第36章 運命の悪戯

 宇宙世紀0088年10月31日午前10時を過ぎた頃、ユリアーノ・マルゼティーニはサイド2の1バンチコロニーにいた。以前にクローネを訪ねたときと同様、サイド2の行政に関する実務の全てを任されていたグァラニの案内を受け、そこでクローネの不在を報されたのである。
「シンドラに出動命令が出たのか?」
「はい、クローネ様はヴェキ様を伴ってサイド4に出発されました。任務の内容は知らされていませんでしたが・・・。」
「サイド4だと?」
 無論、ユリアーノはサイド4で、いや、もっと厳密に言うとサイド4から地球に向かう航路の途中で、何が起こっているのかを知っていたが、それを手放しで享受できる心境ではなかった。もはや、シンドラとクレイモア隊の激突は避けられない。それはあまりに皮肉だと思った。
 なぜなら、エウーゴから離反したクレイモア隊の逃げ道を提供することを承諾したのは他ならぬクローネであり、クレイモア隊がどの様にしてその場を離脱するのかまでは、彼は何も触れなかった。そのくらいの芸当を出来ないような連中に、力は貸せないと言ったのだ。力を貸すと言っても、クローネが承知したのは逃亡先を提供することであって、離反後、もしくはそれ以後の活動には一切干渉しないことも、ユリアーノに告げていた。
(なんということだ。しかし、互いにうまく切り抜けてくれるのを祈るしかないのか・・・こうなっては、オレにはどうすることもできん・・・)
 この偶然が、ユリアーノのみならずエネス達の計画にどの様な影響を及ぼすのかは、全く想像が出来なかった。策謀や陰謀が失敗する陰には、こういう偶然の要素が強い。ユリアーノは全ての事象をあらゆる情報の集積から分析しているが、それを計算に入れることなど実際問題として不可能なのだ。これをユリアーノは”運命の悪戯”と呼んでいるが、こればかりはどうしようもない。
「グァラニ、といったな?」
 真剣な面持ちで、グァラニに向き直った。
「はい。」
「クローネから、何か君に伝言はあったか?」
「はい、緊急避難用コロニー”ヘスティア”を使用可能にしておくように、と。それをどの様に使うのかは、聞かされていません。ただ内密に、との事で・・・」
 緊急避難コロニーとは、事故や戦災でコロニーの運営機能が停止した場合に一時的に市民達を収容することのできる小型のコロニーで、いわばシェルターとしての機能を有している。
 名前の由来となっているヘスティアは、ギリシャ神話の主神ゼウスの姉に当たる女神で、いろりなどの守護神であることから転じて家庭の守護神であるともされている。もっとも、火を絶やさぬ事としている神の名を、普段は灯がともっていない緊急避難コロニーにあてるコロニー公社のネーミングセンスを疑うのではあったが、ユリアーノに言わせればそれほど縁起の悪い名前ではないということになる。
 クローネがグァラニに命じたのは、その一つであるコロニー”ヘスティア”の動力やメインシステムを起動させることなのだ。
 ユリアーノは、クローネの思惑を察した。数十万もの民間人が生活をしている1バンチコロニーに、クレイモア隊を旗艦ごとかくまうわけにはいかないのだ。その点、緊急避難コロニーは連邦の探索から逃れやすく、普段は全くと言っていいほど使わないのでコロニー自体の傷みも少なく、隠れ場所としては申し分がなかったのである。

 10時50分、地球まであと少しというところで、ティルヴィングから出撃したエストック隊とシンドラ隊が遭遇していた。双方のモビルスーツ隊の編成は、エストック隊がリックディアス2機とゼータプラスCA2型”マイン・ゴーシュ”、シンドラ隊はシュツルムディアスとガザDが4機であった。今回の目的はシンドラへの攻撃ではなく、迫り来るコロニーに侵攻することであったので、ログナーがフランベルジュ隊の2機を出撃させなかったのは当然の選択であった。
「観測班から連絡、後方でコロニーを確認、予定通りです!」
「1分後、本艦は180度回頭、コロニーの正面にでる。以後、コロニーとの相対距離を保つ。」
 強面の艦長の指示に、ブリッジクルーは黙って従い、艦内それぞれの部署に指示を与えていく。それらが一段落すると、ティルヴィングのブリッジの正面スクリーンに、望遠カメラの映像が映し出された。モビルスーツ隊同士がぶつかったのだ。
「180度回頭、フランベルジュ隊に出撃命令を!」
「了解、フランベルジュ隊、出動せよ。目標は進行中のコロニー!」
 ティルヴィングはシンドラの後方から進行している状態で、そこから出撃したエストック隊も当然ながら、シンドラの後方から攻撃を仕掛けることになる。問題はシンドラの撃沈を優先するか否かであったが、エストック隊には既にシンドラの撃沈ではなく、敵艦の機動戦力の撃滅を優先させるよう命令を出していた。無論、ログナー達も、シンドラの指揮官であるクローネが、まさか自分達の協力者であることを知らない。あくまで本来の目的を達成させるためだ。
 ここまでは予定通りだ、と改めて気を引き締めようと思ったログナーの決意は、その次の瞬間に裏切られることになった。
「艦長、大変です!」
 ミカの報告は、もはや悲鳴と言って良かった。
「なんだ!?」
「地球の方向から本艦に向かって、サラミス級巡洋艦が2隻、接近しています!」
「・・・どういうことだ・・・コロニーを阻止に来た部隊が、他にもあるというのか?」
 言ってはみたが、それはおかしいとログナーには思えた。サラミスの進路は本艦に向かってであり、シンドラの方へもコロニーの方へも向かっていない。
(つまり、コロニー落としを邪魔させるなと言う、連邦の差し金か・・・奴ら、いよいよ本気で潰す気だな、我々を・・・)
「接触予定時間は?」
「およそ20分後!」
(前門のネオジオン、後門の連邦軍か・・・)
 事態はいよいよ、ややこしくなる一方だった。

 ティルヴィングがその向きをコロニーに向け始めたその頃、既に戦闘状態に入っていたエストック隊は、思わぬ乱戦に持ち込まれてしまっていた。エストック隊の方は敵をシンドラ隊だとあらかじめ認識していたのに対して、後手に回ったシンドラ隊の方は、接敵するまで相手を識別する時間を与えられなかった。
 もし相手がクレイモア隊だと判明していれば、クローネ率いるシンドラのモビルスーツ隊の進行速度が鈍っていただろうが、相手を認識するために接近する必要に迫られた以上、出来るだけ早く接敵しなければならなかったのだ。そして、エストック隊の実戦指揮官であるファクターは、数の多い敵方が包囲体勢を取ってくると多寡を括っていたのが仇になり、中央突破を許してしまったのである。彼我の戦力比5対3では、それもやむを得ぬ事だった。
「数の多い方が中央を突破するとは・・・ヤキが回っちまった!」
 状況としては、右を行くファクター機のすぐ近くには2機のガザDが、中央を行くレイ機を取り囲むように2機のガザDが、そしてエネスの『死装束』の目の前には赤いシュツルムディアスがそれぞれ接していた。つまり、エストック隊はそれぞれが見事に分断されたのである。密集状態を作り出すことで相手のチームプレイの威力を削ぎ、各個に包囲しながら撃破するというという、クローネの思いきった戦法だった。
「く・・・レイが危険か・・・しかし、余裕がない!」
(ショールの白いディアスがいない・・・どういうことだ?)
 嫌な予感を覚えながらも、エネス機は射撃を行わず、ビームサーベルを抜いて突撃した。赤いシュツルムディアスは、いうまでもなくクローネ機である。
「この白いリックディアスは・・・まさか!」
 クローネは動揺していたが、それに対して回避行動をとらずにビームサーベルで受け止めた。
「お前達は・・・クレイモア隊!」
「オレ達を知っているッ?・・・貴様がクローネ!?」
 この時、クローネは己の運の悪さを呪っていた。連邦やエウーゴの他の部隊ならいざ知らず、クレイモア隊ならコロニー落としを黙ってみているはずがないと言うことが分かっていたからだ。よりにもよって・・・というのが、今のクローネの心境である。
「ショールはどこだ!」
 エネスは叫びながらビームサーベルによる攻撃を繰り返したが、クローネは反撃する様子もなく、ただ受け止めているだけだった。それは余裕などではなく、クローネほどのパイロットに反撃する隙も与えないほどに、エネスの攻撃が激しかったのだ。クローネとて、一刻も早くマシュマーのいるエンドラIIに急がねばならない、急いでいるのだ。
「ショール・・・ヴェキか。どうしても会いたければ、後ろから来ている邪魔者を排除してから、コロニーまで来ることだな。」
 ヴェキはクローネの指示に従って、シンドラに残留していた。別にそれはネリナが信用できないからではなく、シンドラをコロニーに接舷させてから出撃させるためだ。言ってからクローネは再び牽制の射撃をし、それに対しての回避行動を行うエネス機を尻目に全速力でその場を離脱した。シンドラの進路を確保するためだ。そのすぐ後に、シンドラが全速力と思える速さで通過していった。
「後ろからだと?」
 後方のカメラの映像を拡大してみると、クローネ機を除くシンドラのモビルスーツの他に、その遙か先に大きな光を確認できていた。巡洋艦クラスのスラスターが放つ光だと言うことは、すぐにわかった。
「まさか、ルナIIの部隊!?」
 エネスが連想したのは、かつての上司と部下であった。しかし、今はそんなことを考えているときではない。エネスは正直、コロニーに向かうべきなのか、それとも時間のロスを覚悟でティルヴィングに戻るべきなのか、判断しかねていた。


 クローネが離脱した後も、その他のシンドラ隊のモビルスーツは、エストック隊に対して攻撃の手を緩めなかった。クレイモア隊が自分達にとって、少なくとも敵対者ではないと言うことを知っているのはクローネだけであり、そのことはヴェキにすら話していない。いやヴェキだからこそ、クレイモア隊のことを言うわけにはいかなかった。ヴェキの記憶が戻る引き金を、こちらが引くわけにはいかなかったのだ。
「くそ、動きにくい!」
 レイの焦りこそ、クローネの思惑通りだった。レイの乗っているモビルスーツが機動性に富む機体であるだけに、余計に動きづらいのだ。しかし、だからといって機体に装備されているIフィールドバリアを作動させてはいない。この装置は至近距離でないかぎりのビーム攻撃を拡散させることで無力化できる優れモノだが、もとが欠陥品であるために連続稼働時間には制限があった。つまりレイにとって、今はまだ祭りの本番ではないということだ。祭りの本番を前にして自ら退くなどということは、彼自身のプライドが許さない。
 左右から交互に攻撃を受けながらもそれを回避し続けてきたレイは、たとえ時間をかけても1機ずつ各個に撃破していくしか方法はなかった。コックピットシステムの中にある火気管制システムとそれに連動したビームスマートガンのセンサー、さらに自らの集中力をフル稼働させて、右側にいるガザDに狙いを定め、発射の瞬間を待った。後方に回ったもう片方のガザには目もくれない。もし攻撃されても、グングニルシステムが回避行動をとる初動のタイミングを教えてくれる。
「ッシャァッ!いけッ!」
 気合いの声と共に放たれたビームは、水平移動を繰り返していた右方のガザを的確に捉え、直撃させることができた。そのまま後ろを見ずに上昇をかけると、その真下に後方から発射されたビームが通過した。直後、レイ機の後ろで爆発がした。狙撃した張本人であるエネスの『死装束』は、レイのマイン・ゴーシュに接近していた。
 レイがファクター機の方へと視線を流すと、既に戦闘が終了していたことが確認できていた。しかし、撃破こそされなかったものの、レイとファクターはそれぞれが手こずってしまい、時間を稼がれてしまった事実は否定できなかった。
「ファクター、後方からサラミス級が近付いているらしいが、どうする?」
「考えるまでもねぇ。戻るぞ。」
 ファクターの決断があまりに早かったので、レイは慌てて横槍を入れた。
「ちょ・・・ちょっと待って下さい。コロニーはどうするんですか?」
「バカヤロウが、後方の敵と戦っているうちにコロニーがオレ達の目の前に来る。時間のロスはあっても、絶対的な二者択一じゃねぇんだよ。それにティルヴィングが落とされたら、オレ達ァこれからどうするってんだ。グラナダには帰れねぇんだぞ。」
 ファクターの言ったことは確かなことだ。後方から迫るサラミス級が接触する頃には、コロニーは現在のティルヴィングのいる辺りにまで到達する。よって、ティルヴィングまで後退することは、コロニーを阻止するという目的遂行の障害ではない。
 しかし、今回の任務の最優先事項はティルヴィングの安全なのである。ここでティルヴィングが撃沈されれば、今までのエネス達の計画が全て水泡に帰す。たとえコロニーが地球に落下してもティルヴィングの安全だけは絶対に守らねばならないが、別にエネス達はティルヴィングの安全とコロニー落としの阻止を両天秤にかけるつもりで言ったのではない。むしろその両方を実践するための方策と言えた。
「・・・いや、レイ、お前だけ先にコロニーに向かえ。オレ達で後は何とかする。」
「でも、大丈夫なんですか?」
「サラミス級が2隻だから、モビルスーツは多くても4個小隊16機が良いところだ・・・ちとキツいが、テメェは両方とも成功させたいんだろ?・・・その欲張りを許してやろうってんだ。さっさと行きやがれ。」
 ファクターは強がって見せていたが、ちょっと苦しいどころではない。4倍の敵と正面からぶつかっては、如何に装備の整ったクレイモア隊でも分が悪い。しかし、冷静なエネスがそれに賛同の意を示したのは、他の2人にも意外だった。
「ファクターの言うとおりだ。それに、コロニー管制室での作業はオレ達にはできない。システム関連に詳しい貴様がいなければな。それに、貴様の機体ならシンドラとほぼ同時にコロニーに接触できる。ティルヴィングはオレ達とフランベルジュ隊に任せて、早く行け。」
(それに、コロニーにはショールがいる・・・クローネはそう言っていた。誰かが確かめねば。)
 とは、心の中で付け加えるだけにした。
「とにかく、Gライン到達予定時刻まであと45分、その時間までに、貴様は必ずコロニーを出ろ・・・良いな?」
「・・・分かった。できるだけ早く頼むぜ。」
「あぁ・・・」
 エネス達の返事を聞かず、レイは機体をウェーブライダー形態に変形させて、目前のコロニーに向かってスラスターを全開にした。
「できるだけ早くか、言うは易しだな。」
 ファクターの苦笑に、エネスも倣った。
「とにかく、ティルヴィングに行こう。連絡のあった接触予定時間まで、あと5分しかない。」
「5分・・・ギリギリだな。」
 両機はすぐに、ティルヴィングに向けて機体を前に進ませ始めた。
「なに、後方の連邦の部隊を叩いても、まだ20分以上の猶予がある。」
 なるほどな・・・とファクターは頷いたきり、何も言わなくなった。彼は腹を決めたのだ。
(あのクローネというパイロットも、コロニーを止めようとしていた・・・状況はそれほど悲観的ではないか・・・あとはティルヴィングを守れるかどうかだな・・・)
 むしろレイよりも、こちらの方が状況が深刻だったのである。

 時を同じくして、ルナIIから地球の重力圏ギリギリを周回して、サイド4に向かって直進するコースを取っていた艦艇があった。ロレンスによって編成されたクレイモア討伐艦隊の旗艦、サラミス級ニューデリーである。指揮官であるモートンは、5隻ある艦隊戦力のうち2隻をまず先発隊として先行させ、先行艦隊が戦闘状態に入ってすぐ後に合流できるようにした。その目的はふたつあった。
 ひとつめは、コロニー落とし作戦とクレイモア隊、両者の状況を見極めることだが、これはニューデリー以外の艦艇に対する表向きの目的だ。しかしその裏には、隠された目的があった。クレイモア隊がコロニー落としを支援するためにネオジオンと手を組んだというロレンスの方便を、最初から信じていなかったのである。エネスとログナーは、間違っても連邦打倒のためにジオンと手を組むようなことはしない。なぜなら、連邦は改革の対象ではあっても、ジオンは倒すべき敵であると認識しているのが彼らだからだ。だからモートンは、クレイモア隊を妨害するつもりは毛頭なかった。
 むしろ、ロレンスがよりにもよってモートンにクレイモア隊を討伐させようとしたその真意をこそ、不気味に感じていた。ロレンスはニューデリーに対し、クレイモア隊への攻撃は許しても、ネオジオンへの手出しは厳禁していたのだ。あの腹黒い大佐の言っていることは、矛盾が多かった。
「先行したバンクーバーとアンカラが、戦闘状態に入るそうだ。」
 その2艦が戦闘状態に入ることを報告してきたのは、今し方だった。ちょうどそのときにクラックとフェリスが、ブリッジにあがってきていたのである。戦闘の相手は言うまでもなく、クレイモア隊の旗艦ティルヴィングに他ならない。
「そうですか・・・」
 クラックが溜め息まじりに、そっと答えた。
「どうした、君らしくもない。」
「自分は、まさかエネス大尉がエウーゴを離反するとは思いませんでした。」
「君が知らないのも無理はない。彼は連邦軍の腐りきった体制の変革を、内部から求めていた。だからこそ、彼が連邦から離反するとは私にも想像できなかったさ。しかし、エネス大尉が離反したと言っても、それが即連邦への叛逆には直結しないと思っているよ。」
「離反が叛逆ではない?」
 エネスを知らないがゆえ、これまで黙っていたフェリスが分かりかねて言った。
「彼は決して、ジオン公国のような軍事行動には出ないと言うことだ。何か、離反してからの活動にあてでもあるのだろう。私はそれを信じている。」
 モートンの言葉は推測の域を出ないが、彼自身では確信していた。

 宇宙世紀0088年10月31日、歴史の表舞台に出ることのない闘いが、いよいよ始まりの時を迎えていた。

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