第20章 狂気と殺意

 ロフト・クローネはエリナを独房に入れた後、ヴェキを自分の私室に呼び出していた。
「ついさっき、ハマーンからサイド4に向かうよう、シンドラに命令が来た。」
「サイド4に?」
 ヴェキはこのいきなりすぎたクローネの通達に、戸惑った。
「ハマーンめ、フラナガン機関で同じ時を過ごしたオレに、好き勝手をさせないつもりらしいな。」
「とことん利用してやろうって魂胆だな。ハマーンもバカではないな。」
 感心まじりに嘆息したヴェキを見て、クローネもため息をついた。
「サイド4でMSなどの補給を受けて、地球のヨーロッパに降りる。しかしオレはしばらくの間サイド2に残って、内政に専念しなくちゃならない。そこでヴェキ、お前にはシンドラの指揮官として正式に指揮を執れ。コルドバにも補佐をさせる。」
「なるほど、ハマーンを騙すんだな・・・しかしコルドバを連れてとは・・・?」
「ヤツの人格はともかく、能力は指揮官補佐として充分なだけ持ち合わせている。要は使う人間次第さ。」
「嫌なヤツだな、親友にジョーカーを押しつける気か?」
 苦笑して、ヴェキは冗談半分に抗議した。口で言うほど、ヴェキは不満ではない。コルドバがいない方が、クローネが色々やりやすくなるからだ。
「ま、そういうことになるな・・・場合によっては、ドサクサに紛れて排除しても構わない。」
「・・・判った。シンドラは任せて、お前は安心してサイド2で自分の足場を固めておけ。」
 クローネはヴェキの返事に納得して、頷いた。
「地球に降りたら、ヨーロッパに点在しているジオン公国の残存勢力に、ネオジオンとして接触しろ。こりゃアレだな・・・ハマーンが自ら地球に降りたときへの布石だろうな。」
「ハマーンが降りてきた頃には、合流できるように、説得か懐柔しろって事か。」
「ジオンも一枚岩じゃないからな・・・それと・・・」
 クローネの口調が急に暗くなったので、ヴェキはその表情をいぶかった。その直後に、クローネはエリナと初めて会った直後から感じていた不安感の事を語り始めた。
「何をお前が不安がるんだ?」
「・・・わからない。とにかく、何か嫌な事が起こりそうな気がしてならない。気をつけてくれ。」
「一応お前のシュツルムは置いて行くけど・・・お前だって反ジオンテロの対象になりかねないって事も忘れんなよ。」
「オレがテロリスト風情に殺られるモノか。それと、コルドバはオレに強い反発を持っている、気をつけてくれ。」
 クローネの念押しは、当然だろう。自分への反感がヴェキに向かわない保証など、どこにもありはしない。自分が喋り過ぎつつある事を自覚して、クローネは椅子から立ち上がった。
「おっと、このまま長居をするわけにもいかないか・・・そろそろコロニーに向けて出発することにする。後は頼んだぞ。」
 クローネは、自分が既にシンドラの指揮官ではないことをわきまえた発言をした。自分が座っていた指揮官席に座るよう、ヴェキにすすめた。
「で、あの捕虜の女はどうするんだ?」
 ヴェキは聞き忘れかけていたことを思い出して、クローネに確認をとった。
「オレの移動を除いて、あとは現状維持だ。」
 クローネが指揮官用の私室を辞すると、ヴェキもブリッジに向かって部屋を出た。その30分後、コルドバが3名の部下を連れて、ヴェキの指揮するシンドラに合流した。3月17日もあと、数時間を残すだけになっていた。

 月標準時で宇宙世紀0088年3月18日の正午を刻む直前・・・クレイモア隊の実戦指揮官であるログナー中佐は参謀本部のロレンス大佐に呼び出された。いつものパターンだと、新しい任務が伝えられるはずだ。サイド2の開放という任務が失敗した帳尻あわせかも知れない・・・ログナーはかすかに漂う、嫌な感覚を脳裏から拭い去れずにいた。こんな時は、ロクな事がない。
「ログナー中佐、参りました。」
「ご苦労・・・今までの報告には目を通した。試作機は大破、パイロットも全治2ヶ月だそうだな。」
「それに関しましては、全て私の独断・・・私の責任です。」
 ログナーがいつになく殊勝だった事に、ロレンスはむしろ戸惑いさえ覚えていた。いつもは事情の説明から始まるのが、いつものやり取りだった。中には言い訳じみたモノもあったので、ロレンスはをれを良く思っていなかったからである。
「いや、別に貴官を咎めているわけではない。ネオジオンが月と接触を持っているという証拠を掴んでくれたんだ、むしろ怪我の功名と言えるだろう。おかげで、こちらも内部調査を行う理由ができた。」
「内部調査・・・エウーゴのですか?」
「それだけではない。アナハイムや月企業連合体の中にもネオジオンと繋がりを持っている人物がいる可能性は、極めて高い。ま、この辺は君らには関係のない話だがな。」
「そう願いたいですな。」
 ログナーはしみじみと言った。いち部隊の動向が政治色を帯びるのは、ログナーにとっては面白くないからだ。MS実戦部隊の出る幕ではないことは、その意味ではありがたい話だった。
「どうも結果オーライな言い方で不本意ではあるが、君らの独断は処罰には値しない。安心したまえ。」
「それで、私を呼び出されたのは、それを伝えるためですか?」
 ログナーがようやく話の本筋に入ろうとしたので、ロレンスも話題を変えた。
「それもあるが、君らには先日の失敗の帳尻を合わせて貰う。」
(やはりそう来たか・・・とすれば、またサイド2に?)
 ログナーはロレンスの次の言葉を待った。
「明日、19日の月標準時の午前中にはグラナダを出発して貰う。」
「サイド2の奪回ですか?」
「いや、どうもサイド4の方向らしい・・・まず、サイド1に向かったアーガマの状況の説明から伝えておかなくてはな。サイド1の1バンチコロニー”シャングリラ”でネオジオンの部隊と交戦後、アーガマはシャングリラを出た。そのサイド1制圧部隊はサイド1の占領を行わずにアーガマの追撃に向かっている。」
「それは知っています。確か1週間ほど前の報告でしたな。」
「そう、その後もアーガマは追撃を受けている状態だ。新型機の受領も完了している。」
 ログナーはロレンスの回りくどい説明に、苛立ちを憶えていた。自然とログナーの語気も、やや荒っぽさを帯びてきていた。
「それと今回の我々の任務と、どういう関係が?」
「話は最後まで聞け。サイド2のコロニー制圧部隊の動きを監視させていたところ、連中の動きがどうも変なのだよ。」
「・・・と言いますと?」
「サイド1の制圧部隊がコロニー制圧という本来の任務を放棄したのは、そこにアーガマがあったからだ。ネオジオンの作戦を変更させるだけの存在といえば、旗艦であるアーガマくらいしかないだろうからな。」
「・・・・・・」
 ここまで聞いて初めて、ログナーはロレンスの言わんとすることが見え始めていた。つまり、サイド1の部隊の他に、コロニー制圧の任務を放棄して動き出した部隊があったという事である。
「サイド3の宙域に移動したアクシズから艦隊が出発して、サイド2の部隊の中でそれに呼応する形で移動を開始した艦艇が確認された。」
「部隊丸ごとではなく?」
「そうだ、アクシズから出た艦隊はサイド4に入る直前の宙域で待機している。」
「サイド4といえば、サイド7を除いて最も地球に近いサイドですな・・・とすれば、その先にある目的は地球?」
 ログナーが辿り着いた結論に、ロレンスは満足そうに頷いた。
「その可能性は高い。アクシズから派遣された艦隊がサイド4の宙域に入らないのは、現在月で繰り広げられている反乱軍と連邦の討伐部隊の戦闘に介入するつもりなんだろう。どのみちその艦隊とサイド2の部隊が合流するまでは、しばらく日数がかかるだろうからな。」
「そうですね・・・しかし、各コロニーサイドの制圧が完全には遂行できていない状態で地球に降下するのは、敵ながら時期尚早に思えますが・・・」
 ロレンスはログナーと思惑のシンクロを、どこかしら楽しんでいるように見えた。ロレンスの声も、自然に大きくなる。
「そこで、君らにはサイド4に向かっている部隊に奇襲をかけて、もし奴らが地球に降下しようとする動きを見せたら、それを阻止してくれ。」
「判りました。サイド4に向かっている部隊を攻撃すればよろしいんですね?」
「・・・そうしてくれ。ニッタ少尉抜きの任務だが、気をつけてな。」
 言って、ロレンスはログナーを早々に立ち去らせた。
(これで誰かが戦死でもしてくれれば、後腐れがないな・・・せいぜい潰しあって貰うぞ、エネス大尉・・・)


 クレイモア隊が出撃命令を受けてから、6時間が経過した。この時シンドラはようやく、サイド2の宙域を出たところを航行していた。衛星軌道を通っていれば3〜4日はかかる行程だが、サイド2からサイド4への最短ルートを航行しているため、およそ2日に短縮することができる。ロレンスの目算通りなら、ちょうどシンドラがサイド4に到着した頃にティルヴィングが捕捉できるはずである。
 指揮官であるヴェキ・クリオネスは、サイド2を出発してからはずっと、ブリッジのキャプテンシートに座っていた。ヴェキは今までに一艦の指揮官をやった経験はなく、充分な訓練や研修を受ける時間もなく即実戦を求められた現段階では、慣れるためにシートに張り付いているしかなかったのである。副官的立場にあるネリナとコルドバはなぜかブリッジに姿を見せようとはしなかったが、このなんでもない時にコルドバが艦内で不穏な動きを見せようとしているなどとは、少しも思いつかなかった。

 コルドバは現在、エリナを捕虜にしたときに同行していた部下2人を連れて、モニタールームのドアの前にいた。この部屋の中には艦内に設置されているカメラから送られてくる映像を管理するための設備があり、勿論捕虜のいる部屋の監視もここで行っている。コルドバは興奮をなんとか抑えて、素早くドアを開けた。中には兵士がひとりだけ数台のモニタの前に座っており、後ろでドアが開いた音に振り返った。
「あ、コルドバ様、どうなされたので?」
「やることが無くてな・・・ヒマでしょうがねぇ。少しの間だけで良いんだが、代わってくれないか?」
 相手がコルドバの部下であれば、そのウソは見破れていたかも知れない。コルドバがこのような事をやりたがるなどとは、見たことも聞いたこともないからだ。だが、相手はクローネの部下であって、コルドバの部下ではなかった。その兵士は最初はやや戸惑っていたが、コルドバのウソを信用し、コルドバが飽きたら呼ぶようにだけ伝えて、部屋を出た。

 この瞬間、コルドバは心の中で小躍りした。今から行うことは明らかに犯罪であり、もしクローネに発覚すれば自分は間違いなく殺される事になるだろう。だが、ネリナの提案を受けてからは、状況が変わった。最悪の場合でも、ネリナとエリナに責任を転嫁できるようになったからだ。すかさずエリナの閉じこめられている独房の監視映像をモニタに出力させた。どうやら簡易ベッドで眠っている様子だ。10分ほどコルドバはそのモニタの画像に見入っていたが、このまま行動に出るわけにも行かないので、この監視室を訪れた本来の目的を達成すべく作業を開始した。
 それから更に30分が経過してコルドバは作業を終えると、モニタールームの本来の担当の兵士を呼びだして、交代した。今回の一件の全てを口止めされた監視役の兵士はコルドバとその部下達が出ていくのを見届けて、念のためモニタを数度切り替えて異常がないかを調べたが、コルドバ達と交代する直前とほとんど変わっていなかった。今のところ航海が順調で兵士達の緊張感が緩みかかっていたことが、この際コルドバには幸いした。もし、この監視兵がひとつひとつのモニタ画像を入念にチェックしていれば、コルドバの行った作業が発覚したかも知れなかったのである。

 キャプテンシートに張り付いたままのヴェキは、この時になって全身に悪寒を感じていた。クローネの残した”嫌なことが起こる”という言葉がヴェキの心の片隅に引っかかっていたので、MSによる周辺の哨戒を命じた後、念のためにモニタールームを呼び出した。
「ヴェキだ。艦内に異常はないな?」
 クローネがヴェキにコルドバのことについて警告してくれたのは、それはヴェキが戦闘中などで意識をコルドバに向けられない状況になってからの話であって、静寂が支配する航海の途中で、まさか艦内で事件が起こるとは思ってもみなかったのである。
 それでも、ヴェキは捕虜のことが気になって仕方がなかった。それは捕虜が逃亡する可能性とか、それらとは異なった次元の気がかりである。とにかくヴェキには、それが”悪い予感”としてしか認識できなかった。
「はい、今のところ異常はありません。全てが順調です。」
「・・・そうか、なら、いいんだ。」
 即座に通信を切って、椅子に座り直してから溜め息をひとつ吐いた。悪寒は既に治まっていたので、はじめは風邪でもひいたのかと思ったが、予感そのものは消えていなかったので病気の可能性は真っ向から否定した。
(クローネじゃないけど、オレにもなにか、嫌な感じがする・・・近くに敵が潜んでいるのか?)
 そのヴェキの想像は、半分だけ正しかった。コルドバはクローネやヴェキにとって、敵かも知れないのである。ヴェキがそれを改めて思い知るのは、数時間経ってからの事だ。

 コルドバの次なる行動は、ネリナの私室を訪れてネリナと合流することだった。それを済ませた後、ネリナを含めた4人は、エリナの独房のドアの前に移動していた。ドアの前には、見張り役の兵士はいない。ヴェキがそれを配置しなかった理由は、クローネがそうしなかったからである。そして、クローネがそうしなかった理由はエリナが逃げようとしなかったこともあったが、シンドラに配置されている人員が通常よりも少なかったことの方が大きい。しかし、そこにコルドバやネリナの付け入る隙があった。
(ヴェキを騙すようで、こんな事はやりたくなかったけど・・・ヴェキが私の側に居続けるためには、本当のヴェキを知っているあの女には消えて貰わなければ・・・)
 ネリナが独房のロックを解除して、残る3人が独房の中へと入っていった。ネリナが一緒になって入らなかったのは、これから起こることを同じ女性として直視できないからである。
「なに、ここから出してくれるの?」
 ネリナの耳に、女性の声が届いて、その瞬間から室内が急に騒がしくなっていく。
「あぁ、出してやるさ。ただし、お前が正気を保っていられたらの話だけどな!」
「・・・拷問でもかけるっての?」
 女性の声が次第に怯えを帯びてくるのが、ネリナにも判った。
「そうだよ、精神にも身体にもキッツイのをな・・・無重力帯でのセックスなんて、初めてだぜ。」
 ネリナが聞いたのは、そこまでだった。すぐさまドアを閉じて、ネリナだけこの場を立ち去った。これ以上聞くに耐えないというのもあったし、コルドバという獅子身中の虫をこの艦から排除してヴェキの後顧の憂いを絶つという目的があったからだ。サイド2に帰還後、この事件を密告して、コルドバはクローネによって処刑される・・・それがネリナの目算だった。

 ヴェキは今この時、何か悲鳴のような声が脳の中を一瞬だけ駆け抜けていくのを自覚した。激しい頭痛がヴェキを襲ったが、自らの精神力で頭を抱える手を元に戻した。それでも脂汗だけは止められなかった。
(なんなんだ、オレの頭はどうなってるんだ?事故の後遺症で頭痛が続くなんて、聞いたこともない・・・)
 もしやと思って、ヴェキは頭痛に耐えながらも、シートを立った。
「少しだけ、頼む。」
 手短ではあったが、ブリッジのクルーはそれを了解して、復唱した。
(嫌な感じだ・・・頭が内側からえぐられるような・・・吐き気までする)
 ヴェキが向かったのは、モニタールームであった。艦の外ではなく、中で何かが起こったのだとしたら、まずはここを調べる必要があると思ったからである。だが、もし何かが確認されれば、すかさず報告があったはずだ。その不整合をただすため、ヴェキはモニタールームに向かった。
 モニタールームの監視兵は、コルドバの出会った兵士であったが、ヴェキには特に異常もないことを改めて報告した。だがヴェキは、自分で調べなければ納得がいかなかったので、その監視兵に独房のモニタ映像を出力させた。捕虜であるエリナは、ベッドで眠っているようだった。だが、ヴェキの悪寒はいっこうに治まらず、その画像をじっくりと凝視した。
「・・・・・・!?」
 ヴェキはその映像の中に、不自然さを感じた。エリナの寝返りが一定時間ごとに、同じ動作が繰り返されている事に気付いていた。
(そうか、録画していた画像を繰り返して再生していたということか!)
 ヴェキは捕虜の身を案じて、独房へと急いだ。
(なんでオレが捕虜のことを心配しているんだ?・・・クローネが人間を虐待したりすることを嫌っているからか?・・・確かにそういうことは、オレも許せないけど・・・取り返しがつかない事が起こる、そんな気がする・・・)
 エレベータを下りて、独房のある居住ブロックに到着した。それと同時に腰から拳銃を抜いて、少しずつ近付いていった。ドアの前に近付いて、まずは聞き耳を立ててみることにしたが、何も聞こえはしなかった。ドアが分厚いからなのか、中で捕虜が眠っているのか、それとも捕虜が死んでいるのか、今の段階では断定できなかった。ヴェキは再び襲ってきた頭痛と闘いながら、ドアを開けた。
「・・・・・・ッ!!」
 ヴェキが独房に到着した頃は、既に全てが終わっていた。


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