第34章 疑 念
ハマーン・カーンが地球に降りてからというもの、宇宙の情勢は、嵐が過ぎ去った直後のように静寂を極めていた。それが、地球連邦政府からの秘匿の通達によって連邦宇宙軍正規の部隊がネオジオンに手出しを許さなかったゆえの事であり、サイド2に駐留しているロフト・クローネはそれを知っていた。
宇宙世紀0088年8月31日に、ハマーンと地球連邦政府高官達の間で和平協議が開かれているはずであったが、エウーゴ・カラバによってそれが妨害されたと聞いたとき、クローネは心の奥底でそれを歓迎していた。この男はもとより、ネオジオンの最終的な勝利を望んではおらず、少なからずハマーンの思惑を崩すように行動したこともあった。彼にとってネオジオンの存在は連邦改革のきっかけを作るための必要悪であり、連邦の敗北はクローネの敗北と同義だった。
「今のところ、風向きはオレの方に向いてるようだな。」
ハマーンのダカール撤退を報されたとき、クローネはひとり、口元を歪ませていた。もともとクローネは、ハマーンとは私的にも犬猿の仲と言える関係にあった。この2人には、一年戦争中は共にフラナガン機関でニュータイプ戦士としての養成を受けており、その頃から互いに憎みあってきたという背景があった。にもかかわらず、クローネがハマーンからの重用を受けたのは、単に戦力になったからであった。
しかし、クローネは私的な関係を、少なくとも表面的には任務に干渉させるようなことはなかった。ザビ家に連なる人物の抹殺こそがクローネの目的であり、そのために戦後のアクシズ掌握にも手を貸した。無論、サビ家の忘れ形見であるミネバの後見人であるハマーンも、クローネにとっては抹殺対象のひとりでしかなかった。こうしてネオジオン軍の幹部に甘んじているクローネは、ハマーンの寝首をかく機会を狙っていたのである。だが、彼にとってそのときは、今ではなかった。
10月23日、クローネは思わぬ人物の来訪を受けた。彼とは犬猿の仲である、ネオジオンの最高権力者に収まった”あの女”だ。クローネはヴェキを伴って、ハマーンを乗せたシャトルの出迎えに、宇宙港のデッキに移動していた。ハマーンほどの人物がわざわざ会いに来るという事が、クローネのネオジオンにおける地位が如何に高いかと言うことの証明であっただろう。少なくとも、マシュマー・セロと同列ではない。
「これはハマーン様、このような辺境の地に、ようこそおいで下さいました。」
立場上、ハマーンのサイド2来訪を歓迎すべきであることは百も承知だったので、内心を悟られぬよう、私的関係の部分を一時的に忘れることにした。しかし、露骨なおべっかを嫌うハマーンは、一度だけ鼻で笑うとクローネに視線を向けた。その程度でくすぐられるようなプライドなど、この女は持っていないのである。
「心にもない世辞など言わなくていい。”なぜ来たのか”と顔に書いてある。」
「滅相もない。立ち話をするわけにもいきませんから、中へご案内します。ヴェキ!」
クローネから名を呼ばれ、上部デッキから見下ろしていたヴェキが降りて、ハマーンに敬礼した。
(この男が、私に無断で”処置”をした強化人間か・・・)
ハマーンは目の前に現れたその強化人間を、舐めるように監察していた。彼女がわざわざサイド2へ出向いてきた目的のひとつが、このヴェキのことを自分自身の目で確かめる事であった。一見、髪の長い優男のような印象を受けるが、線の細いイメージを抱かせるでもなく、目つきは常に何かを探しているような、そんな感じだった。
「ハマーン様をご案内すれば良いのか?」
「そうだ、応接室があったろ?そこへハマーン様をご案内してくれ。オレはまだやることが残っているんでな。」
「了解、ハマーン様、こちらへ・・・」
ヴェキの案内を受けながらも、ハマーンはヴェキの挙動に目を配っていた。ハマーンを案内するという公務上にあるために2人は無言で、正面を向いていた。それゆえに、ハマーンは彼らの挙動から探り出すのは無理だと察していた。
ヴェキは応接室にハマーンを残して退出した直後、これまで身体の奥底に隠しているのが精一杯だった凄まじいまでの悪寒を外に放出し、大きくため息をついた。その瞬間、背中だけでなく全身が冷や汗に浸食されているのを自覚した。
(なんなんだ、あの女・・・まるで不愉快さが服を着て歩いているようだ・・・)
そんなヴェキの内心を、ハマーンはある程度想像できていた。自分も似たような心境だったが、程度はヴェキとは違っていた。不愉快な男ではあるが、恐れる対象ではない・・・と、ハマーンの直感が教えてくれていたのである。
ヴェキが退出してから5分後、クローネが応接室に姿を現していた。今はクローネとハマーン、2人きりである。
「ところで、このたびはどの様な御用向きがあっての来訪です?」
「お前のサイド2を、この眼で見ておこうと思ってな。他にも用事が無いわけではないが、それはお前には関係のないことだ。邪魔をする気はない。」
「はぁ・・・それで、私にはどんなご用件がおありで?」
「お前に今一度、働いてもらう。シンドラを率いて、10月25日に、サイド4に向かって出発しろ。」
「サイド4?」
クローネはハマーンの意図を察することができず、オウム返しに聞くしかなかった。
「そこでエンドラIIと合流して、それ以後は指揮官であるマシュマーに従え。」
ハマーンにとって、これをクローネに言わなければならないことについては、いささか複雑な心境だった。マシュマー・セロにクローネほどの判断力が備わっていれば・・・という想いが、未だにハマーンの脳裏に残っていたのである。
マシュマーがアーガマ隊に敗北したことなどはどうでも良かったが、本来の指名であるコロニーサイドの平定を忘れ、居合わせたアーガマの追撃を行ってしまったのがそもそもの間違いだった。アーガマがサイド1にいたのは偶然でしかなく、彼らがサイドから出た後に本来の任務を果たしていれば、ハマーンはこのような回りくどい戦略を採らずに地球連邦に対して正面から戦って勝てる算段があったのだ。クローネがマシュマーと同じ状況に置かれていれば、恐らくはハマーンの意思に沿った決断をしていたに違いなかったが、それは彼女にとって皮肉でしかなかった。意のままに動かせる駒であるが忠誠心過剰な部分が先行しやすいマシュマーと、どこか信頼はおけないが正常な判断のできるクローネ・・・この両者の使い方は、ハマーンにとっては不自由な二律背反を強制していたのであった。
いくら優秀であったにしても、ここ数ヶ月もの間に不可解な行動をとり続けてきたクローネを信用する気にはなれず、この任務の詳細までは報せなかった。
「・・・了解しました。」
そんな雰囲気を感じ取っていたクローネは、敢えてハマーンに問いつめるようなことはしなかったが、目的がダブリンへのコロニー落としにあることなどは、考えもつかなかった。
「ところで、ハマーン様はこのサイドにしばらく滞在なさるので?」
「明日まではここで過ごす。明日の晩に出発できるよう、シャトルの手配を頼む。」
「では、お部屋の手配もさせましょう。サイド2の中を歩かれるのでしたら、案内役をつけますが?」
「それには及ばん。お前は任務のことを考えていればいい。」
ハマーンは、クローネが占領、維持してきたこのコロニーサイドを、ひとりで見て回るつもりだった。本人から聞き出せないことは、彼の作品からにじみ出るモノを感じ取るしかなさそうだと思ったのだ。
日付が進んで10月25日、クローネはシンドラを率いてサイド2を出発した。クローネの本音からいえば、ヴェキをシンドラの指揮官として派遣し、自らはサイド2に残留するつもりだったが、ハマーンから直々に命令されては過度に恣意的な行動をするわけにもいかなかった。
サイド4の宙域でエンドラIIを合流をしたのは、10月27日の18時過ぎであった。クローネはシンドラをエンドラIIと接舷させず、通信のみで顔合わせをした。
「シンドラのロフト・クローネだ。ハマーン様直々の特命により参上した。ここからのことについては何も知らされていない。貴公に従うようにいわれているので、指示を願いたい。」
クローネは過去に一度だけ、エンドラIIの指揮官であるマシュマー・セロと会ったことがあったので、形式的な挨拶を手短に済ませた。
「ン・・・ハマーン様から聞いている。貴様はエンドラIIとは別行動をしてもらう。」
「別行動だと?」
漠然とした違和感を感じずにはいられなかった。今回の出動に関しては不審な点というか、釈然としない部分が多すぎて、彼自身でもその輪郭すら掴めない状態だった。クローネは、それを歯がゆく思った。
「そうだ。私はサイド4でやるべき事がある。貴様等は先行して地球の外縁を周回、ルナIIに向かえ。」
「ルナIIを武力占拠するのか?」
それはあまりに時期はずれだと思った。連邦から手を出してくることがない今という情勢では、無意味であろう。
「そうではない。とにかく、貴様は言われたとおりに移動すればいいのだ。」
「・・・・・・分かった。その通りにしてやる。」
クローネの方から折れはしたが、その口調はマシュマーの癇に障った。それに対して抗議しなかったのは、マシュマーの機嫌が良かったからであろう。
その翌日、1時間ほど先にシンドラがサイド4の宙域を離脱してのち、マシュマー率いるエンドラ隊はサイド4にあった廃棄コロニーをひとつ占拠して、地球への落下軌道に乗せることになる。この時点でクローネはそれを知ることなく、ひとまずは地球の方向へ直進を始めたのである。
ユリアーノからの続報がエネス達にもたらされたのは、10月29日の朝方だった。
『ネオジオン軍はサイド4のコロニー1基を占拠。目的はコロニーを地球に落下させることにあり。』
暗号電文による通信を受けて、それを解読した文面を読んだとき、ログナーとエネスをはじめとする電算室に集められた主なメンバー達の顔色が一変した。
「コロニー落とし・・・」
「しかし、荒唐無稽な話ではありません。連邦閣僚の懐柔に失敗した以上、それに続く方策として恫喝という手段に持ち込むのは十分にあり得る話です。現に、未遂に終わりましたが、昨年にティターンズがグラナダに実行しました。」
エネスの冷静な分析は、他の面々を納得させることができたようだった。
「つまりアレだな、ネオジオンに手を出すなって命令は、これを見越したモノと考えるのが自然か・・・なんでこんなアホなことを・・・」
と、これはレイ。
「連中にとって、地球の人口がひとりでも減ってくれる方が都合がいいんだ。だからそれを利用するんじゃないのか?・・・クソ、そうに決まってる!」
ファクターの言う連中とは、言うまでもなく、地球連邦の高官達のことである。
「とにかく、阻止しなければ・・・」
エネスが考え込み始めたのを見て、レイはもどかしそうに言った。
「言っててもしょうがないじゃないの。とにかく行動するしかない。」
「しかしな、我々は迂闊に動けん。まず、ロレンス大佐に持ちかけて、出動の許可を得ることにする。位置的にこれを実行できるのは、我々クレイモア隊だけなんだ。」
ログナーの言っていることは、事実である。仮に連邦政府からのあの秘匿の命令がなかったとしても、サイド4から地球に直進するコロニーに追いつけるのは、グラナダに待機している唯一の機動戦力であるクレイモア隊だけだった。
端末でブリッジのミカを呼び出すと、ロレンスの執務室との回線を開くように命令した。幸いにも大佐は在室中で、その通信にはすぐ応えたので、ログナ−は手短に報告した。
「なるほど、コロニー落としか。ところで君は、それをどこから聞いたんだ?」
「参謀本部と同じソースですよ。間もなくそちらに、同じ報告が入るはずです。」
「・・・・・・まぁ、それはよし。つまり、クレイモア隊はコロニー落とし阻止のために、出撃したいというのだな?」
「現時点で、それをできるのは我々だけです。出撃許可をいただきたい。」
「独断で出撃しなかったことは良いが・・・それはダメだ。連邦政府の命令に背くつもりか?」
連邦からの攻撃禁止命令は、あくまでも秘匿の命令であった。それゆえロレンスも、オンラインでこれ以上中身について触れるのを避けた。
「しかし、それでは・・・!」
「何度も言わせるな、クレイモア隊は待機だ。だいたい、ネオジオンは連邦に対して軍事行動に出ないと明言しているんだぞ。その情報に信憑性はない。」
ロレンスに引き下がるつもりがないことをさとったログナ−は、ロレンスとバルスもまた地球連邦政府に通じているのではないかという予感が、少しずつ確信に近付いているのを感じていた。一瞬、すぐ横にいるエネスに目配せをすると、無言の頷きが返ってきた。そこでログナーは、腹を決めた。
「それは口約束に過ぎません。公式の条約でもない限り、それを信用する気にはなれませんな。分かりませんか?ハマーン・カーンは、最初からそんな約束を守るつもりはないんですよ。」
「・・・・・・」
その無言が、ログナーに全てを確信させていた。現実に、ロレンスの顔が怒りで少しずつ紅潮の度合いを強めていた。
「・・・あなたは知っているんだ。知っていて連邦政府の命令を守れと仰る!あなたも、そしてバルス少将も、コロニー落としを阻止されると都合が悪いというわけですか。」
「言葉を慎みたまえ、いくら君でも、これ以上の反抗は抗命罪で拘束しなければならなくなる。」
ログナーの言動が感情を帯びてくるのを察して、エネスが割り込んだ。
「それを言いがかりだと思うのなら、大佐、出撃の許可を重ねて要求します。」
「とにかく、それは許可できない。こちらからの手出しを待っている可能性もある。もう少し様子を見るんだ。今すぐにコロニーが地球に落ちるわけではない。」
それを聞いて、ログナーは少し冷静さを取り戻して、エネスと代わった。しかし、ログナー自身、ロレンス達にたいする疑念はまだ克明に残っていたが、敢えてそれを無視しようとした。
「・・・・・・分かりました。」
とりあえずの敬礼をしてから、ログナーが通信を切った。これ以上の問答は無用だろう。そして、ファクター、レイへと視線を配らせて、最後にエネスの方へと向き直った。
「いよいよ、立つ時がきたようだ。」
「しかし、まだこちらの準備は完了していません。」
「あとは何が残っている?」
「ハヤサカ主任に頼んでおいたものが、ひとつ・・・まだ届いていません。」
その言葉に反応したのは、エネスとアナハイムに同行したレイだった。レイは、エネスとハヤサカの密談の内容についての全てを知っているわけではない。途中でトイレに立ってしまったのだ。
「主任に何を頼んだんだよ?」
「そのときになれば分かる。」
エネスが少し微笑みを見せたので、レイは驚きのあまり言葉を返せなかった。ショール・ハーバインが記録上の戦死を遂げて以来、笑顔など欠片も見せたことがなかったのだ。
ログナーに一方的に通信を切られたロレンスの表情は、エネスのそれとは対照的だった。再びデスク上の端末に手を伸ばし、それに副官がでるのを待った。
「私だ・・・グラナダの宇宙港を、警備のモビルスーツ隊で封鎖しておけ。奴らが動くかも知れない。」
その30分後、ティルヴィング艦内に、クルー達が自分の耳を疑うような内容の放送が鳴り響いていた。声の主は、指揮官であるログナー艦長である。
「本艦はこれより2時間後、グラナダを出発する。目的はネオジオンのコロニー落としの阻止だが、我々の帰還する先はグラナダに非ず。繰り替えず、本艦の帰還する先はグラナダに非ず!」
ここでログナーは、深呼吸をして間を置いた。この間にクルー達は、この出動の意味を理解した。グラナダに帰着しないという遠回しな台詞は、エウーゴからの離反を暗示していたモノだったからだ。
「よって全クルーに、この出動への参加拒否権を与える。参加を拒否する者は至急、この艦を降りよ。しかし、重ねて言うが、今度の出動の目的はコロニー落とし作戦の阻止、非はそれを黙認するよう命じた地球連邦政府にある。それを良しとしない者は、この艦に残って欲しい・・・以上だ。」
放送が終わってから、艦内は急激に慌ただしくなった。それは当然のことだろう。なにせ、コロニー落としなど、一年戦争時の前例を考えれば、人として許されぬ所業であると言っていい。しかし、それを行うには政府の命令に背かねばならないと言う、二律背反が伴うのである。
結局、2時間後のティルヴィングに残留した人員は45名、全クルーの約半数であった。
第34章 完 TOP