第21章 フラッシュ・バック
アクシズのモウサ最奥にある宮殿の、そのまた中にある執務室で、ハマーン・カーンはひとつの報告を聞いていた。それによれば、クローネがサイド2に残り、ヴェキにシンドラを託して任務に就かせたというのである。
「そうか、クローネはサイド2で何かをするつもりだな・・・」
その報告の内容が、ネオジオンにとってあまり芳しくないにもかかわらず、ハマーンはどこか楽しそうだった。報告した側近の男は、それをいぶかしく思った。
「今は好きにさせておけ、どうせヤツには何もできん。」
(しかし、気になるな、そのヴェキとかいう強化人間・・・私は何も聞いていなかった。)
言ってしまってから、ハマーンは問題がどこにあるのか、その本質を突き止めていた。
「だが、問題はクローネ自身ではなく、シンドラの新しい指揮官だな。」
「既にコルドバには、ヴェキ・クリオネスの監視を命じてあります。一両日中には報告が届くかと思います。」
ハマーンは満足そうに頷くと、報告書の隅々まで目を走らせた。側近はその間は黙り込んで、本能的に惹きつけられるような危険な美貌の持ち主の、次なる言葉を待った。
「それでいい。地球降下の準備で、こっちも余裕はない。クローネに反抗の芽があったとしても、それは摘み取ることは、今のところ得策ではないからな。」
「・・・このようなことを聞くのはお心苦しいのですが・・・」
側近の聞きにくそうな態度に少し眉を動かしたが、ハマーンは咎めるのではなく、話すよう目線で促した。
「クローネ様はフラナガン機関でハマーン様と同じ、ニュータイプとしての養成を受けていたと聞きます。しかし、ハマーン様がクローネ様を重用なさるのは、それだけではないように思えるのですが・・・」
「・・・そう見えるか?」
ハマーンが再び何かを楽しむような表情を浮かべ始めたので、側近はそれ以上を口に出せなかった。だが側近には、マシュマーをはじめとする他の上級指揮官とクローネには、一線があるように思えてならないのである。端から見ればクローネは明らかに異分子だが、ハマーンにとってのクローネとはその価値観の方向性が異なるように見えるのだ。
「・・・・・・」
「ヤツの事は、私が一番良く知っている。確かに力はあるが、安っぽいヒューマニズムに縛り付けられて、結果として人に不幸をもたらす。こちらが何もしなくても、いずれヤツは自滅する。だから放っておけと言っているのだ。」
その言葉を聞いて、側近はハマーンの浮かべた不思議な表情の意味が判った。楽しんでいるのではなく、クローネを嘲笑しているのである。
ハマーンに届いた報告書は、コルドバによってシンドラからのレーザー通信を介して送られたモノであったが、そのシンドラの監視役としての報告は、この報告で最後となった。
宇宙世紀0088年3月18日の夕方・・・ログナーはエネスとナリアを伴って、グラナダ市内にある軍病院に来ていた。ロレンスから明日の出撃を命令されたので、その出発に間に合うようにレイを見舞っておこうと思ったからである。エネスが前回に見舞ったときは、まだレイの意識は戻っていなかったが、レイの意識が既に戻っていることをイーリスからの連絡で知っていた。
病室を訪れた3人は、レイが思っていたよりも元気そうなので、安堵の息をもらした。元気とは言え、レイは重傷である。レイの右腕にはギプスが巻かれていたし、恐らく病衣の下にも同様にギプスが巻かれているだろうと容易に想像できた。
「元気そうだな、レイ・・・」
ログナーを差し置いて、エネスが最初に話しかけた。ふとレイの傍らにいる自分の妹を見やると、その表情はそれほど明るいモノであるとは言えなかった。その視線に気付いて、イーリスは目配せをした。
(やせ我慢をしている、ということか・・・)
息をするだけでも痛むのが、肋骨を骨折した人間のつらさである。実際、レイは起きあがろうとしたが、痛みとギプスにそれを阻まれる形になった。
「お、よく来たねぇ。オレがいなくて、寂しかった?」
レイの飄々とした口調だけは、脇腹の痛みとは無関係そうだった。
「そう思ってんなら、早く治しなよ。しかしまぁ・・・美人に付き添ってもらって、良かったじゃないか?」
突っ込んだのは、ナリアである。
「あれ、妬いてんの?」
仕返しを喰らったナリアは、レイの額を指で弾いた。
「チッ・・・もう1ヶ月ほど、入院を伸ばすかい?」
「たたた・・・でも、今日はまた珍しい組み合わせだねぇ。」
「MS隊のパイロット全員でここに来るわけにも行かないんでな、ファクター大尉とマチス、アルツールにはティルヴィングで待機させてある。次の任務の準備で忙しいからな。」
ログナーは前置きもそこそこに、本題に入った。次の任務という単語を聴いても、レイは驚かなかった。レイひとりの都合で敵は動いてはくれない、それは理屈で解っていた。
「次の任務って?」
レイは驚きこそしなかったが、内容についてはやはり気になるらしい。だが、それは当然だろう。
「例のサイド2の部隊が動き出している。その部隊を追跡して、アクシズ全体の思惑の一端を探るつもりだ。連中がもし地球に降下したらハマーンの思惑が宇宙から既に地球連邦そのものに向けられたことになるし、他のサイドへ向かえば各地のコロニーサイド制圧をより迅速に行うつもりなのだろう。」
ログナーの推測は理にかなっていると、レイには思えた。シンドラの動き次第では、ハマーンのさしあたっての目的が掴めるかも知れないのである。
「なぁるほどね。オレ抜きでしんどいだろうけど、ま、頑張ってちょうだい。」
「どのみちマイン・ゴーシュは、しばらくの間は使い物にならないからな。」
「あれ・・・どんくらいかかるって?」
レイが聞きたいのは、大破したゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”の修理期間のことである。これが一般配備されているMSであれば、大破しても代わりの機体がある。だがマイン・ゴーシュは試作機に無理やり改修を施した、いわばハンドメイドMSの様なモノである。代替機がなく、修理にも時間がかかるのは当然と言える。それどころか、修理・復元できるかどうかも怪しいものであったので、レイはそれを心配していた。
「主任からその事で話を聞いてな、2ヶ月は最低かかるそうだ。」
「あ、直るんだな・・・よかった。」
「主任が言ってたよ、『このポンコツは、より完全なMSとして作り直す。レイが未熟なおかげで、こっちも良い勉強をさせてもらった』って。」
ナリアに託されたハヤサカの伝言を手厳しいように思えて、レイは思わず言葉を飲み込んだ。
「ま、気にしなくても良いんじゃない?」
「なんで?」
「楽しそうだったからね、本人は。」
そこで見た光景は、陵辱という名の地獄そのものであった。ドアを開けたその目の前には、捕虜として幽閉されているはずの女性が全裸で横たわり、周辺にいるコルドバと部下2人もまた、エリナと同じ格好だった。
「・・・・・・ッ!」
ヴェキには、ここで何が起こったのかをすぐに想像することはできなかった。暴行を終えた直後にいきなりドアが開いたのを見て、コルドバは動きを止めた・・・というよりも、動けなかったと言った方が正しい。全てを終えたばかりで、脱力していたのである。
「お前は・・・なんでここに!?」
ヴェキは、頭の中が真っ白になっていくのを自覚した。そして頭の中で、何かが弾けた。
「オォォォォォォォッ!!」
絶叫しながら、ヴェキはコルドバの部下2人に向けて発砲した。半錯乱状態にありながらも、狙いは寸分も違わなかったようだ。4発の銃声が鳴り終わった直後、2人は脳漿を撒き散らしながら、無重力帯の中にただ漂うだけの肉の塊になった。
「チッ・・・!」
その隙に、コルドバは脱ぎ捨てたノーマルスーツの腰に備え付けられているホルスターから拳銃を抜いて構えたが、ヴェキはそれを察知して、拳銃を投げ捨てた。
「貴様ッ!」
床を蹴って、ヴェキはコルドバの反応を遙かに凌駕した速度で接近した。ヴェキが得意とする一撃必殺の左正拳突きが、コルドバの右即頭めがけて繰り出された。左手の拳に確かな手応えが返ってくる。
「グッ!」
激しく脳天を揺さぶられて、軽い嘔吐感が頭部を殴られた痛みを超越した。コルドバの動きが止まったが、ヴェキは容赦なく追撃をかけた。今度は頭部だけではなく、腹部や他の部分を無差別に殴りつけ、全力で脇腹を蹴った。ボキッという肋骨の折れる音が、手応えと共に伝わってきた。
ヴェキは、自分がなぜここまで激昂しているのか自分でも判りかねていたが、今はどうでも良いことだった。北欧神話で魔剣ティルヴィングを手にした狂戦士さながらに、衝動に任せて数分に渡って殴り続けた。相手が既に絶命した正確なタイミングが判らないほど、ヴェキの感覚は狂っていた。頭痛が急激に酷くなる。今度の発作は、今までにない強烈なモノだった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・オァァァァァァァァァァァァッ!!」
長い絶叫だった。一度きりの咆哮を終えたヴェキは、しばらくの間放心していた。両方の拳を少し傷めたようではあったが、それにかまってはいられなかった。ヴェキの絶叫を聞きつけたネリナが、ここに来るかも知れなかったからだ。
「・・・・・・」
ヴェキはすぐにエリナの元に駆け寄って、頭を抱きかかえた。これほどエリナを間近で見たのは、初めてであった。ヴェキの頭痛は、コルドバ達を殺した今でさえもまだ治まっていないどころか、酷くなる一方だ。
エリナが息をしているのを確認して、ベッドに敷かれていたシーツで汚れた身体を拭ったが、部屋中に散らばった血と汗と脳漿、そして男達の体液の混じり合った匂いは、想像以上に凄惨なものであった。
「ここに寝かせておくわけにもいかないな・・・おい、おい!」
顔を幾度か軽く張ったが、エリナはピクリと反応するだけで、いっこうに目を覚ましそうになかった。ヴェキはシーツの汚れていない部分を破り取って、エリナの身体に巻き付けた。ここから運び出そうというのである。
(なんでオレがこの女に・・・自分の部下が勝手なことをしてしまった、その償い?それとも、クローネが禁じていたことが起こったから?・・・)
自問してみたが、答えは見つからなかった。時間を重ねるごとに頭痛が酷くなり、いつもの冷静な判断ができかねていたからである。こうしていても仕方がないので、とりあえず抱きかかえて自分の部屋へと向かった。
ヴェキがエリナを抱えて部屋を出てから数分後にネリナ・クリオネスが再び独房を訪れたのは、ヴェキの絶叫を直接聞いたがゆえではなく、ヴェキの絶叫を聞いた他のクルーからの報告を私室で受けての事である。ヴェキに知られることなく事を進め、クローネにコルドバを排除させるという当初の目的が崩れ去ったのを悟って、焦ったネリナは急いで独房に向かったのである。
「これは・・・どう言うこと?」
ネリナが見たのは、3人の男性の死体であった。2人は拳銃で頭を撃ち抜かれ、コルドバらしき人物は撲殺されたようだった。らしいというのは、顔が原形をとどめていないほど、激しく殴打されたからである。
様々なモノが織り交ざった臭気に加えて、死臭もが漂う独房の中は、誰もが一刻も早くこの部屋を出たいという衝動を駆り立てるほどだ。その臭気の中で、ネリナは3人を殺した人物がヴェキだということに気付いていた。
(でも、ヴェキはなぜこのことを知っていたというの?)
疑問を拭い去れなかったネリナは、ヴェキの私室に連絡を取ったが、コールには誰も出なかった。
エリナを抱きかかえたまま、ヴェキは途中で誰にも出くわすこともなく、自分の私室に戻っていた。シンドラに配備されている人員が通常よりも少ないことが、この際はヴェキには好都合に作用した。
今の自分の行動にハッキリとした理由も見出せないまま、ヴェキはただ直感でエリナをここまで運んできたのではあったが、とにかくエリナを汚れたままにはしておけないとだけは思えた。
最初に行ったのは、血や脳漿や男性の体液で汚れたエリナの身体を洗浄する事だった。浴室に運び込んで身体を包んでいたシーツを剥がすとエリナの顔にカバーをかぶせ、ヴェキ自身が服を着たままなのを気にせずに、噴射式シャワーで全身を洗い流していた。
宇宙での運用を前提に作られた艦艇のシャワーは、顔にカバーをかぶせて四方から湯が放射される形式をとっている。それゆえにヴェキは、すぐに全身がズブ濡れになった。
エリナ自身の意識は既に戻っていたが、いまだ茫然自失状態であった。熱い湯が皮膚の表面にぶつかるたびに、エリナの身体は僅かに反応を示していた。
「おい、聞こえるか、エリナ・ヴェラエフ?」
試しに声をかけてみると、エリナの目が少しだけ開かれたが、途中でその動作は止まってうつろな表情を浮きだたせていた。それを返事だと察したヴェキは、それ以上は何も言わずにエリナの身体を洗い続けた。
「ショ・・・ル?」
エリナはうつろな表情のまま、単音節ずつヴェキを呼んだ。ヴェキは自分がショールと呼ばれることには抗議しなかったが、それは決して自分がショール・ハーバインであると認めたわけではない。だがエリナは、無意識ながらにそう捉えたようであった。
(暴行を受けている間は自ら心を閉ざしたか・・・)
エリナが数時間という長い時間に渡って暴行を受け続けていたという事実から、捕虜とは言え気の毒に思えてくるのは、ヴェキの人の良さというか、人間らしさを正直に自覚しているからだろう。
「ツッ・・・!」
こうしている間にも、ヴェキの頭痛は絶え間なく続いていた。
(この女が来てからだ、オレの頭痛がこんなに酷くなったのは・・・クローネが言っていたことは、どういう意味なんだ?)
ヴェキは以前に、エリナに近付くなと言われたことがあった。捕虜の尋問の知識はないし、指揮官ともなればそんな時間がないと言われていたので、その時は特に疑問は持たなかった。だが、今は違う。
(クローネは、頭痛の原因のひとつがこの女であることを知っていたというのか?・・・まさか、そんなはずは・・・)
次に激しい発作がヴェキを襲ったのは、その直後だった。放心状態にあるエリナの裸体を特に意識して見ていたわけではなかったが、頭の中にフラッシュ・バックしたビジョンは、明らかに今見ているのとは別のエリナの裸体だった。苦痛そのものはすぐに去ったが、ヴェキの脳裏にはフラッシュ・バックした先にある何かを忘れてはいなかった。
(オレはこの女を知っている?いや、そんな事は有り得ない・・・オレはネオジオンのヴェキ・クリオネスのはずだ・・・)
ヴェキはいつの間にか、そしてなにゆえか、自分の存在に自信が持てなくなり始めていた。
第21章 完 TOP