第09章 淀 み

 宇宙世紀0088年2月25日・・・エイドナ・バルス少将は自分の宇宙での仕事を終えたと言わんばかりに、グラナダから再び地球へと戻った。グラナダの宇宙港でそれを見送ったニルソン・ロレンス大佐は、自らの執務室に戻ってすぐ、クレイモア隊にグラナダへの帰還命令を出すよう秘書に命じた。バルスはロレンスに今後のクレイモア隊の扱いをしばらくの間任せると言い残していたので、クレイモア隊にはぜいぜい働いてもらおうと決めていた。現状でアクシズ軍とは戦闘と呼べる規模の争いはなく、戦況は落ち着いていると言って良い。しかし、アクシズの地球圏への侵攻は時間の問題だ。アクシズの次の行動として考えられるのは、戦力を各コロニーサイドに差し向けて、それらを傘下におさめる事である。ハマーンの最終的な目的が地球圏の統一である以上、自軍の基盤を整備するための戦略としては当然であった。とすれば、当面のクレイモア隊の仕事はこれらをひとつひとつ潰していくことになるだろう。
 ティターンズとの激烈な戦闘を終えた直後でもあり、エウーゴには戦力と呼べる程の機動部隊はほとんど存在しない。ログナーの目算通り、クレイモア隊の存在価値はこの時になって、飛躍的に高まったのである。
「大佐、ティルヴィングへのレーザー回線による伝令を完了しました。」
 コーヒーの入ったプラスチックの容器をもって、秘書官が執務室に入ってきた。その美しい金髪から、好色なロレンスの好みに合わせて人選されたのではないかと兵士達が噂するほどの、いわゆる大人の女性の雰囲気を臭わせていた。
「あぁ・・・ところで、エウーゴでアーガマとクレイモア隊以外に実働可能な部隊はあるか?」
「いえ・・・まだまとまった戦力と呼べる程の・・・」
「判った、もういい。」
 ため息をつきながら、ロレンスは秘書官の言葉を遮った。

「少佐?」
 キャプテンシートの横に直立していたクリック・クラックは、そのシートの本来の持ち主に声をかけた。ここから先の方策などなかったから、不安を捨てきれなかったのである。
「・・・君の言いたいことは判っているつもりだ。これからどうするか、そう思ってるんだろ?」
「ええ、モートン少佐を迎えればこの先、正規軍としての行動として容認されると思ってましたので・・・」
 レナード・モートン少佐は、自分の立場を判断しかねていた。ティターンズの変革を唱えてきたことは、彼が拘留されたすぐ後に発覚している。しかし、ティターンズの直属部隊であるニューデリー隊から救出されたという事実は、いずれかを主観にすることで解釈が大きく異なる。
 ひとつはクラックの目論見通り、反ティターンズ思想のモートンを迎え入れることで、自らの立場を正当化する事である。それは確かに、間違いではない。ふたつめは、ティターンズであるクラック達に迎え入れられたことで、モートンの反ティターンズという立場を失わせるのではないかという危惧である。
「君の方策が巧く行くように、私も最大限の努力はするが・・・保証はしかねるな。」
「努力をなさると言うことは、手段はあると言うことですね?」
 クラックの顔に、少し明るさが戻ってきた。この男は本当になにも考えていなかったのだろうか・・・モートンはクラックを少し見つめて、胸中で嘆息した。クラックの策がモートンの救出で終わっていたのには、根拠が皆無だったのではない。『”元”ティターンズの兵士が自己の身の安全の為に方策を巡らせた』・・・そういった無用な嫌疑を連邦軍から受けない為であり、モートンという男の持つコネなり判断力なりの方がクラック自身よりも当てになったからでもあったが、この際は後者の方が大きい。
「エウーゴに元上司がいる。その人に私の身元を保証してもらえば、正規軍となったエウーゴと同等にもなるだろう?」
「エウーゴになると言うことですか?」
 クラックは少しだけ、眉をひそめた。どちらが正しいとか、そう言う問題ではない。エウーゴが正規軍としての扱いを受けていることくらいは、考えなくても判ることだ。しかし問題は、エウーゴ側の自分たちへの扱いである。せっかくティターンズという呪縛から逃れたのに、異なるとは言え再び体制という呪縛に囚われるというのであれば、元の木阿弥というモノである。
「違うだろうな。向こうの出方次第だが、元ティターンズの艦を引き受けるような厄介事を歓迎するとは、到底思えん。」
「では、ティターンズ配属前の状態に、原隊復帰する形になるわけですね。」
「恐らくな・・・もっとも、連邦内での扱いが改善される保証も、何処にもないんだが・・・」

 地球から最も離れたコロニーサイド、サイド3のコロニー”ズムシティ”・・・その工業ブロックに、”ノーアトゥーン社”という小さな会社がある。コロニー公社の下請けで、サイド3にあるコロニーの老朽化した部品などを交換して回っているのが、主な仕事である。コロニー建設からおよそ20年が経過した頃には、全ての部品が交換される事になるが、いくつかの部品が交換された頃には他の箇所が老朽化し、また交換する。コロニー公社の仕事はこの輪廻の繰り返しであり、早い話、コロニーが存在している限り食いっぱぐれしないのが、この宇宙時代での常なのである。
 ノーアトゥーン社の登記簿を閲覧してみると、代表者の名はマセルス・コールとなっている。もし戦前のコールを知る者が今のコールを見ると、他人にしか見えない。別人がなりしましているのだから、それもそのはずである。だがマセルス・コールの正体が発覚する事は、この8年もの間なかった。一年戦争後の混乱により死亡した人物と生存している人物の区別が付きにくかったので、戦後にはそう言う事例が多かったと言われている。ユリアーノ・マルゼティーニも、そのひとりだった。
 元々ユリアーノは、連邦軍に属する軍人だった。一年戦争中、ある事がきっかけで連邦の正義に疑問を持ち、最終的にはジオン公国に亡命した経歴を持っている。ジオン公国が無条件降伏を受け入れた時点でユリアーノが身を隠したのは、ジオンと連邦の両方からの報復や疑惑の対象となることを恐れていたからである。ユリアーノがマセルス・コールなる人物になりすますことができたのは、戦後の混乱と連邦の官僚をしていた旧知の親友のコネクションという要因があればこそである。
 2月27日夕刻、そのノーアトゥーン社のあるビルの地下にあるピクシー・レイヤーのアジトに、40人を数える人間が集合していた。この組織を構成しているメンバーは、皆が社員である。つまりノーアトゥーン社は、会社ぐるみで諜報活動をしているのである。
「カリア、例のモートン少佐の足取りは掴めたか?」
 ピクシー・レイヤーのリーダーであるユリアーノは、地下会議室で向かいに座っているカリア・ホーキンスの方を向いて、尋ねた。
「あぁ、グリプスからニューデリーで月に向かっている。予定ではあと3日と言ったところか・・・」
「月へ?」
 カリアの回答は、ユリアーノの意表をついた。ユリアーノの予想では、モートンはサイド7辺りに身を隠すと思っていたからである。
「ニューデリーにとっては敵地も同然だぞ・・・カリア、モートンとエウーゴの直接の接点はあったかな?」
「・・・ログナー中佐の元部下だったと思うが?」
 その答えで、モートンの行動にはユリアーノも合点がいった。
「確か、帰還命令を受けたクレイモア隊がグラナダに帰ってくるのも同じ日だったな?」
 ユリアーノの頭の中は、何かを確認しながらもひとつひとつのパーツを組み合わせて、パズルを組み立てているようであった。しばし無言で考えた後、それらのパズルがユリアーノの中で完成した。
「クレイモア隊とニューデリーの月への到着予定が、少ししか違わないと言うことだな。」
「ログナーを頼って、エウーゴに下るか・・・それも手だな。クレア、オレはひとりで月に向かう。スペースボートの用意をしてくれ。」
 すぐ後ろに立っているノーアトゥーン社社長秘書に、そう指示した。
「ユリアーノ・・・なにを考えてるんだ?」
「この際だから、クレイモア隊とニューデリーの両方に接触する。」
 ユリアーノは自分の考えの始終を、仲間達に語り始めた。ユリアーノはこの組織の発起人ではあるが、その立場ゆえに独断専行が赦されないことくらい承知の上なのである。


 2月29日・・・ハマーン・カーンがネオジオンを名乗って戦力を各コロニーサイドに差し向けたこの日・・・グラナダから通常航行でおよそ1日ほどの距離の宙域に、ティルヴィングの姿があった。サイド2での激戦を終えた直後に参謀本部から帰還命令を受けて、月に帰還する途中であった。ニューデリーがティルヴィングと月を挟んで反対側のフォン・ブラウン市上空を航行していたのは、あくまで偶然の産物であった。
 正午になる少し前に、ユリアーノはスペースボートに乗ってサイド3を出発した。このまま行けば、半日もしないうちにティルヴィングの通過予定宙域を先回りできる計算になる。ユリアーノの考えでは、まずクレイモア隊の指揮官と接触をし、次にニューデリー隊と接触することになる。この考えを聞いたとき、カリアを始めとする仲間達は、表情を渋らせた。地球圏全体に渦巻く戦乱の渦は未だに消えておらず、自分たちの正体をバラすことに意味を見出せなかったのである。だが、ユリアーノの意思は堅固だった。今のところ、ピクシー・レイヤーのリーダーの顔を知る連邦の人間は、ショール・ハーバインとエネス・リィプスのみである。顔を見せたからこそ、彼らはユリアーノのもたらす情報を信用し、クレイモア隊の指揮官をその情報を信用するように誘導してくれた。完全ではないにしても、信頼というモノがなければ情報は無駄になる。かえって嫌疑の種になり、情報を得た人間をイタズラに混乱させるだけだ。それゆえに、必要最小限の人間とは確固たる関係を築いておく必要があったのである。自らの手を汚さずになんでも出来ると思うほど卑劣にはなりたくなかったし、傲慢にもなりたくなかった。カリア達はその全容を聞いて、ようやく納得した。

 日付が3月1日に変わろうとしていた時・・・ティルヴィングのブリッジを支配していたのは、一種の疲労感のようなモノであった。ロレンスからの帰還命令を受けた直後に半日のインターバルを置いて、ティルヴィングはサイド2を出発した。グラナダまで通常航行でおよそ5日の行程ではあったが、途中でティターンズの残党とおぼしき部隊を捕捉し、急遽航路を変更してそれを追跡、撃滅した。おかげで半日の時間をロスしてしまい、その後の航路の修正や休息で更に時間を費やしてしまった。ユリアーノがティルヴィングの正確な位置を知りって月へ向かうことを表明したのは、この後のことである。
「艦長、前方に民間のスペースボート、1隻を確認。」
 ミカ・ローレンスが観測班からの報告を受けると、すぐさまログナーに報告した。
「民間の?故障でもしたのか・・・救難信号は出ているのか?」
「今、救難信号を確認。」
 それを聞いて、ログナーは頷いて見せた。戦時下の宇宙で民間ボートが漂流している事は、皆無ではない。しかもここはグラナダやサイド3からの距離も近く、作業中の事故などで漂流することも珍しくはなかった。

 ティルヴィングは推進用アポジモータを大幅に増設している代わりに、後部の兵装や後部ハッチなどのスペースを犠牲にしている艦であったので、数本のワイヤーで牽引する形になった。ボートの乗組員らしき人物がひとり、MS発着用のデッキからクルーに見守られながら艦に入ってきた。ファクターの指示でハッチが閉じられて、デッキ内には空気が充満していく。エネスはヘルメットを脱いだその男の顔を見て、何らかの意図を察知した。
「貴様・・・どういうつもりだ?」
 男の正体がかつてサイド3で出会った男だと判ると、腰から銃を抜いてユリアーノに向けた。
「協力者を無下に扱わないで欲しいな、エネス大尉?」
 両手をあげて抵抗の意思がないことを示すと、ユリアーノは余裕のある笑みを浮かべた。ここに来て初めて、回りのクルーにも様子がおかしいことに気付き始めた。それでもクルー達は口を挟もうとしなかった・・・いや、挟めなかった。
「・・・どういう用件だ?」
「ログナー中佐にお会いしたい。お目通し願えるか?」
「・・・いいだろう。」
 エネスがユリアーノを連れてキャットウォークに上がり、壁に据え付けてある通信用端末でブリッジにいる艦長を呼びだした。ユリアーノもそれを見て、いつかはせねばならないことだと覚悟を決めた。ログナーは艦長室での面会を求めているらしく、2人もそれに従った。

「ユリアーノ・マルゼティーニです。」
 艦長室へ入室してログナーの目の前に立つとすぐに、ユリアーノは右手を出しだした。ログナーにはその名前に聞き覚えがなかったので、困惑したようだった。
「J.Mと言えば判るでしょうか。」
「あぁ、そうか・・・聞きたいことは山ほどあるが、全てを話すつもりはないようだな。」
 ログナーの冗談めかした言葉を聞き流して、語り始めた。
「エネス大尉とショール・ハーバイン中尉は、私のことを知っています。ですが彼らを責めないで下さい。私が彼らに口止めを頼んだのですから・・・」
 ログナーはチラリとエネスの方を見やったが、別に責めているわけでもなさそうだった。不意に、ユリアーノは周囲を見渡した。
「ショール・ハーバイン中尉の姿が見あたらないが・・・ケガでもしたのか?」
 エネスの方へ向き直って、尋ねた。エネスは、この男がショール戦死の報を知らないのも無理もないことだと思った。この件に関してはクレイモア隊内で箝口令が敷かれ、参謀本部の人間でも知らないのである。
「ショールは・・・撃墜された。」
 エネスの答えは手短であり、沈痛だった。
「なに・・・やむを得ないか・・・」
「やむを得ない?・・・どう言うことだ。」
 エネスはいつもの冷静さを装いながらも、怒りを帯びた口調で言った。ショールの死を思い出したからではなく、ユリアーノのリアクションを悪くとらえたからである。
「いや、こっちの都合だ・・・大尉。私としてもショールの撃墜という知らせは不本意だし、正直驚いている。そして、君ほどではないが哀しんでいる。」
 ユリアーノの言い方に少し感情が含まれていることを感じたので、エネスは無表情を保った。
「話を戻せ。貴様の目的はなんだ?」
「大尉、ここは私に任せてくれないか。せっかく会いに来てくれたんだ。」
 ログナーは柄にもなく、なだめ口調でエネスに話しかけていた。更に続ける。
「さて、ユリアーノ君と言ったな。情報の提供には感謝しているよ。どうやら、君はエウーゴだけに情報を流しているのではなさそうだが・・・良かったら目的を話してみてくれんか?」
「確かに、情報提供先はエウーゴだけではありません。しかし、あなた方クレイモア隊に有益な情報も提供してたのも事実でしょう?」
「・・・おかげで反逆者に仕立てられる所だったがな。」
 ログナーは苦笑して、ユリアーノの次の言葉を待った。
「今回、私が中佐の前に現れたのは、今後の我々のあなた方への全面的協力を申し出るためです。」
「君らの目的と我らの目的が一致している、ということか?」
 ログナーの返答は話の核心をついていたと、エネスは思う。
「そうお思いますか?」
「目的の合致がなければ、協力を得るに為には他に何か代償が必要だろう?あいにくだが、情報料を支払う用意はない。」
「ははは、正直ですね。我らの目的は一刻も早い戦乱の消滅と、連邦の政治面からの改革です。しかし、現時点でそれをするには最低限の戦力も必要ですし、思想面での純度も高くなければならない・・・違いますか?」
「・・・違わない。」
「なら、ここはしばらく手を組みませんか?我々は情報を活かすための戦力が必要ですし、あなた方も戦力を活かすための情報が必要のはず。勿論、あなた方を裏切らないと約束します。」
 ユリアーノの申し出を受け、ログナーは10秒ほど考え込んだ。そして・・・
「判った、今後も情報の提供を頼みたい。ただし・・・」
「ただし?」
「君らの所在地を教えてくれ。これが最低条件だ。」
 ユリアーノは思わず、ログナーの表情を伺った。先程とは顔つきが違うように思えたのは、気のせいだろうかと思った。これまでの会話でユリアーノもログナーも、互いに相手を完全に信用していないことが明らかになった。もっとも、初対面で完全なる信頼を得ようと思う方が間違いではあるのだが、互いに裏切られた時の事を考えると、こういう態度をとらざるをえない。そこでログナーは、ユリアーノが自分を利用するからには信頼しろ、そしてその証拠を見せろと言っているのである。なるほど、思ったよりはやるなとユリアーノは思った。
「・・・判りました。このディスクに通信用暗号解読のプログラムがあります。次回に我々のデータも送ります。」
 言いながら、スーツの中から一枚のディスクをとりだして、ログナーに手渡した。この強面の艦長は、自分たちが独自に情報源を得られたという思わぬ収穫と、これが発覚すればエウーゴへの叛逆の意思ととらえられる危険を孕んでいるという想いを含めた、複雑な苦笑を浮かべた。
「で、君らはこれからどうするつもりだ?」
「ニューデリーに接触します。」
 ユリアーノは正直に言った。ログナーにとってそれが突飛すぎたように思えたので、逆に信用できるとも言える。ウソの巧い人間は、確信の所以外で信憑性のあることを言うものだ。
「ティターンズの艦にか?」
「彼らはもうティターンズではありませんよ。モートン少佐をグリプスから救出して反ティターンズという一応の立場は獲得しましたが、まだ彼らの身の安全が完全に保証できる状態ではありません。クラック少尉達は我々の提供した情報を元に、今頃は月へと向かっているはずです。エウーゴに身分を保障させて連邦の正規の部隊として扱いを受ける為にね。」
「それには礼を言わねばならないな。モートン少佐は私の元部下だ。今この時に死なせるには惜しい人間なのだよ。」
 ありがとうと重ねて礼を言って、ログナーは小さくため息をついた。モートンが拘禁されたという知らせを聞いてから、モートンの身を案じていたからだ。
「礼には及びません。その少佐の身元を保証するのはあなたなんですから。」
「なに?」
「そりゃそうでしょう。エウーゴにモートン少佐の知己は、あなたしかいないのだから。」

 ユリアーノは、ログナーとの会見を終えてすぐ、ティルヴィングを去った。エネスにはささやかながらも、不満があった。自分の手を汚さずに他者を利用しようとする輩は、何処にでもいるのだなと思ったのだ。だが、モートンやクラックを敵に回さなくて済むと言うことは悪いことではないし、正確な情報よりも、サイド3と繋がりを持つことができたと言うことに、大きな意味を感じていた。

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