第15章 横  顔

 レイ・ニッタ達が以前、フォン・ブラウン市に入国する際に偽造の身分証明が必要だったのは、フォン・ブラウン市が事実上の非武装中立の方針を掲げていたからである。アナハイム・エレクトロニクスをはじめとする月企業連合体がエウーゴに出資していることを、連邦、特にティターンズに隠しておかねばならない状況だった。しかし、エウーゴがティターンズを壊滅せしめ、正規軍と同等の扱いを受けることができるようになってからは、エウーゴの人間は堂々とフォン・ブラウン市に入国できるようになっていた。それは同時に、月企業連合体と地球連邦の繋がりが確固たるモノになった証拠でもあった。

 エネス・リィプス、レイ・ニッタ、ロイス・ファクター、ナリア・コーネリア、エリナ・ヴェラエフ、そしてイーリス・リィプスの6人は、4機のリックディアスと共にMS運搬シャトル2基に分乗して市内に入った。宇宙港の物資搬入用ブロックには、ジョン・マツダが部下を数人引き連れて迎えに来ていた。
「お、ジョンじゃないの、久々じゃん。」
 シャトルから降り立って最初に声をかけたのは、ジョンの親友であるレイだ。レイがテストパイロット兼システム工学の研修生としてアナハイムに赴任してきたのが、今からちょうど4年前だった。3年間のアナハイム生活は、この色黒の日本人の存在なしにして語ることはできない。
「相変わらず軽そうだね、レイ。」
「言ってろ。」
 レイの応答を待たずして、ジョンは引率役であるファクターに挨拶をした。
「アナハイムのシステム開発3課主任補佐、ジョン・マツダです。ファクター大尉ですね?」
「ファクターだ」
 両者は軽く握手を交わして、すぐに手を離した。
「ジョン、まぁたえらく長い肩書きを持ったモンだなぁ・・・」
「おい、いい加減にしておけ・・・」
 エネスの物静かな叱責で、レイは黙り込んだ。こういう軽い悪のりは自分の短所ではなく長所だ・・・とレイは思っていたが、時として限度はわきまえてしかるべきだと思った。
「・・・まぁ技術者に出世なんて関係ないけどね。お〜い、MSを工場に運び込んどいてください。」
 ジョンが呼びかけると部下達がクレーンを使って、シャトルからMSをトレーラーに乗せるために、あちらこちらで動き始めた。
 4機のリックディアスはアナハイムのスタッフによって工場に運び込まれたが、エネス達6人はそれとは別に、市内にあるアナハイムビル、システム開発3課のオフィスに案内された。オフィスの中は騒然としていた。その喧噪の中で、一番奥にあるデスクで部下から提出された書類を叩きながらあれこれと指示を出していた男が、6人とジョンの存在に気付いて右手を挙げた。
「おう、来たな。騒がしいところで話すのもなんだから、10分ほどラウンジで待っててくれ。」
 男は開発3課主任、マコト・ハヤサカであった。

 ハヤサカをはじめとする開発3課が騒がしかったのは、急遽決まったリックディアス4機の再調整とオーバーホールに必要な4機分の交換部品の手配、システム微調整のディスカッションなど、急務とする項目が山積みだったからだ。ログナーから参謀本部を通じてアナハイムに及んだ正式な決定なだけに、正規の手続きの数々を迅速に処理しなければならなかった。また機体のオーバーホールと言っても、新品同様に戻す作業ではない。簡単に言えばバージョンアップだ。通常のメンテナンスやオーバーホールなら、3課のオフィスはここまで慌ただしくならないし、そもそも通常のメンテナンス程度では3課が駆り出されることはまずない。
 ハヤサカがアナハイムビルのラウンジに姿を現したのは、本人の宣言通り10分後だった。ラウンジの端っこの一画を占める大きなテーブルに、6人が席についていたのを見つけて、すかさず声をかけた。
「いや、すまない。リックディアス4機の大規模メンテなんてのは初めてでな。しかも急遽決まったもんだから色々処理が面倒だったんだ。」
 ハヤサカは言い訳をしたが、エネス達には言い訳と取られていないようだった。自分も面倒なことを言い渡されて迷惑してるんだ、責めるなら上役を責めてくれ、そういう雰囲気を意図的に持たせていた。
「あ、そうそう。システム開発3課主任、マコト・ハヤサカだ。今回の作業の責任者になった、宜しく。」
 6人それぞれと視線を順番に合わせながら、名乗った。
「どうせこっちは数日間、足止めを喰わされる。何やら月面が騒がしいそうだからな・・・」
 エネスが言った。その直後、レイは無言で右手を小さく挙げて挨拶をすると、ハヤサカはそれと同じ動作で答えた。
「あぁ・・・エネス大尉、だったか?白いディアスのパイロットの・・・」
「そうだ、派手に壊してしまった、すまないが宜しく頼む。」
 エネスの殊勝な態度を、ハヤサカは余り好意的に取らなかった。自分のミスを認めることは良いことだが、全ての責任を自分に帰途させようと躍起になっているように見えたからだ。
「任せてくれ・・・今度のメンテではジェネレータの交換、ビームピストルの強化、そしてあらゆる部品の交換を行う。で、それに伴う操縦性の狂いを修正するためにシステムも新しいのを入れる。そのためにシステムのコピーを受け取っておきたかったんだ。リックディアス4機それぞれのシステムのコピーは?」
 ハヤサカが尋ねると、レイは胸ポケットからディスクを数枚取りだして、ハヤサカに手渡した。
「これは一応、預かっておく。今度のオーバーホールが終わった頃には、以前よりも扱いやすくなってるぞ。期待していてくれ。では、ジョン、みんなを工場に案内してくれ。」
「判りました、では、参りましょう」
 ハヤサカに傍らにいたジョンが、小さく手招きした。エネス達がラウンジを出ようとした時、ハヤサカがそれを呼び止めた。
「あ、エネス大尉、レイ、ちょっと話があるんだ。残ってくれ。ファクター大尉、コーネリア中尉は先に行っていてくれないかな。あとでオレが送り届ける。」
 ファクターとナリアは一瞬怪訝そうな顔をしてイーリスとエリナを連れて立ち去ろうとしたが、イーリスが実兄からなかなか離れようとしなかったので、ファクターはジョンとナリア、エリナの4人だけでその場を去った。


 エネス達4人に元の席に戻るよう促して、ハヤサカは周囲をぐるりと見渡した。ここから先は人に聞かれたくない何かがあるのだろうかと、レイはいぶかった。正午まであと少しの時間があったが、ラウンジにはまばらに人の姿が見られた。恐らくラウンジで商談でもしているのだろう。だがそれは、ハヤサカにとっては好都合だった。人の話し声は、静かなところでする方がかえって目立つものである。
「主任?」
 レイは自分たちだけが残された理由を、ハヤサカに尋ねた。
「あぁ、君らだけに話したいことがあってな・・・工場では話しづらい事なんだ。それでディスク受け渡しにかこつけて、ここまでわざわざ来てもらったんだ。」
 ハヤサカが音量を下げたので、自然とエネス達の姿勢も少し前屈みになった。
「・・・アナハイムの一部の人間が、ネオジオンに武器を供与しているらしいんだ。」
 そのハヤサカの言葉は、衝撃となってエネス達の耳に届いた。
「考えられるな・・・ティターンズにガンダリウムガンマの情報を供与して、体裁を作ったくらいだ、この戦いの後の情勢がどんなものであっても、アナハイムは安泰でいられる・・・か。やはりアナハイムは信用できない。」
 エネスは感想は的確だと、ハヤサカは思った。
「まぁ、そう言ってくれるな。オレは君らを信用して、こんな事を言ってるんだ。」
 クレイモア隊は汚れ役の部隊だという認識がないわけではなかったが、エネス達が場合によっては連邦もしくはエウーゴを打倒する準備をしていることを、ハヤサカは知らない。
「あなたがオレ達を信用してくれると言う言葉に、偽りはないと思いたいな。」
 エネスが言うと、ハヤサカは少しの間思案した。
「言葉で何を言っても信用を得ることはできないからな。じゃぁ・・・君らをシステム開発3課のオレとジョンが独自に支援する・・・なんてのはどうだ?」
 ハヤサカは冗談のつもりで、それを言った。
「もしオレが、エウーゴが思想から乖離したら反旗を翻す・・・と言ったら、あなたは言葉を訂正せずにいられるか?」
 レイの表情が、一瞬凍り付いた。この中でエネスの真意を知らないのは、ハヤサカとレイだけだ。
「あくまで例え話だ。オレがそんなに危険な考えを持っていたとしても、あなたはオレ達に協力してくれるのか?」
 そうでなければ信用はできない、エネスは口の中で付け足した。
「例え話ね・・・どこまでが本気か知らないが、それこそオレには関係ないな。オレが極秘に作ったMSのデータを極秘に収集させてくれれば、なんの文句もないぞ。」
 それはそれで問題だが・・・エネスは思ったが、口には出さなかった。
「なるほど、ホンモノの技術者ね・・・ハヤサカさん、あなたと倫理や戦争観で論議をするつもりはないが、連邦の体質を少しでも新しい時代にふさわしいモノに変革したいという意思はないのか?」
 エネスはこの時になって、以前にレイから聞いていたハヤサカ像を思い出し、ハヤサカの言葉に少し期待した。もしアナハイムの一部と独自の繋がりを持つことができれば、ユリアーノ達の情報、クレイモア隊の武力、アナハイムの資金力が合致することになる。情報、戦力、資金があれば、組織は成り立つ。だからこそ慎重に行かなければ・・・とエネスは思った。今この時点で、エネスがエウーゴにおける危険分子として処断される運命にあるのか否かは、ハヤサカの次の返答次第だ。
「意思か・・・確かにあるな。地球にいる人間達が宇宙に上がってくれば、月はもっと儲かる、月が儲かればオレは研究を好きにできるようになる・・・そう言えば判ってもらえるか?」
 ハヤサカはウソを言った。エネスが本気で行動に出る人物なのは、目つきを見れば判った。ハヤサカがこういう言い方をした方が、この手の人物は納得するとタカを括ったのである。だがハヤサカがエネスに協力したいという言葉には、偽りはなかった。
「・・・諒解した。今はまだその時じゃないが・・・」
 ハヤサカの言い方に含められたわざとらしさを感じたが、それでもエネスは納得をすることにした。ともあれ、これでエネスの目論みの実行のために必要な土壌が揃ったことになるのだ。
「そうこなくっちゃな。必要な物資があれば、要請してくれれば極秘に回してやるぞ。」
「助かる、ハヤサカさん・・・」
「ん?・・・”主任”で良いぞ、エネス大尉。」
 何事もなかったかのようにハヤサカはにこやかに言った。

 宇宙世紀0088年3月13日、月標準時の正午を30分後に控えた時刻・・・フォン・ブラウンの街はランチタイムで賑わい、飲食店街はひととき限りの活気を帯びていた。その中にヴェキ・クリオネスとシシリエンヌのクルー2人の姿があった。クローネがシンドラに一時帰還して、ヴェキはシシリエンヌで月のすぐ手前まで向かい、そこから民間用に偽装したシャトルに移乗してフォン・ブラウン市内に潜入した。それらの行程は、クローネの言ったとおり難しくはなかった。
 ヴェキ達3人は早めのランチを待ち合わせのファーストフードショップで済ませ、アナハイムの社員1名と合流してアナハイムビルに向かった。正午になる直前にビルに到着し、入口のセキュリティは正規の社員が同伴していることで難なく通過することができた。

 ヴェキ達は社員の案内でアナハイムビルのエレベータを上り、数多く存在する会議室の一室に通された。会議室の中には、案内してきた社員の上役であろう男が大きなテーブル向こう側の席に座っていた。男は40歳そこそこで、頭に少しだけ混じった白髪が、これまでの人生の苦労を表現しているようだった。
「ヴェキ・クリオネス中尉だ。」
 席に座らず、ヴェキは手短に名乗った。
「資材開発2課クラフ・ウィル・ラウルセンです。ロフト・クローネ大尉はお元気ですか?」
 ラウルセンに促されて、ヴェキ達はラウルセンの向かいに座った。
「別に・・・健康そのものさ。部品の受領が任務だから、オレはてっきり工場へ通されるモノと思ってたけどな。」
「部品は物資搬入口のシャトルに運び込ませますからね。部品なんて、直接手渡すようなものではないでしょう?」
 ラウルセンは顔に満面に浮かべた笑みを崩さず、小さな手振りを加えながらヴェキに応えた。
(この男の形だけの笑顔の裏側には、何があるんだ?媚びか、打算か、それとも・・・?)
「まずはその目録・・・これです。」
 書類を部下に渡して、それが更にヴェキの手に渡った。パラパラと内容を確認してみる。
「シュツルムディアス1機分の部品と、摩耗しやすい部品を多めに納入することになってます。それと、我が部署が極秘裏に入手した、新しいオペレーティングシステムです。」
 ヴェキは目録の中に、それらしいのを見つけた。
「突撃用補助防衛システム”グングニル”?」
「ええ、うちのシステム開発部のある部署で制作されたプログラムのコピーです。そのマニュアルには、設定の変更や登録の仕方も書いていますので、持ち帰ってからテストして下さい。相性がよろしいようなら、クローネ大尉やヴェキさんの役に立つことでしょう。」
 ヴェキはラウルセンのその言葉に、何かしら強い興味を持った。自分なら扱える、ヴェキはそんな気がしていたのだ。
 それらのやり取りを経て、ラウルセンとの会談を無事完了させることができたが、ヴェキはそれを無事に済ませられたという充実感を得られなかった。結局アナハイムの目的が掴めぬまま、時間を過ごしてしまったからだ。そのアナハイムのことを考えているうちに、ヴェキ達はアナハイムビルの入口にまで来ていた。後は来たときと同じ経路で帰るだけである。

 ちょうどその時、アナハイムビルから出たばかりのファクター、ナリア、エリナがジョンに連れられて、並んで歩いていた。アナハイムビルからフォン・ブラウン工場までは、エレカが必要なほどの距離がある。4人はエネス達に先んじて工場に向かうべく、エレカがまとめて停めてある駐車場まで歩いていた。
 その4人の中でやや後ろを歩いていたエリナは、後ろでなにか話し声が聞こえて、ふと後ろを振り返った。どうやらアナハイムの社員が客を見送りに来ているようだ。その瞬間。エリナの心中で時間が止まった。
「・・・!」
(・・・似てるわ・・・あの人に・・・)
 その中のひとりの男の横顔を、エリナは知っていた。

第15章 完     TOP