第18章 二度目の命令違反

 宇宙世紀0088年3月13日月標準時の夕方を前にして、レイ・ニッタのゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”はティルヴィングを出撃した。ログナーが結果的に出撃を許可したのは、エリナの言い残した言葉をエネスからの報告で聞いたとき、エリナを拉致した犯人がネオジオンの人間であるという疑惑が確信に変わっていたからである。
 WR(ウェーブライダー)形態で出撃したレイ機を見届けて、数分が経過していた。仕様通りであれば、推力を最大にしていればそろそろ月引力圏を離脱する計算になる。この時点でログナーは、唯一の残存戦力と呼べる2機のネモも出撃させるかどうかを、即座に判断できかねていた。レイがネオジオンの艦を捕捉できる保証もない上に、そもそもネオジオンの艦が月周辺で待機している保証すらない。潜入している人間がそのまま民間に偽装したシャトルで脱出する可能性も高いのである。考え始めて十数秒後、ログナーは覚悟を決めて、ブリッジに連絡を取った。
「アルドラ、出撃したレイ機の動きはトレースできているか?」
「衛星軌道をサイド2方面側に向かったのを最後に、目視可能範囲を離脱しました。」
 ふむ、とうなって、ログナーは考え込んだ。敵艦が月周辺にいたのだとすれば、レイが敵艦を捕捉する可能性は五分と五分、レイと反対側にあたるサイド1側の衛星軌道を探索しても、戦力分散の愚を犯すだけだ。とすれば、レイ機の安全を最優先すべきだとログナーは決めた。
「アルツールとマチスのネモの準備はできているか?」
「・・・いつでもいけます。」
 副長であるアルドラは、戸惑いながらも応えた。ネモ2機の出撃準備を怠らないようにログナーが事前に命令してあったので、機体の整備は確かに万全である。だが、敵襲の報はアルドラに耳には届いていない。この月で、一体何が起こっているのだろうか?・・・それはクルー達共通の疑問だった。
「よし、レイ機の増援に。今すぐにネモを2機とも出せ。」
 ログナーの命令にアルドラは一瞬、我が耳を疑ってしまった。ログナーが下す命令が適切かどうかなどは、この際問題ではない。ブリッジクルー達は現状を把握できないままに、ログナーからの命令をただ実行することを求められたのである。それは今までになかったことだ。だが、それでもアルドラは副長としての立場をわきまえていたし、ログナーを信用してもいた。だからアルドラは、ブリッジ内に命令を伝えた。
(レイが出撃して10分弱・・・間に合えばいいが・・・)
 ログナーは既に、レイ機が敵艦と戦闘状態に入っているという、最悪の状況を想定していた。

 それと時を同じくして、地球連邦宇宙軍グラナダ基地の地下にあるエウーゴ参謀本部にも、レイ機出撃の報告が届いていた。
「ティルヴィングからMSが出撃した?」
「はい、ティルヴィングからグラナダ港湾部に宇宙港出口を開けるように要請がありまして、それから単機で月引力圏をもの凄いスピードで離脱していきました。」
 副官からその報告を聞いて、ロレンスは眉をひそめた。確かにクレイモア隊の戦略レベルにおける行動の自由は、最高責任者であるエイドナ・バルス少将によって保証されている。それゆえにロレンスが下したグラナダ待機命令は、厳命ではない。エウーゴ全体の利益に背かない限り、クレイモア隊が独断で出撃することは別に構わないのだ。だが問題なのは、部隊を動かす際にロレンスへの連絡が何一つなかったことなのである。
 それは別に、クレイモア隊が自分たちの見えないところで独断専行をすることを恐れているがゆえではない。いくら戦略的な自由行動権を与えたと言っても、それは好き勝手をやって良いということではないのである。責任者である以上、最低限知っておかねばならないこともあるし、クレイモア隊の全体への影響力も決して無視はできなかった。
「・・・単機というと、報告にあった例の実験機だな。ゼータプラスなんとかっていう・・・」
「そのようです。追加ブースターやフライングアーマーを装備しているのでない限り、リックディアスでは数分で月引力圏を離脱できるような推力は得られませんから。」
「わかった、とりあえず監視だけはさせておけ。他にどうすることもできんしな。」
 ロレンスがさしあたって監視だけを命じたのは、クレイモア隊の行動が全体の戦局に影響を与える可能性を考慮していたからである。ロレンスが以前バルスに言ったように、クレイモア隊のメンバーに共通して存在する正義の定義がエウーゴと共にある現段階では、それほど今の状況を悲観する必要性はないと思っていた。

 ログナーの懸念は、現実のモノとなっていた。せっかくシシリエンヌを捕捉したというのに、その直後から2機のガザDによって自機”マイン・ゴーシュ”の前進を阻まれたしまったからである。小規模な暗礁宙域を発見し、更にその中にいるムサイ級巡洋艦の存在を確認したとき、レイは心中で喝采をあげたものであった。自分の想像は正しかったのだ・・・と、レイは既にエリナを救出したような気分になっていたのである。それに水を差されて、レイは苛立っていた。
 ガザDの性能はそれほど高いわけでもなく、恐らく乗っているであろうパイロットも練度が低いだろう。その油断が、自らの前進を止める結果になってしまったと言える。ガザのパイロット達は敵機が強力であると知っていたので、敢えて攻撃よりも防御に重点を置いた戦術を執ってきた。そのおかげで、レイは苦戦を強いられていた。
「あ〜もう、どけっての!」
 MS形態に変形を済ませた直後、機体の腰部から苛立ちのビームを連射したが、照準をまともに絞っていない状態での射撃が当たるはずもない。この時点でレイ機の足は、完全に止められた。レイが戦闘をしながらも辛うじてシシリエンヌの動向に注意を向けられたのは、ガザDが2機とも積極的な攻撃を行わなかったからである。
 戦況が膠着して、既に数分・・・レイが見る限りでは、敵艦はサイド2方面への移動を開始しており、一刻も早く目の前の敵機を排除する必要に迫られていた。やむなく、レイは当初の腹づもりよりも早くIフィールドバリアを起動させた。その直後・・・
「ン・・・あれは!?」
 敵艦からひとつ、光が尾を引いてこちらに向かって来ているのを見つけた。ガザDの攻撃は相変わらず散漫で、それが時間稼ぎを目的としていることくらいは、レイにでも判る。やがてその光が発している識別信号が、先日サイド2で遭遇した白いMSであることが判ると、レイもその焦燥感の加速を感じずにはいられなくなった。
「く・・・やべぇなッ!」
 Iフィールドバリアの効果が及んでいるうちに、少なくともガザだけは撃破しておきたいと思ったレイは、意識を各個撃破に集中させた。その後すぐに、右腕に装備されているBSG(ビームスマートガン)を構えた。構えた瞬間から、コックピットシステムの中にある火気管制システムがBSGに装備されているディスク・レドームのセンサーと連動して、敵機を右方のガザに的確に照準を合わせた。レイは一度深呼吸をしてから、気合いを入れた。
「ッシャァァァッ!」
 レイの咆哮と、BSGが最大出力のビームを放ったのは、ほぼ同時だった。狙撃に充分な時間をかけたおかげで、センサーが敵機を正確に捕捉していた。
「まだ100秒ある、いけるぜッ!」
 右方のガザに与えたダメージを確認することなく、レイ機は左方のガザに向けて機体を全力で移動させた。左腕に内蔵されている格納スペースからビームサーベルを抜き出して、横一線に振るった。ガザは見事に両断され、直後に大きな火球に変わっていた。チラリと先程狙撃したガザを見ると、どうやら回避運動が間に合わなかったようで左足がなくなっていた。これで余計な邪魔が入ることもないだろう、レイは楽観した。
「1機やられたか・・・もういい、お前は戻れ!」
 残ったガザに機体を触れさせて呼びかけたのは、白いシュツルムディアスのヴェキだった。


 ロレンスの命令によってレイ機の進路上の宙域を監視していた観測艇のクルーがガザの爆発によって起こった光を見つけることができたのは、幸運であったと言える。小規模とはいえ、暗礁宙域での戦闘である。クルーはその幸運を、まるで自分の手柄であるかの如く参謀本部に報告をした。その報告がロレンスに届き、ロレンスは意図的にログナーにもその情報を提供した。その折りにログナーはフォン・ブラウン市で起こった事件のあらましを報告し、ロレンスはこの時になって初めて、これまでのクレイモア隊の行動の不整合を片付けることができたのである。
「ネオジオンの艦がいるとなれば、放置しておく手はない。すぐにティルヴィングを出撃させたまえ。」
 ロレンスが正式にティルヴィングの出撃許可を出したが、ログナーはそれに難色を示した。エネス達の不在が原因である。
「彼らは明日まで戻ってこないのだろう?なら、ここで待っていることもあるまい。すぐに行きたまえ。」
「・・・判りました。ネモを2機、先行させておりますので、すぐに追いかけます。」
 通信を切ると、ログナーはすぐにティルヴィング出航を全クルーに通達した。戦闘が確認されてからは、まだ5分も経過していない。ログナーがロレンスの言葉に素直に従ったのは、根拠があってのことである。すぐにティルヴィングが向かっても、レイのMS戦の援護をするには間に合わない。それなら敵艦との戦闘をこちらが行えば、エリナ救出の可能性が上がる・・・ということである。
 ログナーは、ショール・ハーバインやエネスが目指している最終的な目的を既に知っている、数少ない人間のひとりである。ショールの連邦変革の意思を知った上でエウーゴに誘いをかけたが、その本当の目的が政治的手段での変革にあるのであって軍事的手段ではないというのは、ショールがエウーゴに入ってから本人の口から聞いた事だ。だからエネスが何を目指しているのかも知っている。
 ログナーの持っている思想はエウーゴが表だって掲げているそれとほぼ同じモノではあったが、ログナーと官僚達との違いは誠実さの質と量にあり、勿論ショール達にとってはログナーの方が誠実さにおいて勝っている。
 ログナーがショールの目的を聞いたとき、この男の若さだけではない所に魅力を感じ、この男の信じる道を進ませてやりたい、そして共に進んでいきたいと本気で思った。ショールの遺志を継ぐべきエネスやエリナという存在は、まだショールの想いが生きていることを証明している。それを枯れさせないためには、レイ・ニッタのような男をも失うわけにはいかないのである。

「またか、エウーゴのガンダム!」
 残存していたガザがシシリエンヌへと撤退し始めたのを見届けたヴェキは、第一声とともに機体を全力で突進させていった。左手にはビームサーベルが握られている。
「接近戦なんてッ!」
 レイはバーニアを噴かして、相対速度をできるだけあわせて後退させようとした。だがヴェキの前進速度の方が若干速かったため、その距離は徐々に縮まっていた。ヴェキが射撃を行わなかったのは、前回の戦闘で敵にビームが通じない事を学んでいたからである。
「下がってるだけじゃダメってか・・・クソッ」
 罵りながら、レイは腰部ビームカノンを近距離で乱射するが、それを察知したヴェキ機はすぐさま高度を上げた。その上でなお、前進はやめなかった。
「オレの間合いッ!」
 ヴェキ機が真上から、マイン・ゴーシュに向かってビームサーベルを振り下ろす。咄嗟にレイは、左腕に固定装備された高出力ビームサーベルを稼働させて、それを受け止めた。
「お前がショールだってンなら、エリナを拉致ってンじゃねぇ!」
 レイはヴェキがショールではないかという可能性に賭けて、至近距離での通信を送った。返事はすぐに返ってきた。
「あの女はエウーゴだ、このまま返すと思うか?それに・・・」
 ヴェキ機がサーベルを一端引き戻して、今度は横一文字に薙ぎ払おうとした。
「オレはヴェキだッ!」
 ヴェキはこの時、ショールと呼ばれたときになぜ自分がこうもムキになって否定したがるのか、疑問を持ち始めていた。それは戦闘には支障のない程度の、一瞬の思考だ。レイ機は少し後退して距離をとって、ヴェキの攻撃を回避した。
「・・・オレが誰であろうと、お前には関係ないッ!」
 ヴェキは得意の突き攻撃に切り替えた。レイは自分の攻撃を放棄して、連続して繰り出される突き攻撃を回避することに専念した。
(あ〜最悪、なんでこんな所にこいつがいるんだよ・・・)
 後ろや左右に機体を逸らしたり、高出力サーベルで受け流したりと、10数回に及んだ突き攻撃を避けると、レイはようやく反撃に転じた。

 ムサイ級宇宙巡洋艦シシリエンヌの隅にある独房で、エリナは艦内が騒がしくなっているのを察知した。窓の方が小さく光り出したのに気付いて、外を覗いてみることにした。独房の位置がシシリエンヌのやや後方に位置しているらしく、窓からは数度となく、かすかに光がついたり消えたりしていた。それは間違いなく、レイとヴェキの戦闘の光であったが、エリナはレイが追いかけてきていることを知らない。
 時間が進むにつれ、その戦闘はシシリエンヌへと徐々に近付いてきているのが判った。数度の射撃戦を経て、2機のMSがシシリエンヌのすぐ側を通過していった。その時にエリナは、白いMS同士が戦闘をしていることを知ることができたのである。恐らくはフォルムから見るにシュツルムディアス、もう1機は見覚えのある機体だった。
(マイン・ゴーシュ・・・まさか、レイが来ているの!?)
 思わず大きな声が出てしまい、エリナは独房の入口の方を振り返ったが、どうやら艦内はエリナひとりに構っていられるような状況ではないようだった。また視線を窓に向ける。
(もしアレに乗っているのがヴェキ、いや、ショールだったとしたら・・・)
 それはエリナにとって、最悪のパターンかも知れなかった。あれほど仲の良かった2人が殺し合っている・・・それは筆舌に屈しがたい苦痛である。
「やめてよ、ショール!」
 無駄と判りつつも、何度も壁を必死に叩いて絶叫した。
「レイも攻撃をやめてよ、お願い・・・やめてよ・・・」
 最後の方は、言葉になっていなかった。

 それから数分後・・・ここにきてレイは、再び焦りを感じ始めていた。ヴェキの猛攻を乗り切って一度は反撃に転じたものの、その攻撃のことごとくはかわされ、時間だけがただ過ぎて行くだけだった。Iフィールドバリアの稼働可能時間はとうに過ぎており、高出力サーベルも限界を迎えようとしている。技量に差がある以上、Iフィールドバリアが使えなくなってしまったとあっては、エリナ救出どころか自分が生きて帰れるかどうかすらも怪しくなってきた。だが、レイは機体の基本性能と自分のモチベーションに勝機を見出そうと、次の攻撃の方法を必死に模索した。
(なんとかするしかない、なんとか・・・)
 そんなレイの想いを尻目に、ヴェキは後方のカメラから映し出される映像を見ていた。シシリエンヌがこの場を離脱できるかどうかを確認するためである。ヴェキがレイ機を圧倒している間に、どうやら衛星軌道に乗ってサイド2に向けて移動を開始したようであった。
 潮時だ・・・ヴェキはそう判断した。追ってきた敵の追撃の意思を鈍らせるには、逆撃を被る可能性を充分に教えてから撤退するのが効果的である。そしてヴェキは、レイにそれを教えることに成功したと確信していた。
「追ってくるだけ無駄だと、判ったか!」
 ヴェキは(あざけ)る様に言い放って、機体を反転させた。だが、ヴェキの確信はただの思い込みに過ぎなかった。その言葉はレイ機には電波に乗って届いてはいない。だが、レイにはそれが漠然たるビジョンとなって、なぜかレイには判った。それは、ヴェキの拡大した意識がレイに届いたのだろうか・・・だがそれは、ヴェキ本人にすら判らないことだ。
「今、(わら)ったか・・・悪いけど、オレはあきらめが悪いんでねェッ!」
 レイはヴェキ機を無視してシシリエンヌの方向へと進むため、マイン・ゴーシュをWRモードに変形させた。
「やれやれ・・・どうやら・・・」
 ヴェキ機は再び向き直ると、背部バインダーに装備されているメガビームキャノンを発射した。この武器はレイも見たことがなく、それに反応することができなかった。ここで突撃用補助防衛システム”グングニル”が、レイが回避運動の初動を行っていないことを確認した。そして、回避運動の初動をかけられるギリギリのタイミングで、機体を右方向に回転させた。左右の手足に内蔵されているアポジモーターを噴かして右に機体を傾け、慣性の法則に従ってそこから生じる遠心力によって不規則な楕円形の軌道を形成した。
「避けたか・・・」
 ヴェキは、まだ戦闘が続きそうな雰囲気に少しげんなりしていたが、戦意溢れる敵機の前で後ろを見せるわけにもいかず、やむなくビームピストルを両手にひとつずつ持たせた。
「あの避け方から察するに、対ビームのバリアはもう使えないようだな・・・」
 呟いて、ヴェキはレイ機との距離を保ちながら射撃を開始した。今までとは違い、威力よりも攻撃回数を重視した射撃だ。さしもの”グングニル”も、両手のビームピストル2丁の連射から逃れる事はできなかった。
「なんてッ!」
 これ以上喋ったら、舌を噛みそうだった。コックピット部の一部が破損し、その衝撃でシートに身体を固定しているベルトが弾け飛んだ。”グングニル”は避けきれるかどうかの判別はせずに、致命的な箇所への攻撃に対しての回避運動を優先したため、レイはコックピットの中を上下左右に振り回された。激しい振動が機体へのダメージを表現しているのは確かに伝わったが、恐らく自分が思っているよりも損傷は大きいかも知れない。この時点で、レイは自分が敗北したことを自覚した。
(エリナ、すまない・・・)
 そして未だ続いている衝撃によって、レイの身体はしたたかに打ち付けられ、背中に強い衝撃を受けたのを最後に意識を失った。

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