第19章 エリナとネリナ

 レイのゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”が後続のネモに回収されたのは、ヴェキの純白のシュツルムディアスに敗れた数分後だった。ヴェキがレイを虜囚としなかったのは、ただ単純に時間がなかったからである。シシリエンヌは月での任務を果たした後、すぐにでもサイド2へと戻らねばならなかった。結果的にそれが、レイを捕虜という未来から開放したことになった。
 そのレイは、既に意識を失っていた。コックピット内部で起こった小さな爆発に巻き込まれて、重傷を負っていたのである。生命にかかわるような程ではなかったが、処置をできるだけ早めれば、それだけ治りも早くなる。ネモを操縦していたマチス・コーネリアはそう思って、付近の索敵もそこそこにティルヴィングへの帰還を最優先した。
 ティルヴィングはグラナダを出航してすぐの状態で、ネモとの合流は早かった。帰還の途中、マチスは一度マイン・ゴーシュのコックピットを覗きにでたのだが、思っていたよりも事態は深刻だった。レイは意識不明であったし、通信機能も生きていなかった。これでは何度通信を送っても、無意味なわけだ。
 そして今、レイがティルヴィングのMSデッキ横にある緊急の処置室に運び込まれて、数時間が経過していた。そのドアの前にはイーリスが心配そうに、ただレイの処置が終わることを待ち続けていた。
「イーリス・・・生命に異常はないんだ。君も疲れているだろ、少し休んだらどうだ?」
 声をかけたのは、レイを運び込んだ張本人、マチス・コーネリアである。そのマチスとて、レイが心配である事にかわりはない。むしろ今のイーリスと同じ様な心境を、既に帰還途中で味わっていた。
「ええ、分かってます・・・でも、私にはこうする事しかできないから・・・」
 それはイーリスの謙虚さと医学生としての性が、言わせる事である。自分がティルヴィングに何ら寄与していない事などは、百も承知であった。今のイーリスにできる事と言えば、本人の言うとおりレイの処置後の面倒を見ることくらいだろう。
「そっか・・・じゃあ、オレはこれで失礼させて貰うよ。レイさんには申し訳ないけど、やらなくちゃならない事が山積みなんでね。」
 イーリスに別れを告げ、マチスはMSデッキの方へと身体を流していった。直後、ようやく処置中を示すランプが消え、中からストレッチャーに身体を固定されたレイが、メディカルスタッフによって運び出されてきた。
「ドクター!」
「あ、イーリス・・・処置は終わったよ。」
 ティルヴィングのメディカルスタッフを束ねているドクターカンダが、イーリスに気付いて振り向いた。
「で、レイさんの容態は・・・」
「生命は大丈夫だけど、重傷は重傷だな。肋骨が数本と右腕の脛骨(けいこつ)(腕を構成する2本のうち細い方の骨)も折れているし、まだ頭のチェックも完全には終わってない。ま、全治2ヶ月ってところだな。」
「あ、あの・・・」
 イーリスはどもりながら、ドクターに何かを言いたげな素振りを見せた。
「どうした?」
「レイさんはグラナダの病院に移送されるんですか?」
「そうだな、ここでも治療は可能なんだけど・・・レイの性格からして、怪我をおしてでも出撃したがるだろう?なら、無理できないような環境におくしかない。グラナダにいて貰う方が良いだろうな。」
 もっともだと、イーリスは思った。怪我の原因ともなった今回の出撃からして、レイの衝動を抑えられない部分の露呈といえたからである。
「私がレイさんの付き添いに、同行します。」

 レイが数時間にも及ぶ手術を受けている間に、ハヤサカはその報をフォン・ブラウン港湾ブロックに隣接している工場で聞いた。その一画にあるシステム開発3課専用作業ブロックでは、現在はリックディアス4機のオーバーホール作業が行われている。そのリックディアスのパイロットであるエネス、ファクター、ナリアの3人もまた、ハヤサカの傍らでレイに起こったことを知ったのである。
「レイが重傷で運び込まれた?・・・あいつはティルヴィングに帰ったはずじゃなかったのか?」
 最初のリアクションは、ファクターによってなされた。ここにいる全員が、レイが単独で出撃したことなど知りようもなく、皆はただ驚くだけだった。
「あのバカ・・・ま、生命に別状はないらしいから、心配はいらないけどな。」
 ハヤサカの口調は心配という心情からやや離れていたが、別に心配をしていないわけではない。重傷ではあっても死ぬ様なほどではないと聞いて、必要以上に心配しなくても良いという安心も含まれていたからだ。ハヤサカの端末にデータを打ち込む手は、全く遅れていない。
「・・・エリナ救出に行ったということだな。相変わらず頭の引き出しがひとつしかない男だ。」
 エネスは考え込みながら、推測を述べた。きっとエネスの頭の中には、様々な推測が並列しているのだろう。状況整理をさせればエネスの右に出る者はいないと、ナリアは思った。
「そのレイがやられたという事は、ネオジオンの艦を捕捉したということか・・・幸運なのか不運なのか、よく判らないヤツだよ。」
 エネスから推測の結論を引き継いだのは、ナリアである。一方、エネスの心配は一時はレイに向けられたが、レイ機撃墜はすなわちエリナ救出の失敗に直結する。無事とは言えないまでも生還できたレイより、おのずとエリナが心配になってくるのは、エネスにとって当然ではある。
「デニーニ女史!」
 ハヤサカが急に大声を出して、デニーニを呼んだ。何事かと他の面々はハヤサカに注目したが、皆はすぐに視線を戻した。
「なんです?」
「ちょっと頼まれて欲しいんだが・・・」
 ハヤサカの言いにくそうな態度を見て、デニーニは全てを察した。
「はいはいはいはい、分かってるわよ。ゼータプラスの純正部品を揃えて欲しいんでしょ?」
 デニーニはおどけながら、ハヤサカに尋ねた。
「いや〜流石デニーニ女史、察しがいいな・・・この埋め合わせは、今度するからさ、頼むよ。」
 ハヤサカの頼み事とは、まさにデニーニが察したとおりである。クレイモア隊からマイン・ゴーシュの大規模な補修依頼があることくらいは、レイ機撃墜の報を聞いた瞬間から覚悟していたことだった。
「そうね、今度は中華料理でもご馳走になろうかしら・・・」
 肩をすくめながら、デニーニはハヤサカを見やった。
「・・・ったく、せっかくリックディアスのオーバーホールが予定よりも早く終わりそうだってのに、仕事増やしやがって、あのバカ・・・」
 ハヤサカは毒づいたが、決して心から不愉快だったわけではない。回りからバカバカ言われるレイを、エネスは少しだけ気の毒に思った。

 宇宙世紀0088年3月16日になって、レイはようやく意識を取り戻した。右足になにか重みを感じて、レイはできるだけ足元を見ようと少しだけ頭を上げた。頭も酷く痛んだが、なんとか足元を少しだけ見ることができた。
「イーリス・・・あれ?」
 椅子に座ったままレイの足に頭を乗せた状態で、イーリスが眠っていた。このあまりにも予想外な情景に、自分がとんでもない過ちを犯してしまったのではないかと、一瞬だけ焦った。しかし、更に回りの情景から自分がメディカルルームにかつぎ込まれたのだという認識を得ることができて、安堵のため息をついた。過去の経験とは、時には恐ろしいものである。
「怪我したんだな、オレ。ダッセェな・・・かっこわりぃ〜」
 自分の頭の下でゴソゴソ動き回るのを感じて、イーリスも目を覚ました。
「あ、目が覚めたんですね、良かったわ。3日も意識が戻らないから、打ち所でも悪かったんじゃないかって心配してたの。」
「あ、打ち所ね、ははは・・・いや、ま、大丈夫なんじゃないかな・・・よっこらせっと」
 両手を使ってベッドから起きあがろうとしたが、右腕に走った激痛のおかげで、挫折を余儀なくされた。
「肋骨と右腕の骨が折れてるんですって。明日、市内の病院に移送されるわ。」
 崩れ落ちかけたレイをなんとか支えて、イーリスは諭すようにレイに言った。
「まいったね、どうも・・・で、オレの機体はどうなった?」
 レイはまず、一番に気になったことを尋ねた。
「おととい、兄さん達がアナハイムから帰ってきたときに聞いたんだけど、大破も良いところですって。」
「ありゃま、派手にやられちゃったんだねぇ・・・ま、しょうがねぇか。」
 力無く笑って、何か食べ物はないかと言った。すぐ横を見ると、どうやエネス達が様子を見に来てくれたらしく、果物の密封パックの存在も確認できた。宇宙艦のメディカルルームでは、重力のあるコロニーや地球のような見舞いの花の持ち込みは許されないので、室内は寂しいものである。もっとも、レイの目には見舞いの花よりも、イーリスの存在の方がありがたく映った。
 そしてイーリスは、レイのそぶりの中にいつもと違う何かを、敏感に感じ取っていた。敵に完敗を喫して撃墜されたというショックは、想像以上に大きかったのだろうか。だがイーリスは、パイロットではない。


 3月17日になって、シシリエンヌはサイド2へと帰還した。早速シンドラとの合流をも果たすことができ、コルドバはヴェキの身体とMSと受け渡された部品類をシンドラに運び込んだが、それをブリッジでカメラ越しに見届けていたクローネが、不審物をひとつ見つけた。
「まて、コルドバ。」
 慌てて通信コンソ−ルで呼びかけ、コルドバはそれに即応した。クローネが慌てたのは、不審物というのが人間の女であったからだ。
「なんだ?」
 自分の仕事にケチを付けられるのを露骨に嫌がって、コルドバは不機嫌そうだった。
「その女は?」
「あぁ、ヴェキ達の後ろをチョロチョロ嗅ぎ回ってたんだが、調べてみりゃエウーゴだったんだ。ヴェキが殺すなって言うもんで、捕虜にして連れてきた。」
 手短だが、それがコルドバの知る全てであった。それ以上のことは、ヴェキが語らなかったのである。
「わかった、その女はシンドラの独房に閉じこめておけ。ただし・・・」
 クローネの表情が、ここで陰を帯びた。
「ただし?」
「拷問その他の行為は、一切禁止する。破った人間は、オレの手によってその場で射殺する。いいな?」
「・・・わかった。」
 通信を切ると、クローネはエリナの連行に立ち会う気になって、ネリナを連れて独房のあるブロックに向かっていった。

 コルドバが武装した2人の部下を連れてエリナを連行しているのを見つけたのは、デッキから居住ブロックに向かう通路の真ん中、ブリッジからのエレベータを下りたところだった。
(この女、確か・・・ヴェキの記憶にあった女だ)
 クローネはエリナを最初に見た瞬間、その顔が見覚えのある顔であることを思い出していた。それはネリナも同じく、クローネと似たような驚愕の表情をしていた。
(なんでこの女がここにいるのよ・・・ヴェキが殺さなかったのは、やはり・・・)
「この女が捕虜か・・・軍人には見えないな、君のような女性が・・・」
 クローネの発した言葉は、それだけだった。
「じゃ、行くぞ」
 コルドバは部下に命令して、再び独房に向かって歩み始めた。クローネ達もそれに続いていく。ここでクローネは、そこはかとない不安を感じていた。この女性の虜囚とヴェキの接触によってヴェキ本来の記憶が戻りかねないと言う危険はあったが、クローネの感じる不安感はそれとは異質であった。だが、その正体は本人にも判らない。そうこうしているうちに、独房の前に到着した。
「あとはシンドラでやる。お前達はシシリエンヌに戻って、今後の治安維持でヴェキ達を手伝ってやってくれ。」
 クローネはコルドバ達を早々に立ち去らせ、この場にいるのはエリナとクローネ、そしてネリナの3人だけになった。ネリナは腰から銃を抜き、エリナの方へ向けた。シシリエンヌのクルーが去ったゆえである。
「それで・・・わざわざ確かめに来たのか?」
 クローネの質問は簡潔だったが、何を聞きたいのかはエリナにも判っていた。クローネにしても、エリナの連行されているときの様子から察するに、目的あってここにまで来たのだと判っていた。
「そうね、違うなら違うでいいんだけど、顔を見た以上ほっとけないでしょ?」
「ヴェキが君を殺さなかったのは、オレが戦場以外の場所での流血を嫌うからだ・・・エリナ・ヴェラエフ。」
「私の仲間と同じ事を言ってるわ・・・」
 エリナの態度は、捕虜らしくない。それは良くも悪くも、である。尋問する側としてみれば、これくらい喋ってくれる人間の方がありがたいときもある。黙秘されるよりも引っかけやすいからだ。しかし尋問される側としてみれば、自らの安全を考えない短慮というモノだ。
「オレがエウーゴとか?」
「エウーゴだってあなた達と同じ、一枚岩じゃない。それくらい判ってるんでしょ?」
 エリナは、自分が喋りすぎたとは思っていない。エウーゴからネオジオンに合流した人間は、大勢いるのだ。
「まぁな・・・後で改めて、尋問をさせて貰う。それまではゆっくりしていてくれ。」
 クローネはらしくもない言い方で、エリナを捕虜なりにもてなした。それは、相手が女性だったからなのだろうか、傍らにいるネリナは思った。
「お手柔らかに・・・できれば、ヴェキという人と話をさせて欲しいんだけど・・・そうもいかないわね。」
「当然でしょ、虫が良すぎるわよ!?」
 ネリナがエリナの態度に耐えかねて、口を挟んだ。瞬時にクローネが右腕を横に振って、それを制した。
「ま、そういうことだ。」
 それだけを言って、クローネは(きびす)を返した。立ち去ろうとするクローネを尻目に、ネリナが厳しい表情でにらみつけた。その視線が嫉妬の表れだというのは、本人も気付いていないことだ。ネリナもまた、ヴェキとエリナの関係を知っている人物なのである。できるなら、この場で殺したいほどの心境ですらあった。ネリナの退室を見届けて、クローネが自ら、独房のドアをロックした。直後、ネリナに耳打ちする。
「いいか、ヴェキをあの女に近づけるなよ。」
「判ってるわ。でも、偶然って怖いわね。」
 それは、ネリナの本心である。ヴェキが連行してきた捕虜が、よりにもよってエリナだったのを知ったときの衝撃は、ネリナ自身が死ぬまで忘れなかった。
「オレはMSデッキで物資搬入の指揮を執った後、1バンチコロニーに駐留基地の設営をする。そして、今後の治安維持を検討する。シンドラの指揮はヴェキとお前に任せる。」
「了解、ヴェキは連れていかなくても良いのね?」
「これでもシンドラは、サイド2駐留部隊の旗艦だからな。指揮官に優秀な人間がいないと、後で困る。」
 クローネは、建前だけを言った。クローネがリスクを覚悟でヴェキを残しておく理由は、決してそれだけではない。先程感じた不安感が、ここにヴェキを残せと警鐘を鳴らしめたからであった。言ってしまえば、なんとなく、直感である。
「ええ、後は任せてちょうだい。」
 返事を聞かず、クローネはシャトルに乗るべく、MSデッキの方へと向かっていった。ネリナひとりがその場に残されていたが、直後に通信端末を取りだして、コルドバに連絡を取った。
「ちょっと、私の部屋に来てちょうだい。」

 5分と経たず、コルドバとネリナは、ネリナの私室にほぼ同時に到着していた。早速、ネリナに椅子を勧められ、コルドバは怪訝な表情を浮かべながらも、それに従った。
「で、話ってなんだ?」
 この時のコルドバは、決して不愉快そうには見えなかった。クローネが出払った今というタイミングで呼び出されたことに胡散臭さを感じたからだ。その胡散臭さを好感を持って迎えることができたのは、クローネへの心情ゆえである。
「ヴェキはしばらく、ブリッジから離れられないわ。」
「へぇ・・・ダンナにも内緒って事は、期待しても良いのか?」
 品のない笑いを浮かべたが、ネリナは意に介さなかった。
「まさか・・・私じゃないわ。」
「というと?」
 ネリナの口調に不穏な何かを感じて、コルドバは身を乗り出した。
「あの女をね、あんた達が好きにすればいいのよ。」
「おいおい、そんな事をしたら、クローネに殺されるぜ。」
 コルドバはクローネに大して大きな不満を抱いていたが、それはクローネの戦闘力を過小評価する材料にはなり得ないことくらい承知している。露骨なネリナの誘惑には、安易に乗れそうになかった。
「クローネは1週間・・・いえ、2週間は絶対に帰って来れないわ。」
「・・・・・・」
 否定せずに黙って続きを待っているということは、この男が迷う余地がある、脈があるということだ。
「それに、捕虜になって自殺する人間だって珍しくないでしょ。」
「なるほど、そういうことか。あんたも、とんでもねぇ女だな・・・怖い怖い。」
「・・・これがキーよ。いっそ、あの女を壊してしまっても良いわ。」
 ネリナの表情は、コルドバですら狂気じみて見えていた。


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