第10章 ヴェキの記憶
宇宙世紀0088年3月1日・・・ジオン共和国内に極秘裏に存在する諜報組織”ピクシー・レイヤー”のユリアーノ・マルゼティーニは、これまで取ってきた指針を変更して、クレイモア隊との全面協力を極秘に申し出た。それを受諾したログナーの判断は、果たして正しかったのだろうか・・・ユリアーノが去った後も、エネスは考えを巡らせていた。
そのユリアーノの次の行動は、ティルヴィングと月を挟んで反対側のフォン・ブラウン市上空で、月に向かっているニューデリーを待ち受ける事だった。ログナーに独自の協力を申し出た時と同様に、モートンやクラックへも自らのコネクションを広げるのが目的である。手駒は多いに越したことはないのだ。待ち受ける方法も、ティルヴィングを先回りしたときと同じ手口を使った。ニューデリーが近付いて来るタイミングを見計らって救難信号を出せば、万事オーケーだ。
ユリアーノの計算通り、モートンという人の良い人物は、救難信号を発信するスペースボートを見殺しにはしなかった。ボートはニューデリーの中へと収納されていく。まずは、自分が敵ではない事を納得させねばならない。デッキ内の減圧が終わってヘルメットをはずせるようになると、その動作の前に両手をあげてヘルメットを脱ぐと宣言した。
案の定、迎えにはクラックが銃を突きつけながら、こちらを睨んでいる。エネスの部下も、元上司のそれに倣うか、とユリアーノは苦笑した。
「おいおい、私は敵じゃないぞ。言うなれば私はモートン少佐の恩人だ。捕虜を見るような目で見て欲しくないな。」
やや砕けた印象を強調して、クラックに呼びかけた。
「・・・そうか、お前がラジオネーム”匿名希望”さんか。リクエストにお応えしたぞ。どうやら目的は少佐らしいな・・・」
クラックは下手なジョークを交えて、ユリアーノを見据えた。警戒の色はエネスほど強くないらしく、突きつけた銃は下を向いている。ユリアーノは自分の計画がこれで全て上手くいくと確信した。
「あぁ、少佐に会わせて貰えるかな。まさか殺したいから連れ出して来いなんて、言うはずもないだろう?」
「ひとつ言っておく・・・オレを利用しようとするな。オレの邪魔をしようとするな。オレの前進を阻むようなら、叩き潰す。」
「・・・肝に銘じておこう・・・ま、君の邪魔はしないと思うがな。だが利用はさせてもらうかも知れない。その時は我々を利用すればいい、それでおあいこだ。」
「・・・・・少佐の部屋に案内する。」
クラックはメカマンに、モートンへの来客があったことを告げるように命令した。
数分もしないうちに、モートンはユリアーノの乗ってきたボートのすぐ近くまで降り立ってきていた。
「お初にお目にかかります、ユリアーノ・マルゼティーニです。サイド3である諜報機関を運営しています。」
ユリアーノは簡潔に自己紹介して右手を差し出すと、モートンはそれに応えた。
「君が手間をかけてくれたおかげで私が助かったのだ、礼を言わせてもらう。」
「いえいえ、あなた方のこれからの苦労を考えると、私の手間などとるに足りないでしょう。」
ユリアーノはサラリとモートンに言った。モートンはこの男が自分のこれからの行動を既に察しているのだと、直感した。
「私の行動が見え見えだと、そう思っているだろう?」
「あなたが自分の立場を正当化するには、エウーゴを利用するしかないでしょう。ログナー中佐の保証がどこまで有効かは、私にも判りませんけどね。」
「なるほど、全てお見通しか・・・私をわざわざ救出させたんだ、君には目的があるのだろう?」
「ええ、その通りです。よろしければ、我々と手を組みませんか?勿論極秘で。」
「目指す先にあるものは、どうやら私も君もかなり似ているようだな・・・良いだろう、情報の提供を宜しく頼む。」
「ほう、即答なさる?」
モートンが即答したので、逆にユリアーノは拍子抜けした。モートンがグリプスに幽閉されている、という情報を元にクラックが自分を決意したという経緯を聞いたときから、既にモートンの中では答えが出ていたのである。モートンの左右に並んで立っているフェリスやクラックに目立った反応は見受けられなかったのは、あらかじめこう言うことがあるかも知れないと言う事を既に告げていたのだろう。
「参りましたね。」
ユリアーノは声を立てて笑い出した。ログナーにしてもモートンにしても別の反応ではあったが、ユリアーノはそれぞれを心から気に入っていた。自分が手を組むに相応しい強さ、賢さ、そして純粋さを持ち合わせていることに、ユリアーノは満足した。
「では、手短ですがこれで失礼させていただくとしましょう。あ、そうそう・・・これを渡しておきます。我々専用の暗号コードのデータです。これで我々からの通信を解読して下さい。」
ログナーに手渡したのと同じディスクをモートンに直接手渡して、ユリアーノは続けた。
「あまり長居をすると、他の兵士からの疑惑を買うでしょうしね。」
小声でモートン達に告げると、無言のまま見送られてボートを発進させた。
「少佐、これで良かったのでしょうか?」
そう言ったのは、フェリスである。
「ログナー中佐のことを良く知っているようだった。信用しても良いと思うがな・・・もっとも、腹の底に何かを隠しているのかも知れないんだがな・・・」
モートンが言い終わる頃に、クラックはフェリスの方を向いて頷いた。モートンを信じろ、クラックの目はそう語っているのだとフェリスは感じ取った。
2月29日にハマーンがネオジオン軍の名の下に各コロニーサイドへ派遣した部隊の中のひとつに、シンドラがあった。マシュマー・セロ率いるエンドラはサイド1へ、そしてロフト・クローネ率いるシンドラは地球を挟んで反対側のサイド2の制圧に向かっていた。無論、他の戦力も各サイドへと差し向けられている。アクシズを出発してから3日が経過した3月2日、シンドラはサイド2の手前にまで差し掛かっていた。
シンドラの医務室を訪れたクローネは、先日の戦闘で意識不明の重体となったひとりの男を見舞っていた。この男は数年前に腎臓を摘出した形跡があり、戦傷による内臓の負傷を免れていたので、一命を取り留めることができた。しかし、頭部への打撃は深刻だった。恐らく撃墜されたときの衝撃の全てを、パイロットスーツのヘルメットでは吸収しきれなかったのだろう。今のままでは脳障害を負ったまま、ただ心臓が動いているだけの屍同然になる恐れがあった。そしてクローネは軍医にこの男を救う方法を尋ねて、それを実行するように頼んだ。手術から2日が経ったきょう、今のこの時になって、男の意識が戻った。
「・・・・・・ン・・・」
「目覚めたか・・・」
「オレは・・・ここは・・・?」
「ここはシンドラの医務室、お前は戦闘で負傷して、ここに運び込まれた。」
続いてクローネは、男に名を尋ねた。手術が成功したかどうかを、確認するためである。男が自分の名を言えれば、”処置”は成功したことになる。
「オレは・・・ヴェキ、ネオジオン軍ヴェキ・クリオネス中尉・・・」
「そう、お前はシュツルムディアスのパイロット、ヴェキ・・・。」
ヴェキはそのまま眠りについた。ここで、クローネは軍医の施した”処置”が成功したことを確信した。軍医に小声でささやきかける。
「ドクター、”処置”は成功したようだな。」
「ええ、サイド2に着く頃には、実戦に間に合います。」
「専門的なことはオレには判らないからな、任せる。」
「クローネ大尉・・・」
軍医の口調が、何か念押しをするような口振りに変わった。
「判っている、こいつを助けるためだ・・・後は頼む。」
言って、クローネは医務室を辞した。
日付が3月3日に変わってすぐ、ヴェキは再び目を覚ました。身体全体に浸透している疲労感や脱力感はかなり残っていたが、意識は最初に目を覚ましたときよりもかなりハッキリとしていた。そこになって初めて、ヴェキは自分の目の前に見覚えのある女性がベッドの横に座っているのを見つけた。その女性は長い金髪が印象的で、肌の色白さも手伝って不思議な魅力があった。ヴェキ自身、自分が何者なのか、自分がこれまで何をしてきたのか、記憶は克明にあった。身体の傷そのものはほぼ完全に塞がっており、包帯のある場所と言えば頭に巻かれているささやかな分だけだ。
「ネリナ・・・」
ヴェキは静かに、女性の名を呼んだ。ヴェキはこの女性、ネリナ・クリオネスを良く知っている。セカンドネームからも判るとおり、ヴェキ・クリオネスの妻だ。ネリナの服装は、メカニッククルーのそれだ。
「ヴェキ、目が覚めたのね。とりあえず無事そうで良かったわ。」
ネリナは心底から安心したように言った。ヴェキも上半身だけを起こして、ネリナを見た。
「ダメ、まだ寝てなさい。」
ネリナの口調は厳しかったが、冷淡ではない。むしろ母親のような口調で、人間的な温かさを感じる。
「・・・クローネが頑張ってくれているんだ・・・理想を同じくした親友ひとりになんでもやらせるほど、オレはヤワじゃない。」
「何言ってんのよ。あしたにはサイド2制圧の任務があるわ。そこで頑張ってクローネに楽をさせてあげればいいでしょう?」
「・・・そうだな。とりあえず、あしたまでゆっくり休むとするか・・・」
「出撃30分前になったら、迎えに来るわね。じゃ・・・」
ネリナは軽くヴェキを一瞥して、医務室を出た。
「・・・ヴェキ・・・かわいそうな男・・・」
ドアが閉まった直後、ネリナは小さく呟いた。その目には、憐れみとも哀しみともとれる涙がにじみ出ていた。
ネオジオン軍の次なる行動が開始されようとしていたこの時、ティルヴィングはグラナダの宇宙港に留まっていた。グリプスのコロニーレーザーを巡る死闘を終えて、その直後にグラナダへの帰還命令を受けての帰還を果たしていた。その激戦を最後に、エウーゴはこれと言った動きを見せなかった。これは、ログナーにとっては予想できる結果ではあった。なぜならエウーゴの戦力は数少なく、ネオジオン軍の各コロニーサイドへの侵攻を全て阻止することが物理的に不可能だったからである。したがってエウーゴの戦略面における選択肢は、ネオジオン軍の動きに対症療法的に対処していくことしかない。今は様子を見て、ネオジオン軍が更に次の行動の準備をしている最中か、もしくはその直前が最も攻撃を仕掛けやすく、局地的な防衛力は必然的に薄くなるというのがログナーの考えであった。
ログナー中佐がロレンスからの呼び出しを受けたのは、ティルヴィングがグラナダに帰着してすぐの事であった。ロレンスの執務室のドアをノックして返事が返ってくると、ログナーは遠慮せず部屋に入った。
「中佐、いよいよ君らに動いてもらうぞ。」
入室早々、ログナーは言われた。
「アクシズ・・・ネオジオンの動きが落ち着いてきたのですか?」
「いや、各地に派遣された制圧部隊の動きはこちらでモニターしているが、完全に制圧されたサイドは今のところない。だが、そろそろこちらも動かないと、スペースノイドの民意がネオジオンに傾くかも知れない。」
ログナーはロレンスの言わんとする意図が、判った。エウーゴは確かに先日の内戦で、一般大衆の注目を集めることに成功はした。だが、それは盤石ではない。
「それに、このグラナダから戦力を派遣しても、いずれのサイドへも到着には数日かかる。その間に制圧が終わっていればその直後、まだ制圧が不完全であればその隙をつくことで、少しでも戦術的優位を得ることができる。」
ロレンスの説明が一区切りしたと思って、ログナーは言葉を返した。
「ここで手をこまねいても意味はありませんからね。で、どのサイドへ向かいましょうか?」
「旗艦のアーガマは現在サイド1付近で補修を行っているそうだ。」
「なら、その反対側のサイド2へ向かいましょうか。」
「そうしてくれ。明後日までに出発できるようにしておいてくれ。」
「判りました、すぐにでも準備を開始します。」
敬礼して去ろうとしたログナーを、ロレンスが引き留めた。
「それと、ショール・ハーバイン中尉の事だが・・・」
「報告が遅れた事は、申し訳ありませんでした。小隊単位での作戦行動に支障が出ますので、エネス大尉にそのまま中尉の位置に就いてもらうことにしました。」
正直に答えて、ロレンスは特に大きな反応を示すことなく、そうかと頷いて退出するよう言った。ログナーは一瞬、モートンの話を切り出そうかと口を開きかけたが、すぐに閉ざした。モートンが実際に姿を現していないのに、先にその事を言ってしまっては、モートンについての情報源を疑われるのが目に見えたからである。ここはだまって退出しようと、ログナーは引き下がった。
(エウーゴで最も危険な男が最初に死んだか・・・次はエネスか・・・)
ロレンスは一人きりになった執務室の中で、これからの闘いとクレイモア隊について想いを馳せていた。
ログナーが出撃命令を受けて艦に戻ってからは、ティルヴィング艦内も慌ただしさを増していく。唯一ヒマを持て余しているのは、MSのパイロット達であろう。だが、緊急の出撃でもない今、、パイロット達がヒマそうにしていてもそれを咎める人間はいなかった。
そして、ログナーは別の連絡を受けて、レイ、エネス、そしてエリナを呼び出した。それに応じて、3人が艦長室を訪ねてきた。
「アナハイムのハヤサカという人から、レイ宛に連絡が入った。」
「オレに?」
「そうだ、お前の作ったシステムの実験機が完成したそうだ。グラナダ工場に運んであるので、それを受領してこい。テストパイルもしっかりやってくるんだぞ。」
実験機・・・その言葉に、レイの心は一瞬だけ躍動したが、ふと気付いてエリナの方へと視線を走らせた。ショール機が撃墜されてからかなりの日数が経過したと感じていたが、エリナにとってその日数が随分なのかまだ少ないのか、レイには判りかねた。ここ2〜3日様子を見る限りでは、かなり落ち着きが戻ってきたと思える。だが、レイは知っている。エリナが時折『死装束』のコックピットに籠もりきりになることがあることを・・・そして、そのたびにエネスが『死装束』の足元から見上げているのを・・・
人の死の衝撃は、時間がある程度解決してくれる。だがエリナにとってのショールの死の衝撃は、どこまで時間が解決してくれるのだろうか。
「判りました。では、我々3人でグラナダの工場に向かいます。」
エレカに乗るべくMSデッキに降りたったレイは、ナリアがリックディアスの足元で右手を挙げてレイを呼んでいるのを見つけた。隣にはイーリスの姿もあった。
「どうしたんだ、そんな慌てて・・・」
「あぁ、これからアナハイムのグラナダ工場まで実験機の受領があるんで・・・ちょっくら行ってこようかなと・・・」
ナリアの顔は、ほんのりと酒気を帯びた赤みを浮かび上がらせていたが、いつものナリアらしい明快な良い方ではなさそうだった。
「ま、気張りすぎてコケるんじゃないよ。実験機のパイロットは、やはりお前がなるのか?」
「そんなところですかねぇ・・・よ、イーリスちゃん。元気だった?いつのまにナリアさんと仲良しになったの。」
突然に話を振られて、イーリスはビクリと一瞬だけ身体を振るわせた。まだ少し警戒されてるのかな、と一瞬レイはイーリスに男に対するバリアを感じた。レイが見たところ、イーリスはどこか男という生き物を怖がっている印象がある。ジャパニーズスケコマシとエネスに言わしめたレイが相手だからではない。
「あ、はい。レイさん、こんなところでゆっくりしてていいんですか?兄さんが見たら怒りますよ?」
「あぁ、そう、そうね。じゃぁさ、帰ってきたら一杯・・・」
ナリアの顔の一瞬の変化に気付いたのは、女性に対して律儀になれるレイなればこそであったかも知れない。
「なぁんてね、冗談、冗談だから。じゃ、ナリアさん、行ってきます。」
ナリアが何かを言い出す前にと、レイはすぐに立ち去った。逃げ足の早いヤツだと、ナリアはため息をついた。自分がささやかではあるが嫉妬という感情を持っていたことに、気付いていない。イーリスはそれに気付いたらしく、少し愉快そうに含み笑いをした。
「・・・何がおかしいのさ?」
「いえ、ナリアさんとレイさんって、仲がいいんですね。」
「・・・バカ、そんなんじゃないよ。」
まんざらでもないという言い方をして、ナリアは自機のコックピットに滑り込んでいった。
(ショールさんとエリナさん、レイさんとナリアさん、お互い本質的には解り合ってるんだ・・・)
そんなナリアを見て、イーリスは少し羨ましく思った。
第10章 完 TOP