第26章 儀 式
宇宙世紀0087年11月、戦況はエイドナ・バルスやユリアーノ・マルゼティーニが予測したとおり、連邦軍の内紛の方はエウーゴが着々と主導権を握りつつあった。しかし、10月に地球圏へ帰還してきたアクシズのジオン残党軍の介入により、事態は混沌の度を加速度的に速めていく。エウーゴはアクシズ軍と手を結ぼうとするも失敗、地球と宇宙の両方で局地的敗北を繰り返して不利な状況に置かれたティターンズは、アクシズ軍との連合を組むことでなんとかエウーゴとの戦線を維持しているような状態にまで、事態は急変していた。
11月もあと数時間で終わりを告げようとしていた。情勢が急展開を見せている中、クレイモア隊はその全ての任務行動を凍結されてから、2ヶ月半を無為に過ごしていた。この間クレイモア隊には、出撃命令どころか出撃許可すらも下りなかった。こちらから何かを呼びかけるとリアクションこそあったが、そうしない限りエウーゴ参謀本部の方からは何のアクションもなかった。これではただの飼い殺しだ、ログナーは苛立った。この2ヶ月もの間、ログナーは特に何をしたというのでもなく、ただ情勢の変化を見守るだけであった。
1月ほど前にフォン・ブラウン市港湾部がティターンズの潜入員に爆破されると言う事件があっただけで、月周辺は割と静かであった。この頃主戦場はサイド2にあり、サイド3や月などには誰も関心を抱かなかった。11月16日にクワトロ・バジーナことシャア・アズナブルが行ったダカールでの演説をきっかけに戦況はエウーゴが優勢に立ち、ティターンズの壊滅も時間の問題と思われた。それだけではなく、連邦政府もエウーゴの行動を正規の軍事行動として黙認するような風潮が出てきたことも大きい。今やティターンズは、連邦政府にとっては邪魔者でしかない。これ以上ティターンズに協力しても無益なだけではなく、百害あった。こういった連邦政府の日和見的側面も、今という情勢を冷静に考えれば、それも仕方のないことなのであろうか・・・思いながらログナーは、今はただ事務処理を艦長室の机上で行っているだけであった。その事務処理も、優先順位の低い性質のモノであったことが、ログナーが如何に手持ちぶさただったかを如実に表現している。
「ローレンス軍曹」
ログナーは机上にある端末の通信機能をオンにして、ブリッジにいるミカを呼んだ。
「はい、ローレンスです。」
「参謀本部からは、まだ何もないか?」
ログナーはここ1週間ほど続けて、参謀本部に凍結の解除を要請していた。事態が急変していく中、クレイモア隊の戦力が有効なのは明らかではないか、と思ったからである。
「まだ何も・・・ほとんど無視ですね。補給だけは不自由していませんけど。」
「そうか・・・・」
ログナーはそうとだけ言って、端末の通信機能を切った。こういったログナーとミカの問答は、これで3度目になる。参謀本部のお偉方は一体何を考えているのか!ログナーは心の中で罵った。ティルヴィング一隻で戦況を決定的にできるのなら、既にそうしているだろう。それは解っているが、ログナーはやりきれなさを捨てられなかった。
ショール・ハーバインは、迷っていた。無期限とは言え、この情勢でクレイモア隊を戦線に投入しないエウーゴ参謀本部の幕僚達の考えが、理解しかねていたからであった。「詮索の名人」であるエネスに聞いてみても、その回答は出なかった。現在のエウーゴは確かに、その存在の正当性を認められたに等しい状態にある。軍事的勢力もティターンズを上回っている勢いだ。しかし、アクシズ軍の存在は看過し得ないものであることは、ショールにでも解る事であった。エウーゴがそのアクシズ軍と手を結ぼうとしたことは、納得できない部分はあった。内戦を終結させるために、外敵の力を借りねばならないのか。本来倒すべきはその外敵であり、むしろその外敵と戦うために、連邦は一刻も早く内紛を終わらせるべきではなかったのか。
ショールは連邦は変革して行くべき対象であり、ジオン軍もまた倒すべき敵であると認識している。今の連邦の正義など信じてもいないし、ジオン・ダイクンの教義を歪曲しているジオン軍の正義もまた、信じていない。今まではジオン軍のことを考えずにティターンズとだけ戦ってくればよかったのだが、これからはそうも行かない様子だ。ショールの迷いの奥底にあるのは、ジオン軍を倒したあとに連邦改革の運動を起こすか、ジオン軍の存在を連邦変革の種にするか、と言ういち兵士の及ばない領域にある次元の考えだった。考えがそこまで及んだのに気付いたとき、ショールは頭を振ってそれを掻き消そうとした。今考えることは自分のできることは何かであり、選択肢のない今の戦略状況を分析することではないのである。
ふと自分の回りを観察すると、目の前には白いリックディアスが立っていた。ここはMSデッキ、周辺には既に調整や整備を完全に終えたMSが数機、立ち並んでいる。メカマン達の姿は数人見かけるだけで、ほとんど見あたらない・・・当然だろう、ここ2ヶ月以上も仕事がないのだから。その残っている数人のメカマンは、暇つぶしにMSの武器類や駆動系を繰り返してチェックしていた。戦時中だというのに、これほど暇な部隊はエウーゴではオレ達だけだな・・・ショールは苦笑した。かくいうショールも、自室で読書したりビュッフェでコーヒーを飲むにも飽きて、歩き回ったり愛機のコックピットに座って考え事をするしかなくなってしまった。後ろを振り返ってみると、元々予備機だったネモのコックピットには、エネスがいるのを確認できた。すかさず、ショールは床を蹴ってネモへと身体を流した。
「まめだな、エネス」
ティターンズの隊章が除去された濃紺のパイロットスーツを着てコックピットに座っているエネスは、ショールの声に気付いてふとコックピットハッチの方を見た。ショールの方はエウーゴの制服姿である。
「迷いを紛らわすには、仕事をしているのが良いからな。」
エネスは言いながら、右手のグリップを握ってみる。どうやらグリップの遊びなどを見て自分にあった操縦ができるように調整していたようだと、ショールには解った。
「エネスでも迷うことがあるんだな。」
「なんだ、それじゃオレがまるでコンピュータか何かじゃないか。ま、どうせ貴様は『ジオンとティターンズ、先にどちらと戦うべきか』なんてくだらないことを考えていたんだろう?」
「・・・なんで解った?」
「何年貴様に付き合ってると思う。貴様の考えていることなら解る・・・今はよせ、その時じゃない。」
エネスは右グリップの具合に納得すると、左グリップの作業に取りかかっていた。ショールは背中に汗をかいているのを自覚した。今話している内容は、明らかに命令違反をしようとしている相談だ。しかも話している相手は元ティターンズ、誰かが聞けば共謀して叛逆する事くらいは疑われても文句は言えない。思わずショールは周囲をキョロキョロと見渡したが、幸い周辺に人はいなかった。
「しかし、貴様と・・・オレは無論ついて行くが・・・エリナくらいしか付き合えないんじゃないか?それに、今エウーゴを敵にするのは不味い。もう少し様子を見たらどうだ?」
「・・・わかった・・・もう少し考えるよ。お前に黙って変なことはしないと約束する。」
ショールはため息をついてから、エネスに誓った。エネスの方も、グリップの調整作業を終えた様子だった。ショ−ルは右手を出して、エネスを促した。エネスはそれを握って、ショールに引き上げて貰う。
「昔、貴様に言っただろう・・・性急な」
立ち上がって、エネスが言いかけて・・・
「「行動は身を滅ぼす」」
ショールとエネスの言葉が重なる。シンプルな言葉だが、エネスが言うとショールは重みを感じる。エネスがショールに何度も言った言葉だった。あまり慎重に度を超すようなことがあっては問題だが、それでも早急すぎると思えるような行動よりは取り返しがつくことが多い、と言っているのである。
「・・・そう言うことだ。時は必ず来る、今は待て。」
「あぁ・・・ありがとう、吹っ切れた。」
ショールは後ろを向いて右手を振りながら、デッキを去った。
ショールはデッキを去った後、艦内を当てもなく歩き回った。吹っ切れたと言ってもそれは『今は性急な行動をしない』事に対してであって、変動する情勢の中で何もできない自分への苛立ちは、少しも吹っ切れていなかった。思い詰めた人間が何をするのか解らない事を十分に承知していたショールは、今の自分を切り替えるためにエリナの部屋へと向かった。何かに迷ったらエリナと話す、それはショールの癖であった。同時にそれは、エリナという女性がショールのメンタルケアには欠かせない存在であり、もしエリナがいなかったらショールはここまで戦って来れなかった事を示していた。良き理解者が1人いるだけでも、人間は充実した人生を送ることができるのであろう・・・とショールは思う。
ドアをノックする音が、エリナの部屋に2度、鳴り渡った。ショールにはエリナがここにいるという確証こそ無かったが、気兼ねなく2人で話せるからここにいて欲しかったというショールの希望が、エリナの部屋をノックさせた。
「私ならいないわよ。」
快活なエリナの声が聞こえた。ショールが操作すると、ドアはシュッと音を立てて開いた。ロックは最初からされていなかったようだ。
「・・・不在ならロックくらいしろよ、不用心だぞ。」
苦笑しながら、ショールはエリナの姿を目で探した。エリナはベッドに腰掛けていた。
「急にどうしたの?」
「あぁ、邪魔だったか?」
エリナはベッドの上を整理している最中だったので、ショールの訪問は特に困惑しているようでもなかった。
「暇つぶしに部屋を整理していたのよ。やることはやったって感じね。訓練のための出撃すらないんだもの。今週に入っていじった機械は部屋の空調だけよ。」
エリナは不満げに言った。エリナ・ヴェラエフというティルヴィングのチーフメカニックは、士官学校整備兵科をずば抜けた成績で卒業した逸材であった。パイロットならば士官学校卒業時に少尉任官が決定されるが、整備兵科や通信兵科などになってくると事情は異なる。エリナは士官学校卒業時に曹長としてグラナダへ赴任し、それからは昇進はない。このグラナダ勤務の背景には、ショール・ハーバインというエースパイロットの存在があった。ショールはログナーからファクターを通じて伝えられたエウーゴへの参加要請を快諾する条件に、エリナの人事を持ちかけたのである。その条件が成立したのは、ショールの婚約者だったからだけではなく、そのメカニックとしての手腕を見込まれたからであった。
「そうか、ちょっと良いか?」
「いいわよ。」
エリナが座っているベッドの隣をあけて、そこに座るよう勧めた。ショールはそれに従った。
「エリナ、オレは今何をしたら良いんだろうか?」
「あ、エネスに諭されたでしょ?」
「あのな、エネスと言いお前と言い、なんですぐにオレのことが判るんだ?」
「顔にでやすいもの、付き合いの長い人間ならバレバレよ。」
ショールは黙って、右手親指で頬を掻いた。どうやらショール自身でも、自分の表情の正直さに気付いていないようだった。エリナは笑った。
「でも、ショールがそうじゃなかったら、私はここにいないわ・・・嘘つきは嫌いだもの。」
「チィッ・・・まぁいいか。さっきな、エネスに久々の『アレ』を言われたよ。」
「でしょうね。ショールは思い立ったらすぐに行動する癖があるし。もうちょっと落ち着きなさいよ。」
「母親みたいな事を言う・・・」
ショールは苦笑して、押し黙ってしまった。
「もうじきそうなるかもね。」
エリナの言葉を、最初ショールは聞き流した。しかし、数秒をおいて・・・・
「・・・なに?」
「可能性の問題よ。そろそろ出来てもおかしくないでしょ?」
「・・・そうか、可能性か・・・」
「あなたと私の子供が出来たら、嬉しくないの?」
エリナは意地悪半分に詰め寄った。ショールの次の言葉が聞きたかったのだ。
「そりゃ嬉しいさ、決まってる!」
「その時を楽しみにしてるのね。」
エリナも流石に恥ずかしくなったのか、顔を紅潮させて少し目を逸らした。ショールはエリナのこの表情がたまらなく好きだった。そして不意に、ショールはエリナにキスをしていた。軽く唇が触れた後、ショールはすぐにそれをやめた。
「・・・式を挙げよう。」
「いいわ、いつにする?」
ショールはエリナを驚かせようと、今度は自分の番とばかりにちょっとした奇襲を浴びせたが、ショールはエリナに敗北した事を悟った。しかしそのエリナの反撃は、ショールにとってはむしろ嬉しい敗北だった。ショールとエリナが出会って7年、ようやくショール達は何もかも一つになれたような気がした。7年前の宇宙世紀0081年、その年はショールが19歳で士官学校の2年次に進んで、18歳のエリナが士官学校へ入った年だった。半年してから、ちょっとしたきっかけでエリナはショールと出会った。それからエリナもショールも互いに強烈に惹かれ合い、エリナの士官学校卒業と同時に婚約した。ティターンズとの戦争がなければ、丁度今頃の時期に結婚する予定であった。
「すぐに・・・は無理だな・・・そう、明日。」
「バカ言わないでよ。どこでやるの?」
「ティルヴィングで・・・そうだ、MSデッキでやろう!みんなも良い暇つぶしになるって来てくれる。」
7年越しの、そして2度目のプロポーズだった。
ショールは急いで、艦長室へと向かった。ドアをノックして返事を待つこともなく、ドアを開ける。
「艦長!」
ログナーは流石に驚いた。強面のクレイモア隊指揮官は、何か緊急の事態でも起こったのかと、思わず身を乗り出した。
「な、なにがあったんだ!?」
「結婚させて下さい!」
ログナーの頭の中は、一瞬真っ白になった。
宇宙世紀0087年12月1日に日付が変わり、時刻もランチタイムを迎えようとしていた時だった。クルー達がなにやら騒がしく動き出しており、レイはすれ違うクルー数人を他人事のように見送っていた。その人数を数えて4人目に差し掛かったところ、そのクルーを呼び止めた。
「おい、なにやってんの?」
「あぁ、少尉。今からMSデッキで結婚式なんですよ。」
「はぁ!?」
レイは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。クルーの方はと言えば、良い暇つぶしが出来たと言わんばかりにデッキへと走っていった。レイはさっぱり訳が分からず、とりあえずそのクルーについていくことにした。
MSデッキ入口を抜けたとき、レイはエネスと鉢合わせた。エネスの表情を察するに、何が起こっているのかはエネスには分かっている様子だった。
「エネス大尉・・・なにがあったわけ?」
「・・・行けば分かる。」
言われて、レイはMSデッキを見た。結婚式というからには、派手な飾り付けなどがあるのかと、レイは思った。どちらかと言えば、訳の分からない事態への精一杯の皮肉だったかも知れなかったが、いつもと違うことと言えばメカマン達が戦闘配備でもないのに右往左往していることだけであった。それでも意味が分からず、レイはデッキへ足を踏み入れた。
「レイ!」
そこへ呼び止める声が一つ・・・死に装束の足元に立っているショールだった。レイはいつものようにそれに応えるべく、右手を挙げて振ろうとした。しかし次の瞬間、ショールの服装に驚いた。
「・・・・・・・・・・」
対応の仕方が判らず、レイは口を開けっ放しの間抜けな表情になっていた。
「お前、なんだよ・・・その白い服は?」
ショールの服装は上下白のカジュアルスーツだった。
「あぁ、これか?ずっと前にエリナがグラナダで作らせた服なんだよ。『何から何まで白にこだわるならスーツも白にしたら?』って、皮肉たっぷりに注文したんだよ。」
「そうじゃないって。なんで白いスーツなんか着てるのかって聞いてるんだよ。」
「あ、エリナも来たぜ?」
ショールは自分の愛機の左側を指をさし、レイもそっちを向いた。驚いたことに、エリナも白いワンピース姿だった。
「エ・・・エリナも白?」
レイはまたも、あんぐりと口を開けた。レイの表情としてこの際は、呆れたという表現が最も的確であろう。
「エリナ、なんでお前まで白なんだよ?」
レイはショールに対したときと同じ顔つきで、エリナに聞いた。
「あ、これ?これはショールが『仕返しにお前にも白を』って勝手に作っちゃったのよ。」
「そうじゃない・・・・・って・・・・ひょっとして、お前達が結婚すんの?」
「今頃気付いたのかよ。まぁ都合良く白い服があったからな。ホントはエリナにはドレスを着せてやりたかったけど、急なことだったし、まぁしょうがないだろ?」
「それは良いけど、しっかしまぁ・・・・前代未聞だな、お前ら・・・・」
レイは呆れずにはいられなかった。しかし、レイは元々バカ騒ぎが好きな方である。次第にレイの表情は呆れから、笑いへと傾いていった。その頃になって、エネスもようやくショール達の所へと流れてきた。
「エネス・・・・」
「ショール・・・」
エネスは右手でショールの左肩をポンと叩き、ショールもエネスの左肩を右手でポンと叩き返した。
「レイの言うとおり前代未聞だが、幸せになれ。」
エネスの言葉はそれだけだったが、ショール達にとってはそれで十分だった。ショールとエネスは士官学校時代、エリナを巡ってちょっとした喧嘩をしたことがあった。今でこそエネスはショール達の幸せを心から祝福しているが、数年前ならこうはならなかっただろう。それを思えば、ショールにとっては嬉しくもあったし、エネスに申し訳ないような気持ちもあった。
「でも、なんでこの時期になって式をする気になったんだ?」
レイは一番聞きたかったことを、今になってようやく聞くことが出来た。
「・・・言ってしまえばヒマだからだけど、オレ自身のけじめってヤツかな。」
「けじめ?」
「あぁ、けじめさ。なんて言うのかな、・・・オレ達は戦争をしている。お互い信じていても、死ぬときは死ぬ。その時になって『ああしておけば良かった』とか後悔するのは御免だからな。戦争がなかったらオレ達は、今頃の時期に結婚式を挙げてたんだぜ?それに、エネスもいてくれるからこうしようと思ったんだ。エネスには式に出て貰わなければならない、ってエリナが言ってね。」
「それにしても・・・」
エネスが口を挟んだ。
「よく艦長が許可したな?貴様のことだから、エリナと話した後にすぐ勇んで艦長室に飛び込んだんだろう?」
「やっぱり・・・判るか?」
「当たり前だ。ヒマとは言え、こんな事を許可するとは物好きな艦長だな?」
「まったくだな」
ショールも同意した。実際言い出したショール自身ですら、ログナーがすぐに許可をくれるとは思っていなかった。しかし、ログナーは全体的に弛みつつある士気を引き締める意味でも、こういった変化や刺激があった方が良いと、ショールに易々と許可を下したのである。このくらいの単独行動なら認めてくれるだろう、ログナーは苦笑しながらそう付け加えた。
その物好きな艦長は、丁度ショール達の前に姿を現した。別に格式張った催し物でもなく、ショール達の簡素な結婚式には正式な開始時刻は決められていなかった。ログナーがおこなった事と言えば、MSデッキに集まるよう全艦内に通達をしただけであった。無論、他のクルー達は何事かと急いでMSデッキに集まるだろう。その後クルー達がそこで見た光景は、ある意味では緊急事態だった。
「そう言う意味では、うちの艦長は顔の割りには話せるんだよなぁ」
レイは嬉しそうに頷いていた。ログナーがショール達を見つけると、その輪の中に入ってきた。
「ほう、顔の割りには、か。」
「あ、艦長・・・なかなか粋な計らいですね」
レイは話題を変えようと必死だ。ログナーの顔は怒ってはいない。
「前代未聞だがな。まぁいい、始めるか。総員、注目するようにッ!」
ログナーは大声で、注目するように叫んだ。ざわついていた70人近くにのぼる参列者達も、このログナーの声の前に静まり返る。流石だと、ショールとエリナは思った。
「中尉・・・」
ログナーはショールに促し、ショールは頷いた。
「みんな、集まってくれてありがとう。食い物もキャンドルもライスシャワーもないことは、みんなに詫びる。」
ショールが言うとメカマンの数人が、ランチパックがあるしレーザートーチもあるぞと、野次を飛ばした。
「ショール・ハーバインとエリナ・ヴェラエフは、今をもって結婚した事を、みんなの前で宣言する!・・・でも、オレ達はゴールインしたわけじゃなくて、これから始まるんだ!これからもみんな生き残って、幸せになろう!」
シンプルで手短な宣言を終えると、ショールは右手を挙げた。クルー達は別に申し合わせていたわけではなかったが、自然とMSデッキは拍手に包まれた。その拍手の中でミカ・ローレンスは、なんでブーケを観衆に投げ込む儀式がないのかと不満に思いながらも、ショール達の結婚を心から祝福した。
「おい、肝心のアレがないぞッ!!」
レイがからかい気味に、茶々を入れた。それが誓いの口づけであることは、観衆の誰もが判っていることだった。ショールとエリナは、溜め込んでいた羞恥心を一気に顔に表し始めた。覚悟していたとは言え、実際その時になってみると恥ずかしいモノだ。既にショールとエリナの仲は全クルーが知るところであったが、それでも最低限の恥ずかしさはあった。次第に赤くなる2人を冷やかし気味に、やっちまえと回りの観衆も少し騒ぎ始めた。
「わかったッ!」
ショールはヤケ気味に宣言して、エリナと向かい合った。そして、ゆっくりと互いの唇を寄せていく。その時になって、観衆は黙り込んだ。黙ったなら黙ったで恥ずかしいなと思いながらも、ショールは最後の一押しに出た。2人はそのまま10秒ほど硬直して、離れた。途端に拍手が再び沸き起こった。エネスは拍手をしながら、2人と地球、両方の未来に思いを重ねて、平和を祈った。
第26章 完 TOP