ろ。」
 バスクはそれを見逃さずにエネスに呼びかける。普段見せるような厳しい言い方ではなく、むしろ何かを期待しているかのような言い方であった。
「は、大佐はただのMS乗りである私を何故そこまで買っていただいているのかが解りません。」
「それはな、リィプス大尉、貴官が優秀な兵士だからだ。今回の作戦でも頑張ってくれれば嬉しい。」
 バスクはそうとだけ言って、エネスとクラックに退室を命じた。
「シロッコ・・・貴様だけが特別だと思うなよ・・・」
 バスクは一人、司令室のデスクで呟いた。バスクにとってはモートンやエネスなどより、シロッコの方がよほど油断できない相手だと思っていた。エネスにしても使い方次第では利用価値の大きい兵士になると計算していた。モートンを介さずにエネスを使役すること、モートン拘禁劇の目的の一つはこれであった。

 8月2日にニューデリーは、新しいMSマラサイの納入を終えてゼダンの門を出発した。月までの行程は何もなければおよそ6日ほどなので、その間に4機のマラサイの調整や習熟訓練を行うつもりであった。エネスとて、いきなり新しいMSを使いこなせるほど万能ではない。エネスにとっても習熟訓練は充分やっておく必要があった。自分が命を預けるMSのクセ等を熟知しておくことも、パイロットの重要な仕事であり、生き残るための方法の一つでもある。
 1日でなんとかマラサイの調整が一区切りすると、エネスはクラック達を連れてMSで艦の外に出た。ニューデリーのMS隊は4機で構成されている。今となってはいずれもマラサイであったが、一機だけ基本色のオレンジではなく濃紺のマラサイであった。無論エネス機である。
「アーリントン、ラファエル!まだマラサイは加速できるぞ、遅れるな!」
「は・・・はい!」
「了解!」
 ミノフスキー粒子の薄い宙域だったので、エネスの怒号がアーリントン、ラファエル両軍曹のヘルメットに鮮明に鳴り響いた。

 マラサイの習熟訓練は、月の手前にあるサイド5宙域に到着するまで継続して行われた。マラサイの扱い易さもあって、クラック達は新しいMSにようやく馴染んできていた。しかし、エネスはパイロットだけをやっていればいい立場ではない。レーザー通信による定時連絡、周辺の索敵、こういった雑務を任せられる副官がブリッジにいない以上、エネスが切り盛りしなければならなかった。モートンの苦労の一端を垣間見たエネスは、キャプテンシートに座りながらもこの人事の意味を理解しようと模索した。考えられることは一つ、妙な考えを起こさせる暇を与えないようにこき使う事、これではなかろうか?エネスは、無重力状態でも崩れないように、薄く整髪料を塗って立てている前髪を撫でながら考えた。


 ニューデリーは当初の予定より遅れて8月9日に、サイド5の宙域を過ぎた当たりでアレキサンドリアと合流した。この宙域はルウム戦役時に撒き散らされたミノフスキー粒子の影響が強い宙域であり、アレキサンドリアの位置を特定するのに手間取ってしまったからである。アレキサンドリアの右舷には、赤い塗装を施された大型の船が見える。
「これがドゴス・ギアか・・・」
 エネスはブリッジでその大型戦艦を目視した。バスクの虎の子とされる戦艦だけあって、その外観には凄まじい威圧感があった。ニューデリーがアレキサンドリアの左舷に到着すると、通信がエネス宛に入る。
「大尉、ジャマイカン少佐からの通信です」
「メインモニタに回せ」
 通信士はエネスの指示に従って、通信の映像をブリッジ正面のメインモニタに回した。
「遅かったな、大尉。貴様の到着が一番最後だぞ!」
 モニタにはやや頭髪が後退した男が、少し声を荒げている。
「は、申し訳ありません、少佐。」
「言い訳をしないのは感心だな。早速作戦会議だ。こっちに来い。」
 ジャマイカンはただそれだけを言って通信を一方的に切ってしまった。
「・・・・アレキサンドリアに行く。留守を頼む。」
 エネスもそれだけしか言わなかった。

 アレキサンドリアに合流した艦艇は6隻、数で言えばそれなりである。局地的な戦闘をするには大規模すぎたし、大攻勢をかけるには少なすぎた。ましてやこれから月での作戦行動である。作戦の意図するところが解らなかったから、エネスは現在のところ余計な詮索はするまいと決めた。ランチでアレキサンドリアに入り、ジャマイカン少佐の指示でブリーフィングルームへと向かった。無論隣りには、クラック少尉も同伴している。
「エネス・リィプス大尉、参りました。」
「遅いぞ。」
「申し訳ありません。」
「今回の作戦のことだが、どこまで大佐から聞いている?」
「は、今回の作戦のことは全く中身を聞かされておりません。ただ、月方面に向かってアレキサンドリアと合流せよとのことでしたので・・・」
「・・・私の指揮するアレキサンドリア、シロッコ大尉の指揮するドゴス・ギアを中核として、月のフォン・ブラウン市を制圧する。」
「中立都市をですか?確かに、フォン・ブラウンの中立性そのものがエウーゴの助けになっている事は確かでしょう、しか・・・」
 エネスはそこで言葉を止めた。それ以上は言うべきではないと咄嗟に判断したからであった。
「無論、エウーゴが阻止行動に出るだろうから、リィプス大尉のニューデリーにはグラナダ方面から発進して来るであろう部隊に対する牽制と攻撃を行って貰う。撃破せよとはいわん、足止めして時間を稼げ。この任務は遊撃部隊である貴様等にだけやってもらうことになるから、敵の撃滅は難しいだろう。しかし、このアポロ作戦成功のためには、貴様の行動の成否も重要なのだ。」
「我々だけで足止めですか?」
「そうだ。こちらからは援護はしてやれん。ただし、全滅する危険が出てきた場合にのみ、戦線からの離脱を許可する。判断は貴様がやれ。」
 ジャマイカンはあくまで冷静に言っているが、その言葉はエネスに重くのしかかった。ああ言ってはいるが、エネス達に死んでこいと言っているようなモノだと感じられたのだ。戦線離脱の許可はバスクに対する体裁だと言うことはすぐに解った。エネスがさっき言ったようにフォン・ブラウン市がエウーゴにとって重要な場所である以上、エウーゴは全力で阻止行動に出る事は間違いない。グラナダ・アンマンに駐留している部隊だけでもそれなりの数があろう。それを一艦で足止めさせること自体に無理があった。この時になって、エネスはジャマイカンの意図を察した。バスクとは違う方法で自分を利用しようと言うのだ。一人の人間に対するやっかみで殺されるなど、たまったモノではない。
 エネスが静観している時から、行動すべき時になったのだと決心したのは、この時であった。何をすべきかはまだ解らない。だが、このまま手遅れになってしまったらバスクに飼い殺しにされてしまう・・・エネスは自分の状況が抜き差しならない事態の一歩手前にまで追い込まれていることに気付いた。身動きを取っていられるのは最早時間の問題だと察知したのである。
「ニューデリーは先行して、フォン・ブラウン上空を通過してグラナダ方面へと向かって貰う。そして、エウーゴに対する牽制を行え。我々の目的が向こうに察知されていることは十分に考えられるから、相手を混乱させることもできる。可能な限りグラナダに近付いて、すぐに進路を変更しろ。陽動任務も兼ねていることが解るな?」
「は、了解です。」
 自分の意図を完全に隠して、エネスは一言だけ返事をしてから踵を返した。
「この作戦はエウーゴにたいして先んずると言う意味でも重要なのだ、期待しているぞ。」
 ジャマイカンの最後の言葉に対してエネスは返事をせず、クラックを連れてそのまま退室した。エネス達が退室した後、別の入口から士官が入ってきて、ジャマイカンにコーヒーの入ったチューブを差し出した。
「しかし、この作戦で死なれてもバスク大佐がお怒りになられるのでは?」
 士官はジャマイカンがコーヒーをすするタイミングを見計らって、話も切り出した。
「奴のことだ。退き際くらいは心得ているだろう。それに、アポロ作戦さえ成功してしまえば我々はエウーゴに対して圧倒的有利な状態で戦局を展開できる。エネス一人の事など問題にもならん。」
「それは確かに」
「それと、リィプスに余計なことを考えさせない事も大事だ。ニューデリーがグラナダまで向かえば、むしろ示威行動として相手の戦力を分割できる可能性だってある。それにはニューデリー1隻の方が都合がいいし、第一、今からでは戦力を集められないだろう。まぁ、モノは使いようだと言うことだ。」
「解りました。あとはシロッコ大尉の行動に注意を払いましょう。」
「そうしてくれ」
 右手を少し振って追い出すような仕草をすると、士官は入ってきた入口から出ていった。

 8月9日という1日が終わりを告げようとしている頃に、ニューデリーは他の艦艇に先立って出発した。
エネスの最も長い1日が始まろうとしていた・・・


第15章 完   TOP